第25話 神である証
褐色の女に連れられて、リーダー的な男の前に立った。
顔のかなりの面積がヒゲで覆われ、上半身裸で、下は分厚い布を使った作業着で、威圧的に股を広げ、どかりと岩に座っている。この男のそばに置かれているハンマーは、他の壁画職人たちが持っているものよりも遥かに大きく、重たく、硬そうである。
岩を加工するというよりかは、その前段階で岩を割って壁面を作り出すような仕事をしているのではないかと思えた。
「おいオリヴァン。なんかこいつ、山賊みてーだな。視界に入っただけでゴミみたいに焼却したくなるんだが、やっちゃっていいか?」
話も聞かぬうちに見た目だけで燃やすなんて、そっちのほうが賊じみてるだろう。
「落ち着けタマサ。まずは相手の出方を観察するのだ」
さて、強そうな男は言う。
「神だって話だがよぉ、言い逃れじゃあねえのか。聖地で口を開いちまったから、その言い訳に神を騙ってんじゃないだろうなぁ?」
さっそく疑われている。そしてだいたい合っている。タマサを神に設定しておいてよかった。
ここが俺の手腕の見せ所である。
英雄オリヴァーも、窮地に立たされたとき、数々の機転で状況を打開したという。知恵の面でも彼は英雄なのだ。俺も、そこに追いつかなくてはならない。
「グレース。魔法を見せてやれ?」
「えっ? 私が? なんで?」
「まずは、弱っちい炎でも見せてやれ。その後でタマサの魔法を見せたほうがインパクトが強いだろ」
「その言い方、ホント頭にくるなぁ」
プライドの高いグレースはボヤキながらも、俺たちのために魔法を放ってくれた。
「――掠め取られた炎に非ず、地底に叫ぶ業火に非ず、清き我が煌きを以って、層雲を散らし、澄み渡る殻に見えん……マクシマムフラム!」
この呪文詠唱は間違っているのだという。意図的に崩されたか、誤ったまま伝わったのかは不明だが、本来の威力は発揮できず、小さな炎が彼女の手の上に灯るだけのもの――のはずだった。
燃え上がった激しい炎。
グレースの頭上にまで立ち上る大きな炎は、一瞬で洞窟部屋の温度を高めた。
「きゃっ!」
グレースは自分の出した炎に驚いて、後ずさった。そこには俺の身体があった。
予想外のことが起きたため、俺は彼女を支えることに失敗した。
俺に弾かれたグレースは、激しい炎を手に宿したまま、ヒゲのリーダー男のところに突っ込んだ。
びっくりしている男のヒゲを、じりじりと燃やし続けている。何が起きたのかわからない様子だ。
ああそうか。グレースの魔法がマリーノーツよりも強力な形で発動したのは、この暑い赤土の世界がマリーノーツよりも強い魔力に満ち溢れているからだ。
計算外だった。
俺は、やばいと思った。
いきなり炎魔法で攻撃なんてしたら、さすがに巨大ハンマーで反射的に反撃してきてしまうんじゃないか。そうなったら俺やグレースが危険だ。相手の力量もわからないわけで、タマサさえも危険かもしれない。
何とか切り抜ける口車を用意しないと!
そこで俺は閃いた。悪いのは相手で、自分たちは何も悪くないことにする方法を。
「か、神を試すなどというのは限りなく不遜な行為である。この程度で済んでよかったな!」
頑張って強く言い放ってやった。
もう賭けである。これが通用しなかったら、間違いなく戦闘になる。
俺はタマサに耳打ちして、次の言葉を言わせた。
「わっちは、この小娘よりもはるかに高威力の魔法を放てる。消えたくなかったら、わっちに逆らうな」
少し慣れてきたのだろうか、けっこう威厳のありそうな雰囲気を出せていた。
「申し訳ございませんでした! 神!」
部屋にいた壁画師集団は、一人残らず地面に手を突き、平伏した。
タマサは、その光景を見下ろして、なんだか気分よさそうな笑みを浮かべていた。
★
洞窟の最も奥にある神聖な部屋は、三人が眠るには広い部屋だった。
そこは、以前に赤い服の神様が降り立った時に連れ添っていた男とともに寝泊りをしていた場所なのだという。
グレースが頭上の岩を見て、長い耳をしおれさせ、「崩れてきそうで、心配だわ」と呟いたとき、俺たちを案内してくれたヒゲが焼け焦げた男は、巨大ハンマーを右肩から左肩に担ぎなおしてから言う。
「安心するんだ神よ。ちょっとやそっとのことじゃ、この黒い洞窟は崩れやしない。削りに適してる外の岩とは違って頑丈でよぉ、崩れてくる心配もまず無いのさ。だから、おれら壁画職人は、ここを根城にしている」
どうやら、ヒゲを焼かれたことは全く怒っておらず、いろいろなことを教えてくれそうだった。
「ここは外より涼しいが、外はいつもあんなに暑いのか?」
「ああ。最近じゃ、炎の力がおそろしく強まっちまっているからなぁ。さすがに神でも暑すぎたか」
考えてみれば、紺色の空にかかる炎の星――太陽とかいったか――はこの低いロウタスではむしろ遠くなっているはずだ。熱源から遠ざかっているはずなのに、なぜここは、こんなにも暑いのだろう。
それに、エルフの最長老の遺言には、炎が弱まっているから炎を灯せ、みたいなことが書かれていたはずだ。炎が弱まっているならば、この世界も寒くなっていないとおかしいが、ハンマー男はむしろ炎が強まっていると語った。これは一体どういうわけだろう。
手掛かりが少なすぎて、まだよくわからないな。
「冬とかはないのか? 雪が降ったりだとか」とタマサ。
「冬? 雪? なんだそれ」
そんな言葉が存在しないほどに、このロウタスは常に暑い世界なのだ。四季のあるマリーノーツとは違うということだろう。
ハンマー焦げヒゲ男は少し考え込んだ末、
「氷みたいなもんか?」
「氷は存在するのか。そういう氷をつくる技術があるのか?」
俺も気になったことを質問してみたところ、男は次のように語った。
「いや、古い伝承でな、氷っていう、冷たくてしばらく消えない岩を魔法で作れるって話だ。噂じゃ金持ちの家には配られたりするらしいが……おれも見たことがないし、なんなら、つい最近までそんな冷てえ岩が実在するなんて考えもしなかった。
その存在を信じられるようになったのは、沼地のほうで、神が降臨したからだ」
「神? ええと、俺たちの他にか?」
「ああ、その奇跡の氷を生み出す魔法を放てる神様が発見されたんだそうだぜ。今じゃ新たな最高神として、神殿に祀られてるって話だ。その関係で、おれたち壁画師のとこに、『新たな神を彫れ』って緊急の命令が来たんだ」
そこでグレースは外の壁画を思い出したのだろう。壁画に描かれていた、イヌ型の獣を。
「もしかしてそれは、イヌの姿をしていた?」とグレース。
「おう、長い耳の神様の言う通りさ。名前は、まだ決まってなかったようだがな」
「リールフェンかもしれない」
俺はグレースが知らない単語を口にしたので少しだけ戸惑ったが、
「それがお友達の名前か」
俺がそう言ってやると、グレースは深く頷いた。
ハンマー男も納得の表情を浮かべる。
「なるほどねぇ、神様のお友達だったか。つまりあれだ、あんたら神様がここに来たのは、そのお友達のお犬様が逃げ出したんで、探しに来たってとこか」
けっこう違うけれど、詳しく説明する必要もない。ひとまず「ああそうだ」と同意しておこう。