第14話 マクシマムフラム
ビンを逆さにして、最後の一滴をタマサが飲み干した後、しばらく三人とも脱力し、言葉を発することもなく、スイートエリクサーの余韻に浸っていた。
やがてグレースが、思い出したように、静寂を破った。
「そういえばオリヴァン、私のために大怪我をしたって聞いたけど……」
「ああ、まあ……」
「すごく頑張ってくれてたって、タマサから聞いたわ」
「結果は出なかったけどな」
「そうかしら? 少し危なっかしい場面もあったかもしれないけれど、私もオリヴァンも無事でここにいるじゃないの。それ以上の結果ってあるの?」
少しどころじゃなく危ない場面が多かった気がする。でも、
「考えてみれば、たしかにそうだな。グレースの言うとおりだ」
「できれば私の世界も、古文書のほうが間違いで、滅びなんか来なくって、ずっと無事であってほしいんだけどね」
遠い目をしながら彼女が言ったところで、俺は、ようやく建物内をうろうろしていた目的を思い出した。
「そうだ、タマサ、このまちの領主がどこにいるか、わかるか?」
「領主……? ああ、シノモリのことか。なんか、『宝物庫にある植物の面倒をみなきゃ』とか言ってたからな、たぶん上にいるぞ」
「上?」
「ああ、ザイデンシュトラーゼンの宝物庫は、この四角い建物の上に鎮座してる、巨大な金ぴか桃型オブジェの中にあるんだよ」
「なるほど、オリヴァーの伝記では、宝物庫の場所の詳細は伏せられていたが、そんなところにあったとは」
「伝記か、ありゃあ、だいぶ美化されてっけどな」
「ん、その言い方だと、タマサは、本当のことを知ってたりするのか? まさか、英雄オリヴァーに会ったことがあるとか?」
俺は前のめりの姿勢になってタマサを見た。
「んー、あるけど、ずいぶん昔のことだし、忘れたことにしとこう」
「なんだそれ。嘘はよくないぜ。タマサはエルフじゃないのに全然若いし、英雄オリヴァーは、何年も前の人だ。他のことは許せても、英雄オリヴァーが関係したら、変な嘘は許しておけない」
「あーめんどくせえな、クソが。酒入れてないのにスイートエリクサーで酔ってんのか? それともシンシアに脳に何か埋め込まれたか? じゃあ嘘ってことにしてやんよ。わっちが悪うござんした」
「感じ悪い言い方だなあ。助けてくれたことは感謝してるけど、あんまり口が悪いと恋人とかできないぞ?」
「余計なお世話だクソガキが。せっかく治った身体をもう一度壊されたくなかったら、そのへんにしときな。それ以上、わっちの気に障ること言ったら、全属性の大魔法叩きこんでやるからな」
「上等だ、受けて立つぜ。俺の憧れの英雄オリヴァーを馬鹿にされたまま引けるかってんだ」
「いいね、じゃあ、炎魔法からいってみようか!」
そして頭に血がのぼったタマサは、まじで呪文詠唱をはじめてしまった。
あれ、これまずいかな。
いや、これ、絶対まずい。
魔法の素養なんて全くない俺にも、周囲の魔力が急激に上昇しているのが、なんとなく肌で感じ取れるほどだった。
タマサは怒りながらも美しい声で、詠唱を開始する。
「――掠め取られし炎に非ず、地底に叫びし業火に非ず、我が清き魂の煌きを以って、層雲を散らし、澄み渡る空に相見え……」
言いかけたところで、グレースが叫んだ。
「タマサ!」
急に予期しないところから大声が飛んできたので、俺を焼きまくるはずの炎は、発生する前に霧散した。
ぎりぎりのところだった。
あと一瞬でもグレースの声が遅かったら、俺は本当にうっかり燃やし尽くされていたかもしれない。そんな恐怖に襲われるほどの強い力を感じた。
「……なんだい、どうしたグレース」
