第20話 舟の名は(1/2)
「危険が伴うけど、ここより下の世界に渡る方法はあるわけだよな」
「ええ、そうね。私が使った方法だったら間違いなく行けるはずよ」
それは要するに、ただロウタスの端っこの崖から勢い余って落ちただけである。
ちょっとでも運が悪かったら絶対に命が助からなかった方法である。
「とにかく、オリヴァン、はやく出発するわよ。ずっと西に行けば何とかなるんでしょう? 最長老が言っていたのだし、大丈夫だと思うわ」
その楽観的思考は、マリーノーツロウタスに落ちてきても無事だったという成功体験から来ているのだろう。けど、あんな幸運、そうそう簡単にあるものじゃない。
ホクキオの西側には、水が広がっている。
その大量の水は、ロウタスの西端から零れ落ち、次のロウタスへと降り注いでいくという。
それとは逆に、このマリーノーツロウタスの北側にある世界樹の麓、フロッグレイクという場所には、いつも雨が降り注いでいるから、きっと高いところまで伸びているグレースの世界のロウタスあたりから水が落ちてきているのだろう。
つまりは、落ちていく水と一緒に落下できれば、次の世界に落ちられる可能性があるってことだ。
「タマサ、それじゃあ、俺たちは行くぜ」
ホクキオの草原から少し歩くと、西に湖畔のような場所がある。
波は穏やかで、水位は大雨でも降らない限り、いつも一定であるという。
「なあ、本当に、もう行っちまうのかい? オリヴァンは、まだ風呂も入ってないじゃないか。明日は男性の入浴日だぞ。明日まで待って、浸かってから行ったって、罰は当たらないだろ。なんなら、温泉のオーナーと交渉して、特別に風呂しめた後の残り湯に入れてもらうこともできるぞ」
さすが常連である。でも、それはできない。
「魅力的な提案だが、遠慮しておこう。グレースと一緒に世界を救うってのが、グレースとの約束だからな」
「オリヴァン……」と、感動したように声をもらしたグレース。
「あーやだやだ。見せつけてくれちゃって。これだから一緒に旅なんてのは嫌なんだよ」
「タマサとだって、運命の出会いかと思ったんだけどな」
「ご縁がなかったんだから諦めな」
ホクキオの西に広がる巨大な水たまり、その果てに道はあるらしい。
俺たちは、村を出たときと同じ小舟で、世界を救う旅を再開する。
「本当に残念だ。今からでも、気が変わらないか?」
「しつっこい男は嫌いだよ。さっさと行きな」
舟にはグレースの持って来た荷物と、商店街で買い込んだ食糧を載せてある。
グレースも名残惜しそうに溜息を吐いて、
「それじゃ、タマサ。正しい呪文を教えてくれてありがとう。今度は世界を救った後に会いましょうね。また一緒にお風呂に入りましょう」
「ああ。達者でな」
そうして、舟を回転させ、手を振るタマサに背を向けた。アバウトに西の果てを探すという無茶な旅が……始まろうとした時だった。
「あっ、やっぱ待った。待って」
「え」
二人同時に振り返ったときに目に飛び込んできたのは、手を伸ばすタマサの驚いた顔だった。まるで、ずっと探していた宝物に出会えた時の少女のように、瞳を輝かせていた。
「どうした、なんで急に」
出発したての舟を岸に戻すと、タマサは慣れた感じで飛び乗り、座席がわりにしている材木の上に座り込んだ。
「ふん、わっちは気まぐれなのさ」
何かに気付いて乗り込んできたように見えたけれど、仲間になってくれるなら最高だ。理由については、きっとすぐに話してくれるだろう。
「さ、漕ぎな。世界を救うんだったら、ちゃんとスピードだせよクソが」
イラっとした。
仲間になってくれて最高だと言ったけれど、一部撤回し、ワンランク下げたいと思う。
「魔法が使える仲間ができてよかったな、グレース」
ところが、これは失言だった。
「私も魔法使えるんだけど」
「あ、ごめん」
「なあグレース、舟狭いし、オリヴァンはここに沈めて行こうぜ」
