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ケイオスブラッド ~暗渠の一滴~  作者: 黒十二色
第一部 水と緑のマリーノーツ
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第4話 英雄か大勇者か

 本で得た知識からの予想では、女の子というものは、俺の部屋のような古文書だらけの薄汚い空間を嫌うものだと思っていた。


 でも、グレースは、粗末な木造ハウスの外観を見たときには「すごい」と感動していたし、汚い俺の部屋に入った時には、胸の前で手を叩いて喜んだ。


「わぁ、書物や地図がいっぱいあるわね! ねえ、見てもいい?」


 お茶を飲みながら話したいなんて言っていたけれど、それも忘れて部屋の中のものに目を奪われていた。好奇心の前には、世界を渡る長旅の疲れだとか、洞窟脱出のストレスなんてものは吹き飛んでしまうようだ。


 俺が「好きに見ていいぞ」と頷いてやると、すでに輝いていた瞳をさらにキラキラさせて、地図に手を触れ、マリーノーツという世界の輪郭を細い指先でなぞっていた。


 俺は家にあるなかで最も高価なお茶を準備し、湯を沸かし、大きなテーブルの上にカップを置いた。マリーノーツ全土の大きな地図を広げても、なお物を置くスペースは十分にあった。


 グレースは高級茶の爽やかな香りを感じて顔を上げ、夢中になっていた自分に気付いて急に恥ずかしくなった様子だった。


 もとはと言えば、自分がお茶を飲みながら座って話したいと言っていたのに、座ることも忘れていたのだ。


「え、えっと、良い香りね。生命の息吹を感じるわ」


 そのグレースの感覚はわからないが、要するに草の匂いがするってことかな。


「素敵な色。吸い込まれそうな緑色だわ」


福福蓬莱(ふくふくほうらい)茶っていう種類なんだ。カナノ地区の酒場で出してる人気のお茶なんだってさ」


「飲んでいいかしら」


「どうぞ」


 グレースは少しだけ口に含み、次の瞬間、目を見開いた。


「おいしい!」


 喜んでくれたのを見て、ほっとひと安心。グレースが嬉しいと俺も嬉しいと感じた。


  ★


 木の床、木の壁、木のテーブル。大きな書棚も丈夫な木で作ってある。木材を基調としたシンプルな内装は、グレースにとって馴染み深いのだという。


 グレースといえば王女さまなのだから、もっと豪華絢爛な、たとえば黄金の宮殿とか、そういうところに住んでいるものだと想像した。だから、安い木材でできた古い家なんてものが気に入ってくれるのか、心配だった。


「心配してたって、何言ってるのよオリヴァン。問題ないどころか、すごいことよ。私の世界では、木材っていうのは貴重なの。寒くて、雪ばかりで、大きく育つことは珍しいもの」


 つまり、彼女にとっては、ここは宮殿と同等レベルの家なのだ。


 いや全く実感が湧かないけれども。


「ここはさ、地図まみれの飾り気のない部屋だけど、グレースの部屋ってのは、もっと綺麗なんだろ、同じ木材にしても、凝った彫刻とかに溢れてたりさ」


 俺がそう聞いてみたとき、グレースは不愉快そうに、


「国を取りまとめる王の家が、そこまで贅沢をしてもいいと思う? 木の家に住むってだけでも後ろめたいのに」


「そ、そうだな。ごめん」


「でも、そうね……素敵な彫刻とかが残されてる建物はあるわ。祈りを捧げる場所。雨を呼んだり、晴れを呼んだりするための」


「天候を操るのか。そういう存在は、このマリーノ―ツにもいるなぁ。オトキヨ様っていうんだけど、たしかにその御方も神聖視されてる」


「大魔法とか使える?」


「そういう話は聞かないかな。ふしぎな力は持っていたらしいけどな」


「ふぅん、どんな?」


「神聖な水を生み出すことができて、大火事をそれで鎮火したとか、その水で建物も修復したとか、そのせいで人間の姿でいられなくなった時があったとか、英雄オリヴァーの伝記に書いてあったけど」


「人々を助けるために命も投げ出すような人なのね……。すごいわ」


「グレースの世界では、魔法の力で人々を助けるってところか」


「むかしはね、そうだったって聞くけど、今は別にかな」


「じゃあ、もしや王室の権力も衰えたり……」


「それも別にかな。お父様を中心に、強くまとまってるから。強くまとまりすぎてて、私の話なんて誰も聞いてくれないけど」


 彼女の様子から、なんだか苛立ちを感じ取ったので、それ以上グレースの家庭の事情には突っ込まないことにして、俺はお茶のおかわりを入れるために席を立った。


 二杯目の茶を用意して戻った時、グレースは丸太の座席から離れていて、手を後ろで組みながら本棚を眺めていた。


「何か、気になる書物があったか?」


「右側と左側で、分けてあるわね。右側が、えっと……さっき話に出て来た英雄オリヴァーっていう人の本ね。新しめで装丁が豪華だわ。対して左側が、とても古い書籍とか、本になっていないメモ書きとかが溢れてるのね。こっちが……大勇者? 大勇者って何?」


