第22話 根本のロウタス
「なあ、オリヴァン、グレース……。わっちがいなかったら、どうする気だったんだ?」
「……いや、なんとかなるかと思って。な、グレース」
グレースは答えない。いや、答えられないのかもしれない。
その時、俺にはグレースの表情を確認する術がなかった。
タマサは深く溜息を吐くと、
「クソみたいな計画性のなさだな」
返す言葉がなかった。
★
俺たちは落下した。三人で、小舟ごと落下した。
突然だった。
タマサに旅立ちの理由をたずねた銀龍の砂浜をこえてから、危険運転のタマサも操縦に飽きて俺にオールを譲り、グレースの操縦体験とかもあり、二度の夜を超えて朝日を見たあたりで、ざわざわと滝のような音がきこえてきた。
大量の水束が世界の果てから落ち続けているようだ。
「おいグレース、タマサ、起きろ。そろそろ世界の果てだぞ」
しかし二人は眠ったままだ。ぐっすりだ。声をかけたくらいじゃ起きない。
あるいは、滝の音に俺の声が打ち消されてしまったのかもしれない。
俺は、どこか停泊できる岸を探した。
万全の準備をして、次の世界へ飛び込みたかったからだ。
しかし、手ごろな陸地なんてないし、縄を引っかける岩場もない。
その上、急に速さを増した水流が、舟を滝へと吸い込んでいく。
「ちょっ、これはまずい。グレース! タマサ! 起きろ!」
そう言った時にはもう、宙に浮いていた。
視界がスローモーションになる。
これは死んだかもしれない。
身体が浮き上がった感覚。
恐怖で顔がひきつっているのが自分でもわかる。
激しいノイズのような水しぶきの音の中で、せめて小舟から離れないようにと舟のふちに掴まっていると、二人の女性が舟から離れ、空に浮かんでいっているではないか。
いや、両方とも落ちていて、俺と舟のほうが落ちるスピードが速く、女性陣のほうが服がひらひらしているからか、すこし落ちるのが遅いのだ。
いやはや、この状況でも目を覚まさないとは、緊張感がなさすぎる!
それとも一度は起きて、恐怖に気を失ったのだろうか。
俺だって気を失いたい気分だ。
いや、それは絶対にダメだ。気を強く持つんだ。
「おい! 起きろってば!」
そこでようやく、グレースが目を開いた。
「オリヴァン……? ああ、夢か」
空を飛んでいる夢をみていると思ったようだ。再び目を閉じてしまった。これはダメだ。
「タマサ!」
返事はない。
俺は意を決して、舟から手を離し、空中を泳いでタマサの服の袖を掴んだ。
「んあ」
そして目を見開くや否や、彼女はすぐに事態を把握した。
上を見れば遠ざかるロウタスの端っこ。裏側はあまりに薄く、おおきな大地を支えるにはずいぶん頼りないもののように見える。いつ崩落してもおかしくないような心細さだ。
下を見れば、はるか遠くに初めて見る知らない大地がある。赤みがかった土には植物が少なく、岩と砂が多いようだ。遠くに、まぶしいくらいの細くて赤い光の柱が、天に向かって伸びているのが見えた。
横を見ると、いくつかの別のロウタスが下から上に、次々に過ぎていくのが見えた。もし態勢を立て直す間もなく陸地に叩きつけられたら、無事では済まないだろう。そこは不幸中の幸いだった。
俺とタマサは頷き合った。遥か下方に見えたロウタスに狙いを絞ろうと、視線で会話した。
雲をいくつも突き抜けながら、タマサは状況を立て直そうとする。
絢爛な服をはためかせながら、タマサは呪文詠唱に入った。切羽詰まった声が響く。
「――舞い上がれ、舞い戻れ、舞い下りて下りて渦巻け。我らは既に風を待たず、我らは既に風に成らず、汝と共に円を描き、風を起こして拓く者なり! 運り渡れ……ワルツダンスウインド」
