第24話 ナミナガ岬
降り立った赤土に覆われた場所で、あいさつ代わりに犬に手足を噛まれた後、俺たちは、その場所が壁画を制作する場所だということを理解した。
周囲を見てみると、多くの岩に絵が刻まれている。見事な彫刻が、そこら中に転がっている。
そしてまた、岩を削っている壁画作成者も一人ではなく、たくさんの壁画師と思われる人物が、黙々と自分の作品を完成させるべく手を動かしていた。
無言で。
誰一人として一つの言葉も口にしない。
この場所では喋ってはいけないとか、そういう厳しいルールでもあるのだろうか。
そもそも何のために、この壁画がつくられているのだろうか。
誰も相手にしてくれないので、とりあえず出血を止めるべく、小舟に戻って荷物の中から医療道具を取り出した。医師シンシアさんから念のためにと渡されたものの中には、淡い緑色に輝く包帯がある。
この包帯は特殊なイトムシの糸を編み上げたもので、霊妙な力をもっている。巻けば傷をあっという間に癒してくれる。よほどの重傷でもない限りは、一瞬でも巻けば治るわけで、これを巻き続けている必要はないのだ。しかも、何度でも使える素晴らしいアイテムなのだ。
と、心の中で抜群の効能を述べている間に、もう傷はふさがってしまった。
俺は淡い緑に輝く包帯を外し、持てるだけの荷物を抱え、グレースとタマサのもとへ戻った。
「グレース、タマサ。無事か?」
グレースは頷き、「オリヴァンも、大丈夫そうね」と言って、再び壁画を眺めはじめた。
「壁画には、ストーリーがあるみたいなの。興味深いわ」
タマサも壁画たちを見て、感想を述べる。
「どうも、描いてあったものの上に、新たに何かを描き足しているみたいだね。どの絵も、太陽みたいな炎の星を表すものの頭上に、動物の絵を描いてるみたい」
「私の友達に似てる……」
グレースの友達というと、一緒に落ちてきて生き別れになったと思われる巨大なイヌ型の獣のことである。オオカミとかいったか。たしかに、この壁画は猫よりかは犬っぽいシルエットだ。
「わっちも気になるね。どういうことか、きいてみるか」
タマサはなるべく優しそうな壁画師を選んでたずねた。薄着の女性。褐色の肌は日焼けが原因だろう。その証拠に、肩ひもの形に色が薄い部分があった。
「この絵は何をあらわしてんだ? 神様の絵か? 炎の化身と、それを抑え込む獣っぽい絵に見えるけども……。だったら、わっちらのロウタスとは、ちょっと違うな。わっちらのマリーノーツってところは、水のドラゴンを祀ってんだ」
しかし、腕まくりした壁画師の女性に反応は無かった。振り返りさえしない。やはり、言葉が通じないのかもしれない。
タマサはやれやれといった様子で、グレースに話を振る。
「グレースのとこは、何を信仰してんだ? やっぱ炎か?」
「信仰? いえ、あるとすれば、王家とともに栄えようという目標があるくらいで、あとは、青い服が神聖なものとされて王家しか身に着けられないけれど、どういう理由なのかは不明だわ」
「マリーノーツで青い服ってーと、ハーフエルフを象徴するもんだな、そのへんと関係あるんだろうけど、詳しくはわからないって感じか」
話が脱線しておる。
壁画の話から、どうしてそうなる。
俺は軌道修正を試みるべく、もう一度、壁画職人に声をかける。
「なあ答えてくれ。なんで、そこらじゅうの壁画で、みんなして、この獣を書き足してるんだ? 俺にかみついた奴らと関係あるのか?」
やはり返事がなかった。
もしかして、実は降り立ったつもりだけどそれが完全に夢で、実は俺たちはすでに死んでいて、魂だけの存在になってしまっているから相手から見えない……なんて、そんなわけないか。
「やっぱ言葉が通じないのか」
その時である。
ゴォン、と腹に響く音が鳴り響いた。大きな金属を叩いたような音だ。壁画師たちは顔をあげると、その後、数回響いた音の余韻が消えた後に、一斉にぞろぞろと歩き出した。
「なんだ? 何かの合図か?」
壁画師たちは小さなハンマーを片手に、列をなして同じ方向に歩いていく。
少し色の違う、大きな黒い岩のほうに吸い込まれていくのが見えた。黒い岩はくりぬかれているように見える。大きな洞窟の入口になっているようだ。
「かなり不気味だし、不安しか無いが、ついていってみるか」
「それしかなさそうね」
とにかく、ここはどこで、次に何をすればいいのか、手掛かりが欲しい。危険を承知で、俺たちは壁画師たちに続いて、黒い闇の中に足を踏み入れた。
★
洞窟内は、薄い明かりで満たされており、涼しく、割と快適だった。
「あなたたち、何なんだい?」