「お、分けてあるなんて、よくわかったな。俺のじいちゃんとかもそうだけど、英雄も大勇者も、似たような存在だと思ってる人がいるんだよな」


「質問の答えになっていないわね。大勇者って何って私は聞いたんだけど」


「そんなキツい言い方しなくてもいいだろ、大勇者ってのは、魔王を倒しても消えない呪いをかけられた転生者で構成された、最強の集団のことだ」


「魔王?」


「まあ、今は、魔王も転生者もいなくなったけどな」


「どうしていなくなったの?」


 そう言って、彼女は振り返った。白銀の髪がふわりと揺れた。肩にかかるまでの時間が、とても長く感じられた。


 なぜだか心臓の鼓動が速くなったけれど、うまいお茶を一口飲んで落ち着かせてから、彼女の質問に答えてやる。


「かつて、この世界には、転生者って呼ばれてる人たちがいたんだ。別世界の住人のことで、強靭な肉体と精神と高い知性を持ち合わせていた。しかも、老いて衰えることも無い。そんな人たちが魔王を倒すために召喚されてたんだ。魔王が生まれるたびに、転生者が一人やって来るって感じかな。そんで、本来は魔王を倒したら、普通の転生者は元の世界に帰っていくもんなんだ。でも大勇者は統治者にとって必要な戦力だから、魔王を倒しても帰れないんだ」


「なるほどね」


 簡単に受け入れてくれた。幼い俺が転生者や大勇者の話を初めて聞いた時、ツノシカから出たこともなかったから、村の外にマリーノーツという広い世界があるなんて想像もつかなかったし、さらに他の世界(ロウタス)があるなんて話も知らなかったから、驚いて、受け入れがたいとさえ思ったものだ。


 じゃあ、当時とは違って身体が成長した今の俺は、外の世界があると実感できているのか。


 正直に言えば、ついさっきまで、実感なんてものは全くなかった。


 グレースが空から降って来て、別の世界(ロウタス)から来たなんて言うまでは。


「グレースのところにはいなかったのか? 魔王も、大魔王も、転生者も、大勇者も」


「いないけど、そんなことよりもさ、オリヴァン」


「なんだよ」


 彼女は不意に歩み寄り、俺の目を覗き込むようにかがんで、こんな言葉で唇を震わせた。


「オリヴァンは、大勇者になりたいの? 英雄になりたいの?」


 すぐに答えることができなかった。


 憧れはある。夢見たりもする。でも、それが叶うなんて、一度だって本気で思ったことは無かった。


 遠い世界の出来事を楽しみながら読みふけって、そのまま時間ばかりが過ぎて、「自分も大勇者になったり、英雄になったりしたかった」なんて遠い目で語ることになるんだろうなって、その程度のイメージしかなかった。


 朝に水を汲み、昼に村の見回りをして、夕方にじいちゃんと一日のこととか、噂話のこととかを語り合って、夜に英雄オリヴァンや、大勇者フリースとか、偉人たちの伝記を読んだり、歴史の真実を考察して……。


 そんなふうに、いつもと同じ生活を繰り返しながら、年を重ねていくんだと思っていた。


 ツノシカ村から一歩も出ることができないという掟があった。その古い掟に従うのが立派なツノシカの大人なんだ。だから仕方ないんだ。


 そんなふうに、自分を律して生きてきたつもりだった。


 なのに、目の前の空から降ってきた王女様は平然と言ったんだ。


 ――大勇者と英雄、どっちになりたいのか。


 どちらかになることを、初めから知っているかのように。


 まるで未来を見通す目でも持っているかのように。


「簡単に言うけどな、グレース。基本的にさ、英雄とか大勇者ってのは、転生者じゃないと、なれないものなんだ」


「そうなんだ。でも、例外だってあるよね。今の私の存在だって例外でしょ? あるはずないっていう別世界に、生きて到着できたんだから」


 たしかにグレースの言う通り、ただ一件だけ例外がある。大勇者フリースという女性の存在だ。


 彼女は、英雄オリヴァンの仲間で、ハーフエルフの魔女だと本に書いてある。彼女は転生者ではなく、マリーノーツ生まれのマリーノーツ育ちでありながら、最強の氷使いであるとされる。


 だから、なれるんだ。どんなに難しくても、可能性はゼロじゃあない。


 そのことを、昔話の大勇者と、目の前の王女様が教えてくれている。


 しばし呆然としていたところ、グレースは、再び俺に背を向けて、一冊の伝記を手に取って開いた。世界に巣食った魔王を全て滅ぼした英雄の伝記だった。


「なれるよ。オリヴァンなら。世界を救う英雄。名前も似てるし」


「あぁ、似てるのは当然だな、じいちゃんが、英雄オリヴァー・ラッコーンにあやかって、つけてくれた名前だからな」


「ふぅん、あなたの名前の由来なのね。素敵だわ。そのおじいさまっていうのは?」


「血は繋がってないけど、俺を育ててくれた大切な人だ」


「いえ、そうじゃなく、ご挨拶したいのだけれど、どちらに?」


「ああ、えっと、村中の健康を看てる時間じゃないかな? この村で唯一の医療スキル持ちだからな」


「スキル?」


「特殊な技能ってやつだ。転生者ってのは、様々なスキルを選び持つことができるんだ。そして、転生者の子孫が多いこの村にも、子供のころからスキル持ちの人間が多い。だけど、転生者じゃない以上、授かるスキルを選べるわけじゃあないし、スキルを得られないまま一生を終える者もいる。その中にあって、じいちゃんはすごいんだ。病気を見破ることのできるスキルを持ってる」


「オリヴァンは、何か素敵なスキルを持っているの?」


「まだ目覚めていないだけだからな」


「あっ、ああ……ごめんなさい」


 聞いてはいけないことを質問してしまったとでも思っているのだろうか。口元をおさえて、まるでこの世の終わりみたいに落ち込んだ声を出した。


 そりゃスキルがあるに越したことはないけど、スキルが無いことをそこまで気にしてるわけじゃないから、そんなに気にしなくても良いのになと思う。


 きっと雪だらけの世界で、魔法の力が乏しかったことを理由に、厳しい言葉を浴びせられ続けていたことを思い出したんだろう。


 ――俺ごときに共感してくれた優しい彼女の願いが、どうか全部叶いますように。


 そんなことを考えながら、俺は三杯目のお茶を淹れに調理場へ向かった。




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