第30話 ギャンブル
俺は村人に尋ねた。
「この世界で、まとまった金銭を手に入れる方法に心当たりはあるか」
そしたら、村人は即答した。
「賭けレースっす。マドーショガーデンのレース場で、毎日行われています」
より詳しくきいてみれば、レースを走るのは、犬らしい。
というわけで数日後、俺はエシタゴンの隣にあった集落、オイヌソダテ沼に来ていた。
プレミアムとはこの世界の共通通貨単位だという話だが、俺たち三人は、百万プレミアムという大金を集金する必要に迫られている。新築だったエシタゴン村長の家を再建するための費用である。
世界を救わなきゃいけないから、この返金作業に長い時間をかけていられない。
一気に儲けるために、必要な情報を集めようというのだ。
そこで俺が選択したのは、オイヌソダテ沼の視察だった。
ここは、レース用の犬を訓練する場所である。犬に悪影響を与えないためという理由で、トレーナー以外の人間が接近しすぎることができないし、もちろん声も出してはいけない。あらゆる音を立てることも控えねばならない。
ある意味、俺たちが最初に降り立った聖地ナミナガ岬よりも厳重なマナーである。だが、それを守りさえすれば、犬たちが訓練するさまを見学することができる。
犬レースのルールは単純。獲物に見立てた模型を高速で逃げさせ、その逃げる模型を追いかける犬たちのスピードを競うものだ。
このオシェラートというロウタスにおいて、沼地での犬の訓練は、ぬかるみによって足腰が鍛えられるから良いとされている。特に根拠のない根性論か、どの犬が優秀なのか見えづらくして客を混乱させる作戦か、あるいは別の理由があるのだろうか。
ともかく、俺は沼地で懸命に走る泥だらけの犬たちを見つめ、よさそうな犬に注目し、目に焼き付けていった。
ちなみに、グレースとタマサは、別の方法で情報収集に励んでいる。
グレースは、タマサの土魔法で吹っ飛ばされた際に介抱した村人から、レースに関する裏情報の聞き込みを行った。タマサは、とことんデータを集めて、これまでのレースの情報を全て洗い出すことで、レース展開を予想するという。
村人の話によると、レース場に併設された宿泊施設は、遠方からの来客用に無料で開放されているらしいので、そこを拠点に活動することにした。
温泉や食事に関しては有料であるから、見事的中させた暁には、ここでほんの少しだけ贅沢をしてから、旅を急ぎたいと思う。
三人の力が合わされば、犬レースのギャンブルを勝ち抜くことなど容易いはずだ。
★
夜になり、もともと薄暗い世界が、さらに暗くなってきたので、俺たちはマドーショガーデンに向かった。
城を見下ろせる丘の上で、グレースは美しい城を指差した。
「みて、オリヴァン。面白いデザインのお城だわ」
石を積み上げてつくられた広大な敷地をもつ城は、多くの塔をもっていた。最も高い場所に、魔道書ってやつが安置されているから、この城内をマドーショガーデンという。
壁の上部はぎざぎざとのノコギリのようなデザインになっている。町一つ分という、かなり広い城壁の外周には水堀が張り巡らされ、その堀の中に、たくさんの人が浸かって流れていた。
それこそ赤髪の神が降臨したくらいの時代、大昔に作られた仕組みなのだという。水が清潔に循環されていて、昼間は住民たちの憩いの涼みスポットとなっている。
夜も深くなると、賭けに負けた者たちが風呂に入る金も惜しんで水浴びをする場所になるらしいが、俺たちにはきっと関係ないだろう。なぜなら、勝つからだ。
「あの光、なにかしら」
グレースは、紺色の空を見上げていた。真っ直ぐに伸びる、太い光の柱が見えた。ほんのりと赤みがかっていた。
はじめ、城から放出された光なのかと思ったけれど、よくよく見ると、城の向こう側にあるようだ。
