第31話 友達のゆくえ
翌日。収支はかなりマイナスだった。勝てない。
「よし、逆に考えるんだ。運が溜まってきた」
翌々日。収支はほんの少しだけプラスだった。でも足りない。資金を稼ぐために、有料の風呂代を節約。夕方、女性陣はエシタゴン村の川で水浴びをした。俺は流れる水堀で、汗でべたつく肌を洗った。
「なあ二人とも、一から八の間で、好きな数字を三つ言ってくれ。明日は全部それで勝負だ。それで俺とグレースとタマサの運が試される時だ」
さらにその翌日。多少は当たったが収支はマイナスだった。夜の食事を抜いた。
「まあまあまあまあ、惜しいレースが多かったな。でも、全部外れってわけじゃなかった。運が向いてきているってことだ! 確率で考えれば、次は当たらないとおかしいよな」
次の日。色々と賭け方を変えてみたり、夜に夢に出て来た数字で賭けてみた。ダメだった。壊滅的不的中。
さらに次の日、レースを厳選して予想しやすいところで的中を狙ったが、全く功を奏さず、最終第十レース手前まで全て不的中。資金が残りわずか百プレミアムになった。
賭け一回分の最低金額が、百プレミアム。つまり、あと一回分しか賭けられない。
「なんでなんだ……」
ことごとく作戦が裏目に出たことで、俺たちは呆然としていた。
残りの百プレミアムを、一番速いと評判の、一番人気の犬に賭けた。せめて、一日一回の的中が欲しいと思った。そうして勢いをつけるんだ。
大歓声が悲鳴に変わったような気がした。
紺色の空に外れ犬券が舞い上がり、雪のようにひらひらと舞い落ちて来た。
あまりにもかすかな夢を託した大きな犬は、ずっとトップを快走していた。ところが、最後の直線で失速した上に、足を滑らせて最下位に終わった。
もはや食べ慣れた根菜グルメを三等分し、もそもそと口に運びながら肩を落としていると、また例の犬券師の男が声をかけてきた。
「そう気を落としなさんな。負けが込むときもあらぁ。たとえば、エシタゴンの村長、知ってるか?」
知っているも何も、俺たちはその男のために、百万プレミアムもの金銭を求めているのだ。
「あのジジイはな、村人が質素な生活を好むのをいいことに、その村人が生み出した金をここで賭けまくっていたんだ。もとは公正でいい村長だったんだぞ。そうじゃなかったら、村人たちが選ぶはずねえからな。
だが、犬レース場が出来てから狂っちまった。何十年もひたすら負け続けても、やめられなくなっちまってた。もうこいつはダメだなと皆が思ってたのさ。ところがどっこい、つい先日、これまで負けまくっていた分を一気に取り返す大当たりが起きた。ありゃ事件だったが……ま、レースにはそんくらいの夢があるってこった」
村長の野郎、俺の川魚キャッチアンドリリース事件を裁くときに、欲望まみれだとか指摘してきた気がするが、自分が欲望にまみれた罪深いヤツだったんじゃないか。
きっと、この人の言う通り、はじめはそうではなかったのだろう。だがギャンブルが人を芯から狂わせてしまったのだ。
俺たちも少し冷静になったほうが良いのかもしれない。
負けた分を取り返そうと躍起になってしまうのは、蜘蛛の巣の中でもがく蟲みたいなものなのかもしれない。
「それにしても、犬券師さん。村長は、俺たちと同じようにギャンブルのセンスが無かったわけだよな。村長が当てたレースって、どんなだったんだ?」
犬券師は、その質問を待ってましたとばかりに頷き、長々と説明してくれた。
「初めて見るような、巨大な犬がレースに参加したのよ。大人が上に乗れるような、こーんなでっかい、白い毛並みの綺麗な犬だった。だがよ、白い犬は勝てねえみたいなジンクスもあったし、ああまで身体が大きいと、いくら長い手足で直線に強くて迫力のある走りができても、小回りが効かないってのが普通でな、誰もが同じように思ったさ。ここの芝を走るには適してないってな。
