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ケイオスブラッド ~暗渠の一滴~  作者: 黒十二色
第二部 今は灼熱のオシェラート
32/66

第32話 一獲千金の犬レース

 的中せず。


 残すはあと一レース。もうダメかもしれない。


 ここで失敗すれば、暴力で借金を踏み倒すしかなくなってしまうところまで追い詰められた。


 失敗すれば、とかいう言葉が真っ先に出てくる時点で、もはや負けるのが当たり前になっているってことに気付き、本気で落ち込む。


 成功者は、成功した時のことをイメージして臨むからこそ、良い結果が得られることがあるという。だから、ここで抱くべきは、「成功したらすごい事になるぞ~」みたいな思考のはずだ。


 でもさ、心を強くとか、前向きにとか、そういうのもう無理なんだわ。なすすべがないんだ。もはや紺色の空を見上げるしかない状況なんだ。


 付け焼刃の万策なんか、数日前にとうに尽きてるんだ。


 上部がノコギリのような形になっている城壁の向こうに、赤い光の柱が見えていて、いつかあの根元を目指そうと思っていた。神殿ってやつを目指そうとしていた。だけど、もしかしたら、そこに行くことは叶わないかもしれない。


 このレースで失敗するだろ。そうなったら莫大な借金になるんだ。そうなったら返すアテがない。そうなったら暴力で解決を試みるしかない。そうなったらタマサの魔法に頼るしかない。そうなったらタマサの魔法は調節できずに暴走して、世界を崩壊させるしかない。


 世界を救い英雄になる旅が、こんな形で終わりを迎えていいのか。


 よくない。当てるしかない。


 本日の最終レースは、週に一度のメインレース。普段は八匹のところ、十六匹の犬たちが一斉にスタートを切る唯一のレースがある。


 たとえば、たとえ的中したとして、このレースの先着が上位人気の犬で占められるようなことになると、その時点でこのロウタスは滅ぶだろう。


 そうなったら、次に何をすればいいのかの手掛かりもなくなって、俺たちの旅も終わってしまい、すでに存続の危機を迎えているこの世界全体が助からないってことになる。


 このレース、荒れてくれなきゃ困る。


 犬の人気の指標を確認するために、コースの真ん中に鎮座する大きな掲示板を見ると、的中時の倍率が表示されている。それを見ると、犬の人気が割れており、人気薄の犬にもチャンスが生まれる展開も、あり得そうだった。


 世界のために、どうかレースよ荒れてくれ。話はそれからだ。


 俺は希望の星を探すように、再び紺色の空に目をやった。その時であった。


「えっ? あれは……」


 俺は信じられない光景を見た。


 それは希望か、もしくは罠か。


 レースはまだ始まっていない。賭けを行うための最後の資金も俺の手元にまだある。


「どうしたの。オリヴァン」


 心配するようなグレースの声。


「外れすぎて幻覚でも見えてんのか?」


 もしかしたら、そうかもしれない。


 俺の目や脳が、おかしくなった可能性もある。


 でもこれって、もしかして、スキルなんじゃないのか。俺のスキルなのか、それとも別の誰かのスキルなのかはわからない。でも、そういう確かなものであると信じたい。


 俺の目に焼き付いたのは、三つの数字だった。


 誰かの古い骨董品の羽ペンを握った手が見えた。赤く塗られた爪、手首にかかる赤い服の裾、細い指、女性の手だろうか。そのしなやかな手が、赤茶けた粗い紙に三つの数字を記した。紺色の空に、明るく、はっきりと浮かび上がった映像。


「なあグレース、空に映像が浮かんで見えないか?」


 グレースは、不審な者をみるような目になった。


「えっ、大丈夫?」


「なあタマサはどうだ? 女の人の手が見えたりしないか」


「目をさませオリヴァン。紺色の空と控えめな星空と光の柱だけだぞ」


「十二、三、六」


 俺は、俺の目にだけ見えた数字を読み上げた。


「どうしたの?」


 本格的に心配して、俺のそばに来てくれたグレース。彼女を押しのけて、俺は券売り窓口に駆け込んだ。


「十二、三、六ッ……! 三連券に残り全額だ」


 俺が残りの資金すべてを出そうとしたとき、ものすごい形相で追いかけて来たタマサが、俺の肩を強く掴んだ。爪が食い込むくらい、深く掴んできた。


「ちょっ、ちょっと待てオリヴァン。最も当たりにくい三連犬券だぞ。しかも順番通りの順位にならないとダメなやつだ! 一パーセントも確率ないじゃん! 一点買いなんて当たるわけないだろ! しかも人気もないやつばっかり三匹選んで! 頭おかしいんじゃねえのか? 目をさませよクソが!」


