第35話 オイナルヒ神殿のエリ・ザミス
マドーショガーデンを後にして、しばらく道なりに歩くと、俺たちの頭よりもずっと高くまでそびえる二本の大きな白い柱が見えて来た。
近づいてみると、その二つの柱の真ん中に、『立ち入り禁止』という文字が書かれた看板があった。
それを見たグレースが、「ここを管理している誰かに許可を取る必要があると思うわ」という真面目な発言をしたのだが、タマサがさも当たり前のように不法侵入した。
「あ? だって、世界を救うんだろ? 一刻の猶予もないんだろ? 寝て起きたら世界滅んでるかもしれないんだろ? まして、わっちらは、犬レースで負けて時間を無駄にしちまっただろ? だったら、誰かに許可を取る暇なんてあるかよ」
理解できなくはないけれど、やっぱり許可はとったほうがいいと俺も思う。
「あとでお粗末な魔法の一つでも見せてやりゃあ、解決だろ」
タマサは思い切りよく敷居をまたいだ。俺とグレースは顔を見合わせ、頷き合い、仕方なくタマサについていくことにした。
神殿の敷地内は、外と比べると涼しかった。
大きな建物が見えてきた。
その白い石だけでできた神殿は、多くの柱に支えられており、なだらかな三角形の屋根をもち、そばには、そこそこ広い池があった。
少し遠くに赤みがかった光の柱が見えている。光の根元は、神殿のさらに奥にあるようだった。あいかわらず、その光が降り注いでいるのか、立ち上っているのかは不明のままだ。
このオシェラートという灼熱の世界にしては、少しひんやりとした空気がある。
それもそのはず、タマサは柱が多く立ち並んだ白亜の神殿を指差して、
「あそこにもクソ強い氷魔法がかけられてる。みろ、でかい氷があるだろ」
「なっ、本当だ。遠くからだと向こう側が透けて見えてて何もないように見えたが、透明な氷のブロックが、ぎっしりと神殿の中に詰まってる。要するに、あれは冷凍装置ってことか」
俺はそう考えたが、タマサは、
「わかんないね。オリヴァンの言うように、単なる冷たい氷を作るためのものかもしれないし、何かもっと大きな仕組みの一部かもしれないな」
「いずれにしても、冷たい空気を生み出せるようになってるなら、食べ物の保存には適していそうだな。神ってのが外から来て、この過酷な世界を助けようと思ったら、そういう便利なものを作っていそうじゃないか?」
「ありえなくはないね」
俺たちがそんな会話をしているとき、グレースは周囲をあちこち見回していた。おおきな犬の友達の姿を探しているようだ。
俺とタマサも、グレースと一緒に犬型の獣を探すことにした。大きいというから、すぐに見つかるだろうなと思った。
タマサは鼻で勢いよく空気を吸いこむ。
「何してんだ、タマサ」
「ニオイでわかるかもしれないだろ。獣っぽい匂いのする方に行けば、たぶんそこに探してる獣がいる」
色んな方向に鼻を向けていたタマサは、やがて「こっちだ」と言って歩き出した。
しばらく歩くと、俺にもわかるくらいに、強いニオイがしてきた。けれど……これは、ある意味で獣っぽいニオイではあるが、なんというか、香ばしい焼き肉の匂いだ。
グレースは不安そうに俯いて俺たちのあとについてきた。
ここにいると言われたのにいない友達。獣の肉の焼けるニオイ。良からぬ想像でもしているのだろう。
神殿のそばにある広い池まで来ると、焚火をしている人影があった。
「おまえたち、誰。何しに来た」
違和感のある喋り方をする人がいた。小柄ながらどこか迫力があり、どかりと石の上に座って、険しい目つきだった。はじめ遠くから見たときは華奢な男に見えたが、声や体つきからすると、どうも女性のようだ。
短い金色の髪はぼさぼさで、袖がぼろぼろの服を着て、お腹を露出して、土の上でも裸足だった。服はお世辞にも清潔とは言えないのに、きれいな胸当てを装備していて、背中には矢の入った籠を装備していた。いつでも手に取れる場所に、背丈よりも大きな弓を置いている。
彼女は、こんがり焼かれた骨付き肉を食いちぎりながら、もともと険しい目つきをさらに鋭くした。
にらみつけることで、相手の力量を推し測っているようにも見えた。
その視線を受けて、タマサは言う。
「あの目は……。いや、まさかな」
「何か心当たりがあるのか?」
「わっちの大事な人の旦那さまに、少し似てるってだけ。気のせいかな」
気のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。いずれにしても、緊迫した状況の中で、そんなことを確かめる余裕はなさそうだった。
どうすべきか。動いた瞬間に弓矢で狙撃されるかもしれない。
俺とタマサが決心がつかずに動けないでいる中でグレースが胸に手を当てながら、勇気を絞り出して歩み出た。
「あの……そのお肉……まさか、リールフェンのじゃないわよね」
「ん? 肉? お前らには、やらない。あたし食う」
「な、何の……お肉かしら」
「知らない。焼かれて出てくる」