「なんだと? 俺が漕がなかったら、誰が舟を漕ぐんだよ。グレースに重労働させる気なら相手になるぞ、タマサ」
「わっちの魔法は万能だからね、風も起こせるし水も動かせる。その程度の魔法なら疲れもしないし」
いやもう、こうなってくるとタマサを仲間にしたのは、俺としては間違いだったんじゃないかと早速思えてきた。仕事を奪われたら、グレースと一緒にいられなくなるような気がして、焦る。
「いや、頼む、漕がせてくれ」
「タマサ、あんまりオリヴァンで遊ばないの」
「ああ、そうか、オリヴァンはグレースのものだったな。悪い」
俺は俺であって、誰のものでもないはずだ。
★
ずっと、無風の水上を進んで、やがて夜になった。
グレースは仮眠をとると言って横になったので、毛布を掛けてやった。
それにしても、この水は、どこまで続いていくんだろうか、さすがに漕ぐのも疲れてきた、と思った時、ちょうどタマサが声をかけてきた。
「オリヴァン、ちょっとあの島に寄って行かないかい?」
「島? そんなものどこにあるんだ。暗くて見えない」
俺がそう返すと、タマサは空の上に炎を浮かべてみせた。たしかにそこには小島があって、砂浜が白く輝いていた。
グレースが眠ったままの舟を砂浜の上に引っ張り上げて、俺とタマサは、適当な流木の上に座って、空に浮かべた炎を見上げた。
「ここは、銀龍の砂浜っていってな、知る人ぞ知る魔力スポットなんだよ。特に鋼属性の魔法にブーストが掛かる」
「へえ、観光名所なのか」
「いや、そうそう人は近づかないね。このあたりには銀龍が棲むから、うっかり起こしたりすると命が危なかったりする」
「そんなところに俺を導いてどうする気なんだ」
しかしタマサは答えなかった。特に悪気はないのだろう。きっと、余程のことがない限り銀龍とやらは目覚めないってことだろうか。
「何はともあれ、ここまでお疲れさま、オリヴァン」
「ああ、ありがとう、タマサ」
「そういや気になったんだけどさ、なんでオリヴァンは、グレースに命かけてまで協力してるんだ?」
「俺はさ、呪われたツノシカ村で生まれて、ずっと、柵の中で生きて来たんだ。いつか出よう出ようと思っていても、なかなか決められなかった。外に出る切っ掛けをくれたグレースには本当に感謝しているんだ。
憧れていただけの英雄に、世界を救う英雄に、俺もなれる。そんな、考える前に諦めていたようなことを、そう思ってもいいんだって気付かせてくれたんだ」
「それだけじゃ、命かけるには弱い気もするな。つまり、単にグレースがクソ可愛いから結ばれたいって話だろ? 大半の男って単純だからな」
理由を素直に話しただけなのに、勝手にクソみたいな理由に変換されて自己解決された。ひどい。
「こっちは話したんだから、次はタマサの番だぞ。なんでタマサは、俺たちの旅についてくる気になったんだ?」
「ああそれ。言ったろ、わっちは気まぐれなのさ」
「いーや、絶対嘘だ。明らかに何かに気付いた感じだった」
「なかなか察しの良いガキだね。スキル『曇りなき眼』でも持ってんのかい?」
「持ってないな。村人の中にはそのスキルを持っている人も多かったけども」
「は? あれレアスキルだろ。何でそんなに……って、そうか。ツノシカ村は、そういうやつらの集まったとこだったか」
「ああ」
そこまで話したところで、タマサは立ちあがった。
「さてと、そろそろ行くとするかい? ここに一晩泊まっていってもいいけど」
当然、俺はタマサの服の袖を掴んで引っ張る。まだタマサへの質問に答えてもらっていないからだ。
「わわっ、ちょちょっ、なんだい」
「タマサ、なんで俺たちと一緒に来ることにしたんだ? その答えがまだだったろ」
「ほんと、しつこいガキだねぇ……。そんな大した理由じゃないけど、いいかい? あんまり期待すんなよ?」
「ああ、気になるんだよ」
そうしてタマサは、グレースと俺と一緒に旅立つ理由を話した。