 どれだけまくし立てられたところで、もう全財産は犬券になってしまった。


「終わった……。わっちが世界を滅ぼす魔女になるのか……」


「そんなことには! ならない!」


 万が一、借金を返せる見込みがなくなったら、踏み倒すために、この世界の住人たちと戦うことになる。魔法以外に戦闘力を持たない俺たちは、タマサの持つ魔法の力で世界を滅ぼすことになってしまう。


 だけど、見えたんだ。


「グレース、タマサ。大丈夫だ。絶対に当たる」


「……無理だろ……。いいか、オリヴァン。もとはといえば、お前が川魚を無許可で獲ろうとしたのが発端だからな。外れたら、全部お前に背負わせて、わっちはグレース連れて逃げっからな」


 タマサは言うが、もし不的中で立ち直れないほどの借金を抱えるなんて、もはや心配無用である。それに、口ではこう言うが、なんだかんだで優しいタマサは俺やグレースのことを見捨てたりなんかしないと信じたい。


「オリヴァン。さようなら。最後まで一緒に旅したかったけど、本当に残念だわ」


 目に溜めた涙をぬぐうグレースは、始まる前から別れを告げてきた。だいぶ気が早い。


「まあ見てろって。俺のスキルが火を噴くときが来たんだ!」


「あーあ、借金スキルとか勘弁しろよクソが」


「違うな。まだわからないけど。きっと未来を見るスキルだ」


  ★


 手には汗、というか全身に汗をかいていた。


 勝てば極楽、負ければ……いや、負けることなんて考えると、きっと勝てない。


 ほんの数十秒で全てが決まる。


 スタートした。


 接戦だった。追い抜いて、追い抜かれて、また追い抜いて……口を開けて疾走する犬たちが躍動した。


「行けっ! 行けぇ! たのむッ」


 俺は叫ぶ。


 グレースは祈りを捧げる姿勢で目を閉じていて、レースを直視できないようだ。


 タマサなんか、見守るのもおそろしいようで、後ろを向いてしまっている。


 猛スピードで走って走って、波乱のレースを制したのは、ほとんどノーマークの、数合わせに呼ばれたんじゃないかっていう犬だった。会場の多くの人間にとって、予想外の犬が駆け抜けていった。


 悲鳴と大歓声に満たされた場内で、犬券の紙吹雪が舞う。


 タマサとグレースは唖然として、口を開けたまま固まっている。


 女性が掲示板に小走りで駆け寄っていって、文字の書かれた大きな木板をはめ込み、レースの結果を掲示する。示された順位表を、俺は喜びを噛みしめながら読み上げる。


「十二、三、六……ッ!」


 思わず声が震えた。


 そして、『確定』の文字盤を持った別の女性が掲示板のそばに立ち、その文字が掲げられた。俺たちの一獲千金が成功したことを意味する。


「グレース!」


 俺はグレースの肩を掴んだ。


「本当に? 本当に当たったの? あんな無茶な投票券が?」


「やった! 俺のスキルは本物だ!」


「スキル? どういうこと?」


「見えたんだ! この三つの数字が、紺色の空に浮かび上がってきたんだよ」


「本当の……本当に? オリヴァンに、スキルが?」


 そしてグレースは「ああ!」と声を漏らし、俺の胸に飛び込んできた。


 しっとり冷たく、柔らかいグレースの感触。


「やったっ! やったねオリヴァン! よかったぁ」


 俺も興奮がおさまらず、グレースの身体を強く強く、抱きしめたのだった。


「なんて最高の夜だ!」


 視界の端に、ほっとしすぎて力が抜け、ベンチにだらしなく座っているタマサの姿が見えた。


 それにしても、空に浮かび上がった数字が本物だったんだとして、俺のスキルは一体何なのだろう。そして、紙に数字を書いていた女性の手は、一体誰の手だったのだろう。


 心当たりは、全くない。


 いや、今はそんなことは気にするまい。


 グレースやタマサとともに、祝勝会で乾杯するのだ!


「行くぞ二人とも、今夜は肉や魚を食うぞォ!」


「わっちには酒もつけなよ!」




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