調理された状態で出てくるなら、弓矢で狩猟したわけではないようだ。
これでは、その肉の正体が不明のままだ。そしてそれは、グレースのお友達の安否がわからないということでもある。
「落ち着けグレース。あの大きさなら、ウサギ肉だ」とタマサ。
「でもリールフェンをウサギに変える魔法があるのかもしれないし……」
発想が後ろ向きになっていた。
この世界にはさまざまなスキルがあるから、動物を別の動物に変化させるみたいなスキルが無いとも限らない。でも、さすがにそれは考えにくい。
「お前ら、何。ここ神殿。あたし以外ダメ、入るの」
一応、たどたどしいながらも会話が成立するようなので、俺は弓矢少女に語りかける。
「ええっと、君は?」
「あたし、ザミス。エリ・ザミスいう名前」
「ザミスか、可愛い名前だ」
むしろ強そうな名前のような気がするけれど、とりあえず褒めておこう。
「ここ、住んでる」
「神殿に住んでいる。てことは、神ってことか?」
「カミ? チガウ。門番。まもるひと。その役目もらった」
「誰から」
「赤いカミ」
ってのは誰だろう。よく村人とかの話に出てくる、赤い装いの神、ってやつか。
「何を守ってるんだ」
普通に考えれば神殿や、この敷地そのものなのだろうけど、何か他のものを守っている可能性もある。
「それ聞いてどうする」
ザミスという少女は戦闘態勢に入ってしまった。弓を手に取り、背にある籠の矢に右の手をかけた。質問責めに不信感を抱かれたようだ。
そこで、今度はグレースが、覚悟を決めて歩み出る。
「私の友達が、ここにいると聞いたのだけれど」
「おまえしらない。あたしの友達、ちがう」
「いえ、あなたではなく、オオカミ……というか、普通よりも大きなイヌ型の獣なのだけれど」
「犬は獣。飼うもの。なついても獣。母さんに教わった。友だちなれない」
「そんなことないわ! ここにいるんでしょう?」
ザミスという少女は頷いた。
「今あたしが飼ってる。あたしのワン公に手を出す。死を意味する。昔のことは知らない。いま、あたしのワン公」
「えっ……だったら、いるってことね?」
「ワン公はいる。でも渡さない」
「なんでよ」
「あたし、ワン公のおかげで助かってる。ここに持ってこられる食い物、最近変わった。肉多くなって、うれしい。まえは野菜の根っこばかり。あきてた」
「そんな、日々のごはんが美味しくなる程度の理由だったら、私に返してよ。家族なのよ。私の無茶な旅に、ただひとりだけついて来てくれたんだから」
「ワン公いると。あたし寂しくない。これからもワン公、あたしと一緒に門番やる」
「とにかくリールフェンを出しなさい。そうしたら、私が本当の友達だって証明できるし、私ともう一回旅にでることを選択するはずよ。ひとのものをとったらいけないのよ?」
昔の恋人と今の恋人が、当人の知らないところで言い争っているかのようだ。モテモテなオオカミである。
「散歩いって、そろそろかえってくる。きっとワン公、あたしを選ぶ」
「そのワン公っていうのやめてほしいわね。私のリールフェンよ」
「ワン公はワン公。ワン公って呼ばれて、ワン公もよろこんでる」
「そんなわけないでしょ」
互いに譲らず、平行線をたどるなか、ついにリールフェンが神殿のむこうから現れた。
グレースの匂い、グレースの姿に気付くと、白いイヌ型の獣はスピードを上げた。
近づいてくるのは、思ったより巨大なイヌ。人が二人くらいは余裕で乗れるくらいの巨大なイヌ……。いや、これは、犬というよりも、やはりオオカミと言ってやったほうがこの神々しさが表現できると思う。
美しい毛並みを輝かせながら、わうーん、と吠えて、グレースに飛び掛かった。
もちろん攻撃的なものではない。
グレースの顔を忘れておらず、親愛の押し倒しである。
続いて、仰向けに横たわる彼女の肩に前足を乗っけたまま、グレースの顔じゅうををべろべろとなめまわしている。
グレースは、大きな獣の頭をわしゃわしゃと撫で返しながら、
「いやぁ、重いわリールフェン。でもうれしい。久しぶりね。元気だった? あ、いや、色々あったのよね、レースに出させられりしたって聞いたわ」
わうん、と甘えた声を出して、グレースと触れ合うリールフェン。
この仲良しの光景を目撃して、面白くなかったのが、弓矢少女のザミスである。
「…………」
彼女の反撃は、自分が食った骨付き肉の骨を投げるというものだった。
放物線を描いて、倒れた神殿の柱らしきものにコツンとぶつかったとき、おそらく反射的行動だろう。グレースから突如として離れて、風のように駆けた。地面に骨が落ちる前に、追いかけて口でキャッチした。
とても賤しい行為に思えた。まさに食欲に負ける獣の姿そのものだった。
「ちょ、ちょっと……リールフェン……?」
「あたし、べつに、食べかす投げただけ。それをワン公、喜んで食べてる。おまえ、あたしの食べかすに負けた」
「なんですって……!」
オオカミ様をめぐる争いは、一体、いつになれば終わるのだろう。