「タマサ、いまの呪文、私の知ってるのとちょっと違う」
「あん? 何言ってんだ」
タマサは首を傾げるのを見て、グレースは目を閉じ、自分の知っている詠唱を行う。やさしく言葉を紡ぎ出し、虫でもとまりそうなくらいに、ゆっくりと人差し指の先で三角形を描きながら、炎を出そうと試みる。
「――掠め取られた炎に非ず、地底に叫ぶ業火に非ず、清き我が煌きを以って、層雲を散らし、澄み渡る殻に見えん……」
たしかに微妙に違うようにきこえた。
そのグレースの姿を目の当たりにしたタマサは、ものすごい焦りを見せた。
「ちょ、ちょっと待てグレース! こんなとこで、印を結びなら詠唱なんかしたらッ……」
タマサは慌てて地面に手をつくと、土魔法が発動した。分厚い土の壁を床から生えさせ、続いて俺とタマサを中心に、氷をドーム状に張り、それを幾重にも張り巡らせた。
俺は、見事な防壁が一瞬で完成するさまをボンヤリと眺めていた。
「なにやってんだ、壁の裏に隠れろ! 溶けんぞ!」
腕を引っ張られたかと思ったら、勢いよく押し倒された。
艶やかな赤い服が覆いかぶさってきて、しっとりと冷たく、やわらかな感触に包まれた。
「――マクシマムフラム!」
グレースの声がした。氷の壁ごしだったから、くぐもっていた。
いや、それにしても、はっきり言って、タマサが何をこんなに慌てているのか、わからない。
なぜなら、以前、洞窟を脱出するときに、グレースが同じ呪文を放ったことがあったからだ。
そのときは、手の上に小さな炎を灯しただけだった。
今回もそれと同じ動作で同じ呪文。だから、やっぱり当然、タマサが慌てて張りめぐらせた本気の防壁は全く活躍の機会を得られるはずもない。
ただドーム状の氷壁のなかで、仰向けに寝転ぶ俺の上にタマサがまたがり、きつく頭を抱いているという光景が残り、グレースはこの上なく戸惑っていた。
「え、オリヴァン? タマサ? 何してるの?」
くぐもった声。指先の炎をすぐに引っ込め、氷の壁をコンコンとノックしていた。
「おいタマサ、どうしたんだよ」と俺。
「びっくりさせんなよクソが……ありゃ正しい三角の印を結びながら詠唱すると、やばいんだ。ああ、もしわっちが撃てば、世界ひとつを秒で燃やし尽くすような、最強の炎魔法なんだよ。あの子が撃っても、この建物なんか蒸発させるくらいの威力が本来はある」
まだ落ち着きを取り戻し切れないようで、タマサは俺の頭を抱いたままだった。
「大袈裟じゃないか? 今回も指先に炎が灯っただけだったぞ」
「呪文が崩されてたおかげだ。助かったぜクソが……」
「呪文が崩されてる?」
「ああ、あの子の世界に伝わる過程で、間違って伝わったか、もしくは意図的に威力が出ないようにされたか……」
「ねえ、ちょっとまってタマサ。そんな最強クラスの魔法を俺にぶつけようとしたの? 冗談じゃ済まなくない?」
「……オリヴァンが挑発しまくるから悪いんだろ。それに、そんなに威力は出ないように手加減するつもりだったし、どうせシンシアに治してもらえるし」
と、そこで事情もわからず突然に隔離されていたグレースが騒ぎ出した。
「タマサ、何してるの! やめて! 治ったばかりなのよ? オリヴァンを解放して」
どうやら、俺がタマサに閉じ込められ、馬乗りされて、いたぶられると思ったらしい。
実際、そうされても文句は言えないようなことを口走った気はするが、グレースの詠唱によって、うやむやになり、タマサの怒りも収まったようだった。
ようやく俺から離れて立ち上がり、氷の壁や土の壁を得意の炎魔法で一気に溶かした後、
「宝物庫だっけ? 案内してやる」
乱れた煌びやかな服や、艶のある長い髪を軽く整えてから、歩き出した。