第13話 スイートエリクサーで乾杯を
領主さんに会いに行く。そう決めたはいいが、このザイデンシュトラーゼン城は広すぎる。どこをどう探したらいいのやら、見当もつかない。案内図なんてものも無かったから、四角い箱型の建物の中を闇雲に歩き回り続けるしかなかった。
さいわい、俺もグレースも病み上がりとはいえ、シンシアさんの治療のおかげで完治し、元気いっぱいだったから、動くのは苦にならなかった。
美しい赤い絨毯が敷かれた廊下を歩いていく。
「それにしても、ここは広いのに人が少ないな。これだけ栄えている城郭都市なんだから、その領主の城なんて人手が要りそうなもんだけどな。掃除とか大変だろうに」
「たしかにそうね」
グレースが頷いたとき、前方に人影が見えた。
ひらひらと、髪と派手な赤い服やきれいな耳飾り六つをなびかせて、室内で風を巻き起こしている女性。
なんだかカッコイイなと思ったその正体は、タマサだった。
「おう、オリヴァン、起きたのか。いい医者だったろ? 二人とも完全に元気だ」
「ああ」
「ええ」
俺とグレースは同時に返事をし、声を重ねて言う。
「ありがとう、タマサ」
「おお、仲いいじゃねえか」
タマサは言うと、不意に、ちょっと離れてろ、と言った。何をするのかと思いきや、炎魔法を周囲に放ったようだ。タマサの身体のまわりで、ほんの小さな爆発がいくつも起きて、そうして生まれた細かな黒い粒子を風に乗せて手に集め、粗末な袋に入れた。
「今、何したんだ?」
「は? ゴミを集めて燃やしただけだろ、見ればわかんだろ」
わからないから質問したんだろ。と、一瞬頭に血が上りかけたが、
「すごいわ、そんな方法でお掃除できるなんて!」
などとグレースが目を輝かせているのを見て、俺の負の感情はまるでゴミのように焼却されていった。
「ひょっとして、タマサは、この城を掃除する人なのか?」
「は? 前に自己紹介したろ。魔法ギルドの大師範だぞ。シンシアに脳みそ取り替えてもらえよクソが」
おぼえてなかった俺も悪かったと思うけど、さすがに口が悪すぎじゃないかな。大けがから助けてもらった手前、あんまり強く出られないけども。
「それはそうと、おまえら二人して、どこに向かってんだ? こっちのほうには、食糧倉庫と調理場くらいしかないから立ち入り禁止だぞ。あ、まさか、盗み食いでもしようってのか?」
タマサの怪しむ視線に、グレースが小さな胸に手を当てて答える。
「そんな許されないこと、ありえないわ。そもそも、この世界の食べ物は口に合わないものが多いから、盗み食いする気も起きないもの」
「おいオリヴァン、何を食わせてたんだ? うまいもんなんていっぱいあるだろ」
「それなりのものを食べてたとは思うけど、味付けが合わなかったっぽい」
「この世界がマズイなんて言われて、オリヴァンは許せるか? このままにしとけないだろ。もう、スイートエリクサーを飲ますしかないだろ」
「スイートエリクサー? それは、どんなものなの?」とグレース。
「よし、オリヴァン、出してやれ」
とか何とか親切そうに言ってるけど、たぶんタマサは、自分が一刻も早く飲みたいだけだと思う。
まあでも、タマサの言う通り、マリーノーツ産はマズイと舐められっぱなしにしておくのが不愉快なのは確かだ。俺はビンに入った「スイートエリクサー・偽」をタマサに手渡した。
「やった」
幸せそうに、「ついてきなよ」と言うと、胸を弾ませて歩き出した。
★
タマサの露わになった両肩とか、派手な赤い服がひらひら右に左に揺れているのを見ながら、俺たちは調理場へと向かう。
その道中、俺は隣を軽快に歩くグレースに話しかけた。
「なあグレース、タマサとは、ずいぶん慣れた感じだけれども」
「あら、それを言うならオリヴァンとだって、出会ってから間もないでしょう?」
「まあ、そうなんだけどさ」
