第16話 ハーフエルフの長老
グレースが持って来た王冠を、宝物庫の展示室のなかでも明るい部屋に持っていき、タマサはじっと見つめた。
仲間が溶かしたものとは違っていたようで、タマサは安堵の溜息を深く吐いた。
「これと同じものなんだろ? だったら、わっちの責任は無いな」
だからといって、お仲間が宝物を溶かしたとかいう汚点が消えるわけではない。
「何の話よ?」
首を傾げるグレースの問いに、俺もタマサも答えなかった。
「それよりさ、エルフの姿してるグレースが持ってる王冠なんだから、エルフの長老にでも聞いたら、話が早いんじゃないか?」
「エルフの長老ぅ?」
俺とグレースは、同時に聞き返した。
「ミヤチズっていう町があって、その中心から離れた森の中に、ハーフエルフの長老が住んでるんだ」
「ミヤチズって、通って来た道ね。オリヴァンが好きそうなとこよね」とグレース。
「そうだな。書物の町だ。大通りに、背の高い本棚がいくつも並んでいて、急いでなけりゃ寄りたかった」
「純血エルフって名乗ってる奴らは、どうも身分の高い連中らしいが一周回ってクソみたいに野蛮なんだよ。だから、まずはハーフエルフのところに行ってみろって話だ。ハーフエルフってんだから、高慢な成分も半分くらいには薄まってんだろ」
「エルフにも色々あるってのは、伝記で読んだな。グレースの世界も青い服を神聖視してるっていう話だから、グレースもハーフエルフなのかな」
俺のふとした疑問に、グレースは首を傾げた。ハーフとか純血という分け方について、何故それが重要なのかを理解できないようだった。
タマサは、そんなグレースに優しげな声で語り掛ける。
「グレースが自分の世界を守るために急いでるってのはわかってるけどさ、この世界のクソみたいな魔力にあてられて倒れたわけだし、急ぎ過ぎずに徐々に慣らしていったほうがいいだろ。ま、わっちもエルフ勢はめんどくせえからなるべく関わらないようにしてるくらいだけどよ、別世界のお姫様が来たってんなら、さすがに話を聞いてくれると思うぜ」
次の目的地が決まった。
★
肌にまとわりつくような湿った風。そこは鬱蒼とした森の中。
木々や岩の多くは苔に覆われていて、豊かな魔力によって木々が勢いよく育ち、勢いが出過ぎて、ことごとく妖しく曲がってしまっている。
ゆっくりと流れる水は清浄そのもので、水底まで見通すことができた。
見た目には、聖なる場所なのか、魔なる場所なのか、よくわからない感じだったけれども、俺の感覚としては、この場所に拒まれているような気がした。
――ここはお前のような人間の来るところではない。
森がそういう意志を向けているのか、もしくは、ここに住むハーフエルフたちが向けているのか。
どうあれ、先に進まなくてはならない。目指すはハーフエルフの古書街だ。
俺はグレースと二人、小舟に揺られて川を下っていた。
タマサに「また会おうぜ」的な汚い言葉で見送られた後、村を出た時の小舟をネオジュークにて回収し、途中までは街なかの幅広い水路を進んできた。
四人くらいは乗れる小舟なので、タマサも一緒に来てくれるかと思ったが、どうもこの森に暮らすハーフエルフは人間が嫌いらしい。
人間に恨みをもつ者が多く、たとえエルフであろうとも、人間を連れていれば裏切者扱いしてくるのだという。
水路には、いくつかの分かれ道があって、分かれた細い水路へ進んでいく。間違った道に行くと地の底に真っ逆さま、みたいな展開もあり得ると脅された。
森エリアに入ってしまえば、落ちてしまう危険はないという。
別の危険として、いきなり矢が飛んでくるかもしれないらしいけどな。
「タマサは、いいひとだったわね」
「ああ。そして、いい街だったな。ザイデンシュトラーゼン」
「ええ。活気があって、素敵な場所だったわ。時間に余裕があれば、もっと散策してみたい。オリヴァンやタマサの言う、色んな種族っていうのも、くわしく知ってみたかったし」
と、そんな会話を楽しみながら、舟を進めているときだった。
樹上に、青い服のエルフが座っているのが見えた。ほかにも何人もの視線を感じた。
ふわりと低い場所にある湾曲した枝に移動してきたのは、一人の、しわしわ顔の老人だった。
もともとエルフは長命だというから、ここまで老けているとなると、この人は相当長生きしているのだろう。
「何の用だ。ここに人間を連れて来てはならぬ。この我らの古書街にある書物は、人間や人間に関わる者が見ること、まかりならぬ。この戒律、まともなハーフエルフであれば知っておるはずだろう」
声は老人そのものであったが、長い年月を生きた凄み、みたいなものを感じた。俺はその声だけで、すっかり萎縮してしまった。
だけど、グレースは気圧されることなく、毅然と問いかける。
「あなたは?」
「ふむ、我が名はリーフル。この先賢のリーフルを知らぬということは、おぬし、この世界の者ではないな?」
グレースは深く頷いた。
「わかっているのなら、話が早いわ、リーフル。私はグレース。私たちの世界が、いま、滅びかけているの。私は、それを止めたい。止めることができないなら、どうすればいいのか教えてほしい」
「なるほど、よい声をしておる。じゃが、その問題、ちと我らの手に余る。王冠をもち、世界樹リュミエールの楽園を訪問せよ。道を示すものが、そこに存在するはずだ。わかったならば早々に立ち去るがよい。連れておる人間の顔など、見たくないのだ」
