第44話 消えかけの火
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魔法師範タマサの特訓の前に、まずは縦穴に満たされたマグマじみた炎の状態を確かめねばならない。
煮えたぎる炎を前にして、俺は、強烈な違和感を抱いていた。この激しい炎が本物なのか、どうにも信じられなかったのだ。
過去映像の情報から考えると、ほんの少し火が強まっただけで気温が上がったようだからな、もしマグマのような炎が深い縦穴を満たすほどに猛り狂っているとしたら、このロウタスが、もっと灼熱になっていないとおかしい。
そもそも、暑いは暑いけれど、想像を下回るほどの熱気しかない。煮えたぎる炎がある割には、かなりの至近距離まで近づくことができるのだ。
だから、違和感がぬぐえない。
そこで、炎の状態を確認するため、ザミスに軽く弓矢スキルを披露してもらい、様子を見てみることにした。
そうしたら、
「あれ、おかしい。矢が燃えずに中に消えた」
ザミスが即席で作った木の弓で、曲がった矢を放った時、ザミスの矢は炎を散らすことができなかった。力強く回転しながら空気を切り裂いた矢は、煮えたぎるマグマに当たるかどうかというところで、いきなり姿を消してしまった。
三本あるうちの残りの二本も撃って、やはり同じように消えた。
ザミスの動体視力が超人的だからそれが見えたというわけではない。俺の目にも、タマサやグレースの目にも、はっきりと矢が消え去ったのが見えた。
いや消えた、というよりも、隠れたと言う方が適切かもしれない。
タマサがこの不可解な現象を見て、俺に一言くれた。
「オリヴァン、おまえちょっとさ、穴の中落ちてみてくれない?」
「えっ?」
「たぶん燃えないからさ」
「仮に燃えやしなくとも、高いところから落ちたら人間は死ぬんだぞ」
「ここそんなに深いのか」
「叩きつけられたら即死するくらいにはな」
「だったら、やっぱりこの煮えたぎる炎は、ニセモノだな」
俺は深く頷いた。
「そうだな、偽装か誤認だろう」
俺が憧れてきた英雄オリヴァー・ラッコーンは、偽装を見抜くのはもちろん、そのさらに上位スキルである誤認さえも見抜いたという。
細かな違いがあるが、いずれのスキルにしても、真実の姿を隠すものだ。
で、なぜここに誤認やら偽装やらが施されているのかといえば、この場所に近づかれないために危険なものと見せかけることが目的だろう。
エリザマリーがザミスに言いつけた、「目が悪くなるから見るな」という指示も、凝視されると、見せかけの仕掛けがバレるおそれがあるからだ。
俺が煮えたぎる炎の中に、おそるおそる手を突っ込むと、グレースとザミスの小さな悲鳴がきこえてきた。
でも大丈夫。やはり燃えない。
とはいえ、偽の炎だって、見た目は完全に炎に見えるし、偽だと見せかけて本物が混ぜてある可能性もなくはないし、周囲に熱風がほとばしっているのは事実だから、油断すると危険だった。
俺は映像で見た記憶をたどり、下り階段の起点を探す。
「あった。下に行けそうだ」
階段が途中で途切れていたりして、真っ逆さまに落ちるなんてことにならないように、足先で石の感触を確かめながら、慎重に下っていく。
煙のようなものが視界を塞ぎ、同時に、なんとか耐えられるレベルの熱い風が時折顔面を襲ってきた。身の危険を感じる瞬間が何度かあった。
そしてマグマに見せかけられていた暑さ五メートルくらいの偽装雲エリアを抜けて、下を見ると、深い闇の中で、遠くに光る小さな光を見つけた。
俺は何となく厳かな空気を感じて、声を出さずに下っていく。
底に着いて、大いなる火を見つけた。
世界を存続させるための火。
でも大いなる火と言うには、あまりにも小さい。
小指の先ほどの火は、遠くから見ると安定して燃えているように見えたが、俺が接近したことによる風圧だろうか、時折、火を失って周囲が真っ暗になる瞬間があった。
それほどまでに弱まっているということだ。
タマサの耳飾りから放たれた氷の大魔法の影響があるのかは不明だし、いつからこんなに弱まっているのかも不明だ。ずっと観測してきたわけではないから、いつ消えるのかも予測できない。
今すぐに消えたっておかしくない。
まずはこれを見せるために、皆を連れて来なくては。
俺は石の階段を慎重にのぼって、皆の前に戻った。
戻ったらグレースが座り込んで泣いていた。ザミスに抱きしめられながら。
タマサは呆れたように言う。
「ほら戻って来たぞ。大丈夫だって言ったろ、グレース」
グレースは俺の姿を見るなり、安心したようで、涙を飛び散らせた。
「よかった、オリヴァン!」
「えっ、どうした」
「全然戻ってこないんだもの。呼びかけても返事がないし、転落しちゃったか、溶けて消えちゃったのかと思ったのよ」
何もきこえていなかった。彼女の呼びかけは、偽マグマ雲に吸い込まれて消えてしまっていたようだ。
「心配かけてごめんな。熱風が吹いて危ないところもあったから、気を付けて下りよう」
俺はグレースに向かって手を伸ばした。
俺が手を引いて、彼女を下まで導こう。
……と、思ったのだが、グレースはザミスと手を繋いで、反対の手でおそるおそる偽もののマグマに触れようとしていた。
落ち着きどころを失った俺の左手。かわいそうな左手。
「わっちが手つないでやろうか?」
「いや……」
そしてオオカミのリールフェンが、オウフ、と吼えて俺の前に手を出してきて、お手、をする格好になった。空を切った俺の手を埋めることで、慰めてくれているらしい。
俺は苛立ちをぶつけるようにオオカミの手を上下に振り回しながら、
「なあリールフェン、グレースとザミス、仲良過ぎない?」
ザミスは優しい良い子である。でも俺は、グレースを誰にも渡したくない。
俺はリールフェンの手を離し、先に下に降りていった二人を追いかけた。
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「息でも吹きかけたら消えてしまいそうだわ」
「むかし、こんなんじゃなかった。もっと火、つよかった」
グレースとザミスが手を繋ぎながら大いなる火の前に立った。
俺はその後ろで、タマサに語り掛ける。
「どうだ。さっき、なんとかなりそうみたいなことを言ってたけど」
「こうして縦穴の中でこのヤバい魔力を肌で感じてみると、やっぱ無理なんじゃないかって思えてくるよ。でも、グレースのアイデアなら、うまくいく可能性は十分ある。問題は、わっちとグレースの準備が整う前に火が消えちまうことだな」
「準備っていうと、何をするんだ?」
「グレースの門を無理矢理にこじ開ける。そこに、わっちの門を繋いで、魔力の通り道をつくる。この場所に充満する魔力をグレースが吸って、それをさらに、わっちがグレースから吸い上げて、外に放つ。ぜんぶ炎に変換することができれば成功。途中で失敗したら命はない。ってか、世界が終わる」
「俺に、何かできることはあるか?」
「見守るくらいしかできないだろうよ。特にキツいのはグレースだろうけど、炎を何とかするまでは、あんまり近づいてもらっても困るぜ」
「それって、どういう……」
「わっちの稽古中は、恋愛禁止ってこった」