風魔法であった。
強風が渦巻きはじめ、落ちて行く細かな雨粒を次々にとらえた。螺旋状の水流が形成された。
それは険しい山道を下る道路のように、知らない大地へと続いている。
再び舟を掴むことに成功し、俺とタマサは乗り込んだが、グレースはまだ目覚めず、ただただ落ちてきている。
尋常じゃない遠心力を感じながらも、俺は手を伸ばす。
すさまじい勢いで流れる水の道が、ちょうどぐるりと一周したところで、グレースの手を奇跡的に掴んだ。
そこで、やっと目を開けたグレース。軽くパニックになっている様子が見えた。
何事かを叫んでいるようだったが、周囲が激しい水音に満たされていて、声はきこえない。
「ぐあっ……タマサ、手ぇ貸してくれ」
この声もタマサに届かなかったか、それとも魔法の制御で手一杯なのか、俺がひとりでグレースを助けるしかないようだった。
しっかりと、腕をにぎり込む。
渾身の力で、何とか舟に引きずりこみ、片腕で強く抱きしめることに成功した。
「ぐえっ」
そんな苦しげな声が耳元で響いたけれど、緩めたら、もっていかれる。
必死に船にしがみつき、グレースも離さないように必死に力を込めた。
やがて何度も何度もおなじところを螺旋状にぐるぐると回転しているせいか、目が回ってきてしまった。
「もうだめだ」
握力がもたない。自分一人ぶんであれば、遠心力にも耐えられるかもしれないが、グレースの重みも加わって、しかも片手が使えない。今にも諦めかけたその時、ゴールが訪れた。あと一瞬でも遅れたら、投げ出されていたかもしれない。
小舟は赤い大地に投げ出され、岩を削りながらかなりの長い距離を滑り進む。
近くから、タマサの悲鳴がきこえてくる。グレースも腕の中で何度も叫んでる。
ガンガン揺れる舟。尻を何度も小舟の板に強烈にぶつけまくり、やがて、舟は完全に停止した。
上を見ても、もう自分たちがもといたロウタスは全く見えなくなっていた。
「たすかったぁ……」
死ぬかと思った。汗びっしょりだ。
「お、オリヴァン、くるしい」
胸のあたりから、そんな声がきこえたが、うまく身体を動かせず、なかなかグレースを解放することができなかった。
そして、呼吸を整え、舟からふわりと上陸を果たしたタマサは言うのだ。
「なあ、オリヴァン、グレース。わっちがいなかったら、どうする気だったんだ?」
「……いや、なんとかなるかと思って。な、グレース」
グレースは答えない。いや、苦しくて答えられないのかもしれない。
タマサは深く溜息を吐くと、
「クソみたいな計画性のなさだな」
本当にもう、返す言葉がなかった。
うっかりすれば死んでいたかもしれない。
でも、トラウマになるような落下だったけれど、なんとか無傷で上陸することができた。
タマサには感謝しかない。
ようやく落ち着いてきたところで、抱きしめていたグレースを解放したところ、俺の腕の中で窒息しそうになっていた彼女は大きく息を吸い込んで、吐いて、生き返った表情になってから、
「何がどうなったの? ここ、どこ?」
「とりあえず、夢じゃないぞ。マリーノーツの果ての崖から、別のロウタスに落ちたんだ」
安全ではない方法。正攻法では絶対にない。
グレースに至っては、一度目で俺のところに降って来た時のような、あまりにも無茶な落下を二度にわたって成功させたことになる。
「奇跡だわ」
「いや、そこは、わっちに一言あってもいいだろクソ姫様よ」
タマサが怒るのも無理はない。あまりにも無茶で無様で無計画で、タマサに大いなる負担を強いたのだから。
「ありがとう。また借りが出来てしまったわね」
グレースは言って、額の汗を拭った。
「にしても、暑いな、この世界」