第12話 シンシア・カートリアの医術
シンシアさんというお医者様について、優しい人だ、というのが第一印象だった。
薄暗い倉庫みたいな部屋に通されて、固いベッドに寝かされるまでは。
――ドリル。
手に持っているのはドリルだった。一度トリガーを軽く引いたら、ウィンウィンと高速回転して止まった。
医療道具? いやいや、もうそれ建築道具だろう。
だって、すごく太い。
シンシアさんは、輝くライトを頭につけて、嬉しそうに笑う。
「さっきのお注射、そろそろ効いてきましたかね」
「あうぅ、あぁぁ……」
あれ痛め止めじゃあなかったのか、と文句を言いたかったが、口がうまく動いてくれない。言葉に成らない声が、ごつごつした岩の壁に、よく反響した。
「うーん、まだ意識あるっぽい。じゃ、まだ早いか」
何がだ。何をされようとしてるんだ俺は。
暴れ出したかったが、手足は動いてくれない。
しばし恐怖に満たされながら、回転を続けるドリルの先端を眺めていることしかできない。
「そろそろいいかな。まだかな」
わくわくと、なんのタイミングを待っているのかわからないけれど、たぶん、まだだと思う。というか、永遠にまだだと思う。何をされるのか知らんが、どうか何もしないでほしい。
意識はあるし、目も見えているけれど、頭の機能が低下しているのか、もう返事もできなかった。
「返事なくなりましたし、やりますか」
ああ何を、何をされるんだ。その回転を続けるドリルで、俺の肉体に何をする気なんだ。
かと思ったら、回転音は止んだ。ドリルは一度置いたようだ。
安心しかけたのも束の間、今度はシャッシャっという音がきこえる。明らかに、刃物を研ぐ音だった。
やがてシンシアさんは、横たわる俺の顔をのぞきこんできた。その嬉しそうにニンマリ笑った顏の横には、小さく鋭い刃物があった。
「うふふ、良く斬れるんですよ。これ。今はないアスクークの町。その最高クラスの鍛冶職人が作ったもので、とっても小さな名刀なんです。最高の合金で作られています。みて下さい、この澄み渡る輝き。うつくしいでしょう? なんてね、麻酔で、もう見えないですよねー」
見えてる見えてる。こわいこわいこわい。
自慢のコレクションのようだ。やばい医者道具マニアのところに連れて来られてしまった。
おいタマサ、本当に世界一の名医なんだろうな。もしこの人が、ただ俺を切り刻みたいだけの人だったら、「スイートエリクサー・偽」をあげるっていう、約束を破ってやるからな。
よく磨かれた刃に、きらりと鋭い光が反射した。
鋭い刃が、だんだん近づいてくる。
俺は心の中で悲鳴をあげながら、やがて視界が暗い雲の中に入り込んだように何も見えなくなり、楽しそうな笑い声と回転ドリルのモーター音の中で、ついに意識を失った。
★
「うわあああ」
俺は叫びとともに目を見開いた
目を開きかけた時、視界に飛び込んできたのが、シンシアさんだったからだ。つまり、意識を失う前、俺に恐怖を与えた顔が、目の前にあったわけだ。
寝せられてたのは、暗い倉庫みたいな部屋じゃない。明るい部屋だった。陽の光が射しこむ見晴らしのいい明るい部屋だ。
シンシア・カートリア医師は、俺の肩にそっと手を触れると、少しの怪しさも無い優しげな表情を見せ、穏やかな声で俺に語り掛けてくれた。
「どうしました? こわい夢でも見ました?」
「夢……?」
「よくいらっしゃるんですよ。治療中に悪夢に襲われる人」
「ということは、あれは、現実じゃない? ただの、おそろしい夢?」
「どんな夢を見たんですか?」
「シンシアさんが、俺の身体にドリルを突っ込んだり、笑いながら刃物の切れ味を自慢してきたりする夢だった……殺されるかと思った……」
「うん、それは麻酔のせいですねー。痛みをなくす薬は、頭の中の正常な機能を阻害することで痛みをなくすものなので、人によっては幻覚を引き起こすこともあるといいますし」
「なるほど、村での治療では、麻酔なんてものを使わないもんで、麻酔ってのは、そういうもんなのか」
「そういうもんなんです。それよりも、身体のほう、どうですか?」
その問いに答えるように、俺は、おそるおそる柔らかなベッドから降り、清潔な床を両足で踏みしめてみた。
「……え、うそ、痛くない」
ジャンプしたり、筋を伸ばしてみたり、どれだけ動いても平気だった。
あれだけあった外傷は、魔法みたいにすっかり治っていた。だいぶボコボコにやられたはずなのに、全ての傷が塞がり、まるで身体の時間が闘技大会の前まで巻き戻ったかのようだ。
「シンシアさん、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ楽しませてもらいました」
「ん?」
「あぁ、いえ、こっちの話です。それよりも、グレースさんに会いたくないですか?」
「グレースも治ったんですか?」
「彼女の場合は、別世界の強い魔力に慣れてなかった上に疲労や睡眠不足が加わって、あまり良くない状態でした。薬で眠らせてあげたら、起きた時にはすっきりって感じでしたよ。さすが、母さんの調合した薬は効き目が違います」
「母さん? お母様もお医者さんを?」
「ええ、そのようなものですね。あと、このザイデンシュトラーゼンの領主もしているんです。母さんは薬に関する知識が豊富で、いつも私をたすけてくれる頼りになる人なんですよ。私の尊敬する人でもあります」
「ほう、領主さんだったら、色んな情報を持ってるかもな」
「どういう意味です?」
「俺たちは、世界を救うための情報を求めているんだ」
「麻酔、効き過ぎたんですかね……」
「安心しろ。俺の頭は正常だ」
★
グレースが寝かされていた部屋の扉が開いていたので、中を見てみると、倒れる前よりも元気になったグレースの姿があった。
そこにはシンシアさんの母親という人もいるはずだったが、グレース一人だけがいて、彼女は長い耳をぴくりと動かしてから振り向き、俺の姿に気付くと、美しい声でこう言った。
「オリヴァン。おはよう。迷惑かけたみたいね」
俺は部屋の中に足を踏み入れた。
「いや、大丈夫だぜグレース。あのくらい、迷惑でも何でもねえよ」
「ありがと。もう大丈夫だから」
「いや、無理すんなって。世界を救うのも大事だが、まずは自分が無事じゃないとな」
「うん」
グレースが素直に頷いたあと、俺たちは、しばらく黙り込んだ。
窓の外から、賑やかな街の喧騒が微かに聞こえてくる。
高層建築のかなり高い階層にある一室だったが、ここまで声が届いてきており、この町が非常に繁栄していることがよくわかる。
ザイデンシュトラーゼンは、色んな特徴をもったたくさんの人々が、和気あいあいと過ごしているようだった。
そんな理想的な都市を築き上げているのが、おそらく今の領主、シンシア・カートリアの母親なのだろう。
「そうだ、グレース。ここに、領主さんが来てなかったか?」
「領主さん? シノモリさんっていう素敵な女の人なら、私の面倒をみてくれていたけれど、あの人が領主さんだったのかしら? 優しくて、すごくいい人だったわよ?」
「たぶん、その人だ。領主さんみたいな立場の人のところには情報が集まるもんだ。次の手掛かりがつかめるかもしれない。ちょっと話を聞いてみようぜ」
「いいわね。そうしましょうか」
グレースらしい笑顔で応えてくれて、俺はとても安心したのだった。