冷たい演技でそれだけ言い放つと、老ハーフエルフのリーフルは立ち込めはじめた霧の中へと姿を消した。
「なあグレース。王冠を持ってきてるなんて、ひとことでも言ったか?」
「いえ、言っていないわ。そういうのが、わかる人なのかも」
「そういうスキルかな?」
「どうなのかな」
深い深い、この森のような、豊かな智恵と優しさと包容力と静謐さをもった老ハーフエルフを信じて、世界樹リュミエールという場所を新たに目指すことにした。
★
「楽園って、どんなところかしらね」
「さあな。一般的にいえば、快楽以外のものがなく、不老不死になれるとかじゃないか?」
世界樹リュミエールは、この世界の北側にある、天空高くそびえ立つ巨樹である。
伝記や研究書によれば、それはただの植物ではない。さまざまな世界環境を再現する実験場であり、かつてこの世界に降り立った人々が、この世界を住みやすくするための最適化を行う人工装置でもあるという。
きっとグレースの世界のような、氷に鎖された階層とかも存在するのだろう。
それとは逆に、灼熱の世界が再現された場所もあるかもしれない。
雷だらけとか、土や砂や岩しかない痩せた土地とか、草花が異常に進化したところとかもあるかもしれない。
そういう様々な人工環境のなかで、楽園と呼ばれるのは、どういうところだろう。
「お花畑、とかかしら」
「グレースの楽園観は、かわいらしいな」
「そうかしら。そういうオリヴァンはどうなのよ」
「なによりまずは、食い物がうまいところかな」
「あら、そんなの、この世界のことじゃない。スイートエリクサーのあるところは、楽園と呼んでもいいと思うわ」
俺が与えたマリーノーツの食事を散々あしざまに言ってくれていたはずだが、その頃とは評価が真逆になっているようだった。
「考えてみれば、オリヴァンに御馳走してもらったお茶も美味しかったし、味付けが合わなかっただけで、ほかの食事も全部おいしかった気がするわね」
一杯のスイートエリクサーが、こんなにも世界の評価を変えてしまうものなのか。
世界とは実に曖昧で、移ろいやすいものなのかもしれない。
川をさかのぼって水源に近づく。俺たちが出会ったツノシカ村からさらに上流に行くと、いよいよ水路が細くなり、流れも急になってきて、俺たちは小舟を降りて、最小限の荷物をもって移動を続けることにした。
見上げなくとも見えているのは、空を覆う数多の枝。青くも白くもなく、茶色い。空のかわりとばかりに頭上を覆っている。実った果実は渋い色で鈍く輝いている。
あまりに太い幹に触れると、ひんやりと冷たかった。
「大きいわね。入り口はどこかしら」
根の一つによじ登り、幹をノックしてみたが、とくに返事はない。
グレースと一緒に、かなりの距離を歩いて一周してみたが、入口らしきものは見当たらない。
「エルフの最長老ってのが住んでるって話だけど、特別な入口でもあるのかな」
――ひょっとして、その最長老っていう人に拒絶されているのだろうか。
そんな考えがよぎったとき、ふとグレースが巨大な根っこの一部に、明らかに人が開けたであろう穴を発見した。かなり大きな穴で、大きめの馬車でも通れそうなくらいだった。
「いってみるか、グレース」
「ええ、すこしこわいけど……」
暗闇のなか、グレースの炎魔法で生み出した指先の炎が光源になった。
石が敷かれた通路を下っていくと、やがて湿っぽい空間に出た。
俺たちの足音がよく響いていた。
「ここは、牢屋?」
地下牢だった。たしか、オリヴァーの伝記に、地下牢に巣食う獰猛な虎を退治したという話が残っていたと思う。しかし、今の地下牢は獣どころか生き物の気配さえ全く感じられなくなっていた。
暗闇がおそろしかったのか、グレースは俺の手を握ってきた。
しっかりと握り返してやる。
そのまま地下牢をじっくりと見てまわった。
「誰もいないな」
「ええ、何もないわね」
上へと続く道や扉もない。ただ、堅牢な金属の格子だけが並んでいた。
★
実りの無い探索を終えて外に出た後、どうしたらいいんだろうか、と丁度いい高さの根っこの上に腰かけた。しばらく途方に暮れているしかなかった。
自力で巨大樹の樹皮をのぼっていくことも考えたが、そんな身体能力はない。
あらためて、自分には何もないことを痛感させられて、落ち込む。こんな有様で、グレースと一緒に世界を救うことなんてできるだろうか。
グレースは、そんな俺の様子に気付いて、声をかけてきた。
「オリヴァン、気にしないで。あなたは何も悪くない。あの老人……リーフルとかいったかしら。あのひとが説明不足なのよ。入るのが難しい場所だっていうなら、はじめから言ってくれてもいいわよね」
ハーフエルフの長に対して、俺のために怒りを抱いてくれるグレースは、本当にやさしい人だ。
英雄オリヴァーにも、こんな仲間がいたのかもしれないな、なんて思う。
「あ」
「どうしたの、オリヴァン」
英雄オリヴァーのことを考えていたら、俺はある情報を思い出した。伝記に書いてあった情報だ。
「エルフっていえば、この近くに、純血のエルフが住む村がある」
英雄オリヴァーは、その村で悪さをする猫を改心させ、純血エルフたちを危機から救ってみせたという。
「サタロサイロフバレーに行こう」
「どこよそれ」
俺はグレースの手を引いて、根っこから立ち上がらせた。