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ケイオスブラッド ~暗渠の一滴~  作者: 黒十二色
第二部 今は灼熱のオシェラート
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第23話 イヌと陽光と壁画

 陽の光が遠いせいだろうか。昼間だというのに、どこか薄暗い世界だった。


 現地の人間は穏やかだろうか、そもそも人間などいるのだろうか。


 三人で舟から降りた。


 俺は手ごろな岩に座り込み、タマサは大規模な魔法を撃ったことで疲れたのか、きれいな服が汚れるのも構わずに地べたに寝っ転がり、グレースは白っぽい上着を脱いで青いワンピース姿になってから、涼しい場所を探してうろうろし始めた。


「どうなんだろうな、ここに誰か住んでたりするのかな。上空からみえたのは、植物も少ない赤土の世界だった。そんなに豊かな場所だとは思えないが」


 俺の言葉にすぐに反対したのはタマサだ。


「いや、オリヴァン。魔法が使える人間にとっては、ここはものすごい強い力に満ちてる。ただ強すぎだし、方向性が定まっていないしで、混沌としてるけどな」


 そしたら、グレースが、まるで怯えるような震えた声で言うのだ。


「じゃ、じゃあさ……モンスターとかも、凶暴で獰猛だったりするのかな」


「ん?」


 グレースが曲がった指で指し示すほうを振り返ると、そこには……。


「グルルルルル」


 なんか唸っている大きめの野犬がいるんだけども。


 しかも、それは一匹じゃない。妖しく光る瞳が、二十か三十か、すぐには数えきれないほど、いくつもあった。


 ――やばい。


 俺は勢いよく立ち上がり、グレースを引き寄せ、かばうように前に出た。か弱いグレースや、疲労困憊のタマサに近づけさせるわけにはいかない。


 身構える。


 大勢で同時に飛び掛かられたら、二人を助けられる気がしない。そもそも、俺自身も助かる自信が全くない。マリーノーツにいる激よわな犬型モンスターとは明らかに迫力が違う。マリーノーツの草原ワンちゃんなら俺でも何とかギリギリ勝てるけど、ここのヤツらとは一対一で戦っても勝てる気がしない。


 さっそく新世界の洗礼を浴びようとしているわけだが、どうにかしてこの危機を回避し、三人の安全を確保しなければならない。


 ならないというのに、ああ、どうにもならない。


 ついに、一匹の野犬が俺に攻撃を仕掛けようと駆け出した。


 (さい)は投げられた。後戻りなどできない。


 俺は野犬の集団に向かって、腹の底から声を出す。


「来い! 犬ども!」


 それで余計に犬たちの戦闘態勢は強まり、二匹、五匹、十匹と、次々にガウーと叫びながら飛び掛かって来た。


 冷静に犬の鼻っ柱でも叩けば大人しくなると思った。どんなに数が多くても、一匹がやられたら引いてくれるんじゃないかと切望した。


 一匹目に拳を叩きこもうとしたのだが、野犬の口は大きく開き、その拳が逆にとらえられる。刺さる牙。


「あぐぁああ!」


「オリヴァン!」


 悲痛なグレースの叫び。俺が傷ついたことで心配して声をあげてくれた。


「わっちは、もう少しかかる。粘りなよ、オリヴァン」とタマサ。


 強い魔法を放ってガス欠のタマサが出る幕なんか無いぜ、とか格好つけたかった。でも、心の中ではもう、はやくたすけてタマサねえさん、と叫びたかった。だって手を噛まれて痛いんだ。獰猛な野犬が離してくれないんだ。


 いや、こんなとき、俺の中の英雄オリヴァーならどうするだろう。


 絶対にあきらめないはずだ。まして、犬を相手に逃げたりなんかするわけない。


 誰か強い人にすがるなんて情けないマネをするはずがないじゃないか。


「うおおおおおおお!」


 俺は腕を振り回す。


 白い牙が拳にめりこんで激痛が走る。今度は別の野犬に足を噛まれたが、


「痛くない!」


 歯を食いしばって言い張って、足に力を込めた。


 本当は痛い。泣いて逃げたい。


 でも、犬ごときを相手に精神的優位にも立てないようでは、英雄オリヴァーの影すら踏めない。


 どこにでも噛みついてみろ、いくらでも引っ搔いてみろ。


 全部我慢してやる!