性格も賢いかわりに穏やかそうで闘争心も乏しく見えたし、窮屈なコーナーでふくらんじまって、置いていかれて、後方ポツンの展開が予想されたんだ。――絶対に誰もあれが勝つと予想してなかっただろう。イモ洗いの堀に犬券を投げ捨てるようなもんだ……とか笑われてたくらいだ。
ところがどうだ。蓋を開けてみたら、早いのなんの。嵐のような走りで新記録を叩き出した。配当金も、とんでもない額になった。その白いお犬様が初登場の時に、村長は儲けたわけだな。
その後も出されるレース全てで快勝して、前代未聞の『強すぎる』という理由で引退。そんでもって、引退した後に、氷の魔法が使えるってことが明らかになったら、あれよあれよという間に神様扱いよ。オシェラート全土で、これまでの赤き装いの神への信仰に上書きして、氷の獣を崇めるようになったのさ」
この犬券師の言葉を聞いて、グレースの目が普段よりも輝きを増したように見えた。
「白い毛並み……走りが得意……大きくて、氷魔法……。やっぱり、リールフェンだわ」
グレースと別れ別れになっていたお友達の獣、リールフェンの手掛かりが、思わぬところで得られた。まさかレースに参加していたとは。
★
俺は借金をした。
犬券師の男が貸してくれたのだ。
今思うと、親切を装い、法外な利子をとられる契約を結ばされた気がする。こうなった以上、絶対に的中させなければならない。
背水の陣。
ここで失敗すれば、力づくで借金を踏み倒すなどの、英雄や大勇者としては全く相応しくない行動に出るほかなくなってしまう。
いや、ギャンブルで借金をしている時点で、もう英雄オリヴァーに顔向けできないくらい英雄失格だし、大勇者と呼ぶべくもない存在に成り下がっている気がするけれども……。
でも、なんとか的中させて、タマサが全壊させた村長屋敷の再建費用を稼ぐという責任を果たせば、ギリギリまだまだ英雄候補として踏みとどまれている気がする。
それにしても、どうすれば当たるのだろう。
もはや何をやってもダメな気がしてきた。
俺は、ほかの二人が水浴びに出かけていった時、ひとりレース場に併設された宿泊施設の部屋で、鏡の前に立った。そして、そこに映る自分の、疲れた目を見つめながら言う。
「頼む……神でも悪魔でもいい。未来の俺とかだったらもっといい。勝つ犬を教えてくれッ!」
鏡の中の俺は返事をしない。当たり前だ。返事をされたらこわい。いや、そういう、鏡の中の自分と対話するスキルとかも、もしかしたらあるのかもしれないけれど。
「ここで負けたら、俺は本当の負け犬になっちまう。……なあ、故郷のツノシカ村の人々は、本質を見抜く『曇りなき眼』っていうスキルを持った者たちが多く暮らす特殊な村だったんだろ。俺だって、そういう人の血を引いてるんだろ? だったら、俺にも勝てる犬券を見抜く特殊能力とか、芽生えてくれてもいいはずじゃないか。なあ? なんで……なんで俺は……スキルが無いんだろうな」
それはスキルが万人に発動するわけではないからだ。転生者の血を引いていたら、スキルが発現しやすいし、親の身に着けたスキルが受け継がれる確率はわりと高いという統計はあるようだけれど、絶対というわけではない。
犬券が当たらないんだから、せめて、かわりに何か有能なスキルが発動してくれやしないかな。なんてことを思った。
「心の底から強く望んでいるのに、スキルを得られないってのか。俺が英雄になるためには、見抜く力が必要なんだぞ。ちょっと未来のレースの結果を知るだけでいいんだ。どうか、明日のレース結果を教えてくれ」
鏡にひとしきり頼み込んだ後で、何やってんだろうなと呟き、硬いベッドに寝転んだ。