第3話、地上の緑
風の行方を追いかけたら、人工的に掘られたと思われる道があった。道はぐるぐると螺旋状にのぼっていた。
俺は彼女の荷物を背負いながら、炎を出していないほうの彼女の手を引いて、優しい追い風に吹かれながら進んでいく。
「まだ消えないわ。もう何分も経つのに。すごい。私の身に何が起きたのかしら」
「いつもは、すぐに消えるのか」
「ええ。私の世界にいた頃の最高記録は、記録にも残せないくらいの一瞬だけ小さくて弱い炎が出ただけだったの。ああ、魔法の先生に見せてあげたい。どうだこの炎は、あなたより上手くできるぞってね」
「グレースのいた所では、魔法が大切だったんだな」
「いえ全然。魔法なんて、とうの昔に捨てられた技術よ。炎の魔法だけは便利だから一般にも伝えられてきたけれど、普通の人間で魔法を身に着けようなんて思う人は少ないわ。ただ、私のような立場の人間には、奇跡を起こせる力が必要だからということで、魔法は厳しく教え込まれたの」
「グレースってどういう立場なんだ? 奇跡を起こす力が要るなんて、女神様でもやってたのか?」
笑いながら冗談っぽく言ったのだが、なんと彼女は頷いた。
「似たようなものね。王女なのよ」
「へぇ、王女か……って王女ゥ?」
「姫と言ったほうが通じるかしら」
「ほ、本当に……? お姫様……?」
思えば、さっき荷物を広げていた時に、質素な王冠のようなものも見た気がする。
「でも気にしないでオリヴァン。私が王女なのは、私の世界での話。マリーノーツでの私は、生まれ変わったみたいなものだから、どうか普通に接してほしい」
そう言った彼女の瞳は少し憂いを帯びていて、どことなく寂しそうだった。
もしかしたら、もとの世界で、他人と仲良くやれていなかったのかもしれない。
もしも、周囲の人々が、「この子は王女だから」という理由で距離を置いていたとしたら、きっと寂しかったことだろう。
そして、たしかに彼女の言う通り、彼女の世界での人間関係は、この世界では関係ない。
俺はただの人間で、彼女はただのエルフなんだ。
彼女の手はしっとりとして冷たいけれど、それでも確かな体温がある。王女である前に、グレースはグレースなんだと思う。
「むかしね、カゲで色々言われたんだ。『王女様ときたら、炎魔法ができないどころか、王族の証である氷の魔法すら満足に操れない。父上様が気の毒だ』とかね。そういう境遇だったからかな。学問所でも友達ができなくてね。本ばかりを読みふけっていた」
どうしよう。重い話な気がする。話を変えたい。今すぐ出口でも見えれば重い話は終わるんだろう。でもまだまだ出口は見えず、グレースは話をやめてくれなかった。
「オリヴァンは、会ったばかりなのに、なんだかすごく話しやすい。こんなことを聞いてくれる人、今までいなかったからかな」
「そうかもな」
「ただね、本を読むっていうのは、私にとって現実逃避じゃなかったわ。私なりに、私にできることを探した結果だった。そして私は、倉庫の奥で、私にしか読めない書物を発見したの」
「それが、さっき大事に抱きしめてた紙束か」
「そうよ。私にしかできないことを見つけたのは、自信になったのだけれど、読み進めていくうちに、そんな小さなレベルのものではないことを知ったの」
「何が書かれていたんだ?」
「世界の秘密。世界の終わり」
「終わりなんてあるのか?」
「『氷にとざされ、白き天に覆われる日々が続けば、間もなく滅びが訪れる。』それが古文書にあった予言。それは……白い天っていうのは……まさに私の世界そのものの姿だった。このことを明らかにして、人々を導くのが自分の役目だと思った。
亡くなった祖父が、いつも言っていた。『人を導ける存在になれるよう、精いっぱい生きなさい』って。
私は鼻息あらく立ち上がったわ。自分で訳した古文書を持って、別世界に続くとされる西の大河を目指したの。その大河はすっかり氷に鎖されていたけれど、四本足の友達が、私を乗せて氷の上を駆け抜けてくれたの」
「そして落ちて来たと」
「古文書には、『断崖をおそれてはいけない。世界の果てに辿り着けば、常人の目に見えない坂道があらわれ、安全に下の世界に行ける』って書いてあったんだけど、私が道を間違えたんだと思う。そんな坂道は無かったわ」