「……あれ? もしかして、やきもち妬いてるの?」
じっと目を見つめながら、きいてきた。
やきもちではないと思う。ただ、自分の好きな人が、自分の知らないところで誰かと仲良くなっていたことで、少し焦ってしまっただけだ。
あれ、それをやきもちって言うのかな。
いやいや、認めない方針で行こう。
「そういうんじゃねえよ。こっちの世界の人たちと仲良くしてるグレースを見るのは嬉しい限りだ」
「なあに、その言い方。嫌味っぽいわ」
「そういうつもりじゃないって」
「私が誰と仲良くなったって別にいいでしょう? 知ってるでしょ? 私の故郷ではちゃんとした友達なんかいなくって、寂しかったんだから。色んな人と仲良くなれたらいいなって思うのは当然でしょう? まったく、オリヴァンの奥さんになったら、束縛されて、自由がなくて、大変そう」
「いや、そんなこと絶対にないと思うぞ」
そんなに相手を縛るつもりなんて、ない。他人と仲良くできるのは、とても素晴らしいことだ。俺の言い方が悪かったのかもしれないが、本当に嫌味な気持ちなんて一切ないつもりだった。すれ違うって悲しい。
「……ふぅん」
なぜだか少し寂しそうにグレースが呟いたとき、前を歩くタマサが突然振り返った。
「お前ら、さすがに、わっちの前でイチャイチャしすぎじゃないか? 犬に撥ねられろよクソが」
★
建物の一階にある広い調理場は、岩を削って造られていた。非常に美しく整頓されていて、ホコリ一つ落ちていなかった。
部屋の隅っこに柔らかい高級そうな長椅子が置いてあり、ゆったり四人くらい並んで座れそうな休憩スペースになっている。三人、そこに座って、スイートエリクサーを味わうことにした。
タマサがスイートエリクサーで酩酊成分たっぷりの最高のカクテルを作ろうかと提案してきたが、我々は酒を飲める年齢ではないとカタいことを言ってお断りした。
乾杯のしかたはグレースの世界も俺の世界も共通だったので、同じ方法で乾杯をして、グラスを傾ける。
「うっま」
「くっそ、噂以上に最高じゃねえか」
俺とタマサは、マリーノーツの人間なので、マリーノーツでの最高級のうまさを感じられるのはある程度予想できた。本当に、甘くてうまくて、なんというか、語彙を失うような、神がかったレベルの美味だった。
しかし、グレースは別の世界で育ったエルフである。俺やタマサと同じ感覚を共有できるかどうか、不安だった。
「わぁ、おいしいわ」
息を漏らしなら、声を裏返して、自然と笑顔がこぼれていた。
「ほんと美味しい。マリーノーツって最高ね。こんな美味しいもの、私の世界に無いわ。この世界の食べ物に比べたら、私の世界の食べ物なんて泥水とか泥団子みたいなものね」
見事な手のひら返しをみた。
突然自分の故郷を悪く言い始めたのは、口の悪いタマサの言葉づかいが伝染ってしまったのだろうか。絶対に真似してほしくないんだが。
「なんだかこの世界って、あたたかくて、平和で、幸せで、つい自分で決めた使命を忘れてしまいそうになるわね。でも、こんなんじゃいけない。はやく、私の世界を救わなきゃ」
グレースは強い意志で、なんとか真面目さを取り戻そうとするが、言葉とは裏腹、椅子には深く座ってしまっているし、手に持ったグラスはタマサの方に差し出されていた。おかわりを所望しているのだ。
「オリヴァンも、タマサも、私と仲良くしてくれてありがとう。こんなに美味しいものにも出合わせてくれて、本当にうれしい」
そう言って、目に涙をためていた。
俺は、彼女が涙を流してしまわないか心配になった。
だって、嬉し涙は、まだとっておくべきだと思ったからだ。
俺やタマサじゃなくて、元の世界の人々を滅びから救って、元の世界の人々に受け入れられた時に、最高の嬉し涙を流してほしいな。なんて、自分勝手だけど、そんなことを思った。