黒岩の洞窟に足を踏み入れるなり、壁画師の一人は言った。怒っていた。俺たちを待っていたようだ。さきほど話しかけた浅黒い日焼け肌の女性だった。
言葉が通じるようだ。
薄着の女性は続けて言う。
「この聖地ナミナガ岬の空の下では余程のことが無い限り、口を開いてはいけないし、声を発するなど有り得ない。神聖な場所での振舞いは常識だろう」
「知らなかったのはすまない。謝る。でも、俺たちは、この世界の人間じゃないんだ」
「……さっきのすごい音は落下物の衝突した音か。なるほど、たしかに、見慣れない服着てるけど。暑くないの? 特にそっちの、赤い服を着ている方……分厚い生地……見てるだけで暑苦しいわ」
しかし、タマサは言うのだ。
「まだ余裕で我慢できるレベルだね。そして、わっちレベルになれば、いざとなったら微弱な風を送って服の中を換気することで、熱さを和らげることができる」
「さすが魔術ギルドの大師範様だが、一人だけ涼むとは、ずるいやつ」
「オリヴァンとグレースにも教えてやろうか? 扱うには才能が必要な、けっこう難しい風魔法だけどな」
タマサが言ったとき、褐色の薄着女は目をむいて驚いた。
「魔法! あなたたち、魔法を使えるの?」
すぐさまタマサの手を握った。驚きの中に、期待や嬉しさみたいな感情が読み取れた。
「なっ、なんだい急に」
「魔法が使えるということは、神様なのね。赤髪でこそないけれど、赤い服を着ているから、そうかもしれない! どうぞこちらへ。粗末な岩の椅子しか無くて申し訳ない」
突然に神様扱いされてしまったので、タマサは拒絶の雰囲気を出した。
「わっちはそういうんじゃねえぞクソが」
明らかに怒っているのを見て、女の人は地面に手をつき、伏した。それが、この世界での、従順を示す姿勢のようだ。
「申し訳ない。何とお詫びしたら良いか……」
タマサには悪いけれど、神扱いされる展開は、そんなに悪くないのではないか。
俺はタマサの派手な赤い服の裾を掴んで引き寄せ、耳元で囁く。
「話を合わせて神扱いされてくれ」
「はぁ? わっちはそんなのとは程遠いだろーが」
「いいから。情報なんか好きに手に入るだろうし、何より敵対されることも少なくなるだろ? また俺が番犬に手足を噛まれてもいいのか?」
「そんなのシンシアからもらった包帯で何とかなるだろ? 存分に噛まれろ。神とか言われたら、わっちのストレスが半端ない」
「世界を救うっていう目的のためなら、そのくらい、どうってことないだろ?」
「じゃあオリヴァンが魔法使って神になれよ。わっちがお前の身振り手振りに合わせて魔法発動すればイケんだろ」
「いや、いざという時に、一人で魔法が使えると証明してみろとか言われたらさ、神を騙ったことにされて何されるかわかったもんじゃない。どうも信仰が強そうだから、そんなリスクは負えない」
しばらくコソコソ話の応酬を続けたところで、褐色の女性が不安げに呟く。
「何か気に障ることをしてしまったのかな。かつてこの地に降臨された神さまも鮮やかな赤い服だったというから、そうかと思ったのに」
「ほら、疑われはじめたぞ、タマサ、名乗るんだ。『わっちが神じゃよ』と名乗れ」
「しつっこいぞクソガキ。自分が名乗ればいいだろ」
「いや、俺は服が赤くないから駄目だ。あとさっきも言ったけど、魔法が使えない」
「じゃあ、わっちがオリヴァンを血染めにすればオリヴァンが神だろ」
「おいタマサ、冗談でもそんな恐ろしいこと言うなよ……」
「わっちじゃなくて、グレースはどうなんだ?」
「グレースは魔法の威力が足りないから、いざ力を証明しろと言われたら、まずい展開になるかもしれないだろ」
グレースも自分が話題に出たことでコソコソ話に参戦してきた。
「オリヴァン、その神様のフリをするっていうの、私でもイケると思うわ。私の魔法もそれなりだもの」
「それなりのレベル程度じゃあ神として信用してもらえない瞬間が訪れそうな予感がある。だから、ここはタマサが神だ」
「わっちが何者かなんて、わっちが自分で決めるよ。わっちに指図するな」
「わからないヤツだなぁ、タマサは」
「やるってのかい、オリヴァン」
なかなか話がまとまらないどころか、また俺とタマサで一触即発の状況になった。どうしたもんかなと思ったが、褐色の壁画師の次の言葉が、一気に事態を進ませた。
「神様じゃないのに聖地ナミナガ岬の空の下で口を開き、言葉を発したとなると……みんなで殴って殺害するのが鉄の掟なんだけど、本当に神様じゃないの?」
「――わっちが神じゃ!」
「そっちの二人は?」
「わっちの子分の神々じゃ!」
タマサと俺とグレースも、三人まとめて神になった。