光の根元が、神殿ということだろうか。それとも、また別なのだろうか。
揺るぎない光の帯は紺色の空から発せられているようでもあり、地の底から立ちのぼっているようでもある。昼も夜も、変わらずにある光の柱。
「ゆくゆくは、あの光のところにも行ってみることにしようか。でもまずは、レースで稼いでからだ」
マドーショガーデン城の広大な庭には、石造りの都会の町が一つ、すっぽり入っている。その中心地に近い区画に、空の広い場所があり、レース場があった。楕円状の芝生コースが中心になっており、そこを観客席が取り囲む構造になっている。
この荒れた芝の上を、毎晩、訓練を重ねた色んな犬種たちが駆け巡るのだ。大きいのから小さいのまで、本当に多様な犬が走るのだという。
俺たちは、投票券を握りしめ、観客席の一番高いところから、会場内に出て来た四本足たちを見下ろした。一レース目に発走予定の犬たちである。
「さあ、グレース、タマサ。さっさと資金を回収しようか」
★
最後のグループの犬たちが、目にもとまらぬスピードで通り過ぎていった。
「よかった。ヒヤヒヤしたけど、なんとかプラスで終われたわ」
グレースは当たったり外れたりだったが、最後のレースで二十倍以上の配当がつき、とりあえず村長から少し借りた資金のぶんは回収できた。三人の収支を合わせてもプラスになったわけだ。
しかし、俺はグレースが運よく予想を的中させているのを、素直に喜べなかった。
「ばかな……十レースもあったんだぞ……。全部、かすりもしないだと?」
八匹くらいしか走らないのに、俺が訓練所の沼地で目をつけていた犬たちは、どれも犬券内に絡んでくることはなかった。勝利できないどころか、三位以内に一匹も入ってこなかった。
そして俺のすぐ横にもう一人、落ち込む娘が一人。
「データは嘘をつかないはずなのに。惜しい結果ばっかりッ。だいたい上位にくる犬には、ハウンドなんとかだとか、ウィペットなんとかって名前がついていることが多いから賭けまくったってのに、今日に限って来ないなんて」
タマサも両手で頭を抱えて座り込んでいる。泣いているのかもしれない。
二人とも、全てのレースで予想を外すという醜態をさらしたわけである。
とりあえず、グレースのおかげでプレミアムというこの世界の通貨を得られたので、夜食としよう。魚料理や肉料理は高価すぎて無理だから、また今日も根菜を中心とした食事になった。
小麦をのばして固めたようなものを焼き、そこに色とりどりの根菜を挟んだもので、わりと美味い。味付けが濃い目だったからだろうか、どこか都会的な味だと感じた。
さて、俺たちは、レースが終わって熱狂が過ぎ去った後の観客席に座って、並んで食事としゃれ込んでいたのだが、そこに来客があった。
「ニイちゃん、ここは初めてかい? だいぶ、もってかれたみたいだが」
「あなたは?」
「オレは、ここで犬券師をしている者だ」
「犬券師?」
「おめえ、昼間、オイヌソダテ沼にいたろ? あんな所の訓練だけを見て賭け犬を決めるなんてのは、ナンセンスだぜ。見てみろ。このコースのどこに沼がある?」
言われてみれば、確かに芝が広がっているばかりだった。
「それとな、いくらデータを調べ上げたところで、実際に走るのはデータじゃあねえんだよ」
この言葉は、タマサの胸に突き刺さった。
「犬の真の実力や血統や性格や心身の調子を的確に見抜けなかったら正しい予想は出て来ねえのよ」
犬の性格や調子ってのは、グレースが重視して情報を集めていた要素だった。
つまり、今日の敗因は、三人がバラバラに賭けを行ったからかもしれない。
だったら、それぞれが持ち寄った情報をもとに、賭け犬を一本化できれば、勝利の確率が高まるのではないだろうか。
大きなヒントをもらった。明日は勝てる気がしてきたぞ。