「その古文書っていうのは、信用できるものなのか? こう言うと怒られるかもしれないが、盲目的に信じるのは危険なんじゃないのか? 古文書の記述が間違ってた可能性だってあるだろう?」
「たしかにそうね。わからないわ。でも、安全な坂道はなかったけれど、下の世界が実際にあって、マリーノーツという都市が実際にあった。これは古文書に書かれていたこと。だから、信じられるものだと思う」
マリーノーツというのは、今や都市ではなくこの世界全体を指す言葉だ。エリザマリーという赤髪の人が王であった時には、実際にその名前の王都があって、かなり栄えていたようだ。しかし今はもう、度重なる戦乱によって焼失しているという。
だとするなら、エリザマリーが王であった時代の前後に、誰かがグレースの世界に行ってこの記録を残したのだろうか。
もしくは、見破る系のスキルを使った結果だろうか。
これは聞いた話だが、俺が暮らしているツノシカという村には、むかし、視覚に関する特殊能力を持つ者が多く暮らしていた。主に偽装スキルとかを見破る目を持った者たちが多く集まっていたという。
そういう、見破る系スキルの中には、過去や未来を見る能力もあったというし、遠く離れた場所で起きていることを見通す能力もあったらしい。
いずれにしても、本当にグレースが別の世界から来たのだとして、その古文書がどういう内容なのか、確かめておきたいと思った。
「グレース、よかったら、その古文書の内容を詳しく教えてくれないか?」
「いいわよ。でも、長くなるし、座って話がしたいわ。おいしいお茶でも飲みながら」
ふと、土のにおいがした。緑のにおいがした。そこから少し歩いたら、出口の光が見えてきた。
「行こう」
俺は彼女の手を引いて、地上へと踏み出していく。
★
「すごい! こんな鮮やかな植物がこんなにたくさん! 見たことないわ。信じられない!」
グレースは、肩甲骨までのびる白銀の髪をなびかせながら、芝生の上を駆け回った後、服が汚れるのを気にすることなくごろごろと芝生の上を転がった。
「色んな鳥が、あんなにたくさん、元気に空を飛んでいる。なんて素敵な世界なの!」
空の色よりもずっと深い青色の服は、ゆったりしていて、ふわふわと風に揺れていた。
明るい場所で見てみると、グレースは思っていたより遥かに美しい女の子だと思う。
エルフだから人間離れした美しさがあるのかもしれないと思ったが、それにしたって魅力的すぎる。
澄み渡る青い瞳も、白銀の髪も、尖った耳も、白い肌も、細い身体も、緑の中ではしゃいだ後に空を見つめる姿も、何もかもが好ましく感じられた。
もしかしたら俺は、グレースに出会うために生まれてきたのかもしれない。
グレースと離れたくないと思った。たとえ彼女が身分の高い人なのだとしても、たとえエルフが長命で、俺のほうが早く消えるのだとしても、ずっと一緒にいたいと思った。
俺はグレースの横に座り、寝転んだままの彼女に語り掛ける。
「グレースの世界は、どんなところだったんだ?」
「白」
「え?」
「さっきも少し言ったけれど、真っ白の世界だったわ。何不自由なかったけれど、世界全体が雪と氷に鎖されて、いつも冷たいものが空を覆っているところだった」
「なるほど、それで厚着だったんだな。どこもかしこも寒かったのか?」
「そうね。みんな、青い空があるなんて知らないで過ごしてるし、それが当たり前だって思っていたくらい。けど、私はちがった。古文書が読めたから。だから、こうして空とか緑とか鳥とか、鮮やかなものを実際に見ることができて、最高に幸せな気分」
「人々は限られた場所でしか暮らせないようになっているわけか」
「ここは、そんなことないのよね」
「…………」
俺は彼女から目をそらし、沈黙を返した。
「ねえオリヴァン。もっとこの世界のことを教えて!」
彼女が起き上がって言った。期待に目を輝かせながら。
けれども、俺は、すぐに彼女の期待に応えることはできそうになかった。
「ごめんな、グレース。実は、俺もあまり村の外を知らないんだ。冒険者や転生者をやってた者たちが多く集まる村だったから、色んな話を聞いたことはあったし、本も読んでいるけど、この目で実際に世界を見てきたわけじゃないから」
「そう……。でも、本の知識や聞いた話でもいいわ。はやく知りたい! 私、この生き生きとした美しい世界が好きになれそうなの!」
「じゃあ、俺の家に行こうか」