 すべては英雄オリヴァーに追いつくために。そして超えてゆくためにだ。


 十匹以上で群れを成していた犬は次々に攻撃を仕掛けてきたが、痛みとひきかえに全て受け取ってやった。


 やがて一匹が群れから外れ、岩陰へと消えた。


 何なんだろうなと痛みでぼんやりしてきた頭で眺めていると、岩陰からヌッと毛深い上半身裸の人間が出て来たではないか。身体はそんなに大きくはなく、顔はヒゲに覆われており、手には釘を打つような小さな金槌を持っている。


 野犬だと思ったが、もしかしたら番犬だった?


 これからが本番で小型ハンマーもった男と戦うことになる?


 色んな可能性が考えられた中で、ハンマー男は指笛をピュイと鳴らしたのが見えた。


 何が起きるのかと緊張したが、これまで俺に思い切り噛みついていた獰猛な犬たちは噛む力を次第に弱め、やがて俺から離れて、金槌男のところへ駆けていった。


 そして、男を中心にした群れは岩の向こうへ消えていき、俺が血が流しただけに終わった。


「いや、えっ」


 冷静に事態を整理しよう。


 俺は犬に噛まれまくった。犬は毛深い人間の指笛に従った。犬は野犬ではなかったことになる。飼い主と思われる人間は、俺を噛んだ犬たちを引き連れて俺の前から消えていった。


 これは……これはさ、轢き逃げみたいなもんじゃないだろうか。


 俺の流した血に対する敬意が、全く払われていないんじゃないか。


 果たして、飼い主の行動として、許されることなのだろうか。


「ちょっと! 待ちなさいよ!」


 俺より早く、グレースの頭に血が上った。


 金槌男を追いかけて、捕まえて、謝らせようというのである。


 俺とタマサもそれに続いた。


  ★


 岩の向こうに着いたとき、グレースは男を押さえつけるでなく、殴りつけるでもなく、謝るよう説得するでもなく、ただただ岩肌を眺めていた。


 男は木製のハシゴを足場にして、オレンジ色の平面状の岩壁に向かって、小さなハンマーを振り回し続けている。


 それを、すっかりおとなしくなった犬たちに囲まれたグレースが見上げて、見とれている光景があった。


 俺も岩肌をみた。


 壁画だ。


 大きな円の中に、いくらかの模様が刻まれ、深く根を張る樹木が描かれている。


 まだ製作途中のようだったが、俺たちがもといたマリーノーツにあった世界樹リュミエールっていう樹木型の建物に、よく似ていた。


「すごい」


 グレースは犬たちを叱ることも、金槌男に文句を言うことも忘れていた。


 もしも、紺色の空からダイナミックに滑り落ちてきた俺たちの小舟が、脆そうな岩壁に勢いよく突っ込んでいたらと思うと、少し背筋が寒くなる。


 もしそんな破滅的なことになれば、何日も、いや、何年、何十年とかかっているかもしれない。それほどの芸術的大作を、この世から葬り去ることになってしまっていたからだ。


 だからといって、俺の流血沙汰がただで済むと思ったら大間違いだけどな。


 なんとか不満を伝えなくてはならない。


 俺はハッキリと言ってやる。


「そこで群れてるのは、あなたの犬だろうか? 腕とか脚とか、だいぶ酷いことになったんだが、この赤いのが見えるか?」


 男は返事をしなかった。言葉が通じないのだろうか。


 無理もない。俺たちは、遥か上のほうにあるロウタスから、かなりの距離を落下してきたのだから。


 発声法も違ったりするかもしれないし、そもそもコミュニケーションとして言葉を用いない者たちかもしれない。


 だから、ジェスチャーなどを交えて、シンプルな言葉で、語気を強めて怒りを表現してやる。


「アナタノ! イヌニ! カマレタ! イタイ!」


 やはり通じないのかもしれない。反応がない。


 こうなってくると、人の形をしていても、実は人じゃないのではないかと思えてくる。


「困ったな……どうしようか、グレース、タマサ。どうも話が通じないっぽい」


 しかし、二人は返事をしなかった。


 別の壁画を見上げて鑑賞していたからだ。





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