第10話 誇りをさがして
開幕戦をド派手に行うこと。それが、マリーノーツという世界のトップ、黒ずくめローブの少女、神聖皇帝オトキヨ様が課してきた赦しの条件だった。
「おらぁ!」
もはや、その大男の大声も、かすかなものに感じられた。
一発殴られるごとに、この世から遠ざかり、一発蹴られるごとに、あの世が近付いてきているような、そんな戦いだった。
一方的に、巨大な肉体から繰り出される暴力を浴び続けていた。
七代目ディーア・ヴォルフとか名乗った男は、まるで獣人の血でも引いているかのような屈強さと凶暴さで、何度も俺を吹き飛ばしてくる。
勝てるわけがない。
レベルが違う。
英雄オリヴァーだったら、こんなときに、どうするんだろう。
さすがのオリヴァーも、絶対勝てない相手だとわかれば、戦わずに逃げるだろうか。
いや、ないな。
想像の中の英雄オリヴァーは、きっと逃げない。たとえ最強の魔物が相手であっても、目の前の困難を乗り越える策を探し、実行し、勝利をもぎとるだろう。
でも、よく考えてみろ、俺はオリヴァー・ラッコーンじゃない。
オリヴァンだ。
彼に似た名前をもらっただけの、まがいもの。ただの一般マリーノーツ人。転生者でもなければ、特殊スキルの一つもない。
こんな世界一の武者を決めるような、誇り高き戦場に立つに相応しくない男だ。
英雄に近づきたいと、頭の隅っこで思っているだけで、そのための努力なんて、してこなかった自堕落な人間だ。
グレースが来なければ、狭い狭い村の中で、一生を終えていたに違いない。
何代目とか、永く続く立派な家に生まれたわけでもない。
目の前の強い人と比べたら、どう考えたって劣っているように思えてしまう。
それに、よく考えてみろ。グレースを診察してくれた医者は何と言っていた?
――大したことはない。
――よほどのことが無い限り、魔力酔いの症状くらいで死んだりはしない。
だったら……だったらさ、エリクサーなんか手に入れなくてもいいじゃないか。
いや。
いや、いや、だめだ。たかがエリクサー入手を諦めたなんてことになったら、俺はきっともう、グレースと旅を続けることができないだろう。
力で負けるのは、もう仕方ない。でも、素手や素足で殴られたくらいで心が折れてしまうようなら、英雄になんてきっとなれない。
ましてや、相手は大英雄を目指していると豪語する不遜な男だぞ。せめてこの男に心で負けないようにしないといけない。
たかが暴力に、膝をつかずに立ち続けられないようでは、この先、グレースを守ることなんか、できない。
だから、絶対に、心だけは折らせてやるものか!
何度も何度も倒れた。視界が揺れた。血の味がした。
それでも何度も立ち上がった。
きっと、みっともない姿を晒していたと思う。
グレースが見ているわけでもない。いなくなった両親が見に来ているわけもない。育ててくれた医者のじいちゃんは、もし見てたら、「無茶をしおって」とか叱ってくるかな。
「ヒャハハ! なあおい、弱すぎだろ! 一発でも殴り返してみやがれ!」
敵は、一方的に殴り続けられて気分がいいようだ。思考が鈍っている俺の脳みそが、挑発に乗って反撃の指令を出したが、身体が全くついていかず、敵に届く前に足がもつれて倒れてしまった。
それでも俺は立ち上がった。
男の笑い声がする。
いたぶるのを楽しんでいる。
いつになったら終わるのかわからない。そろそろ諦めないと、このまま死んでしまうかもしれない。
でも、諦めない。
――俺はグレースと、世界を救う旅を続けるんだ。
そう、口に出して言ってやろうとした。でも、もう声がほとんど出ない。
足が震えている。
必死にこらえた。
その時だった。ふわりと紅い艶やかな布が、目の前で揺れた。
何だろうかと思ったら、知らない女の人が俺と敵の間に割り込んで、身構えていた。
肩のあたりまで服がはだけていて、輝く肌が露わになっていた。小さな背中が、とても頼もしく見えた。
その妖艶な雰囲気、風にふわりと揺れる長い髪。ゆったりとした派手な服装、露出の多い着こなし。転生者の言葉でいう、「オイラン衣装」とか言ったかな。左右の耳には、美しい耳飾りが三本ずつ、合計六本、装着されている。
その好ましい姿を見て、俺は、「都会ってすごいな」とかいう場違いな感想を抱いていた。
「わっちはタマサってんだ。あんたに加勢するよ」
「えっ」
「そんな必要ないって言いたいかい? 言わせないよ。あんたは十分よくやった」
タマサという女性が予想外に割り込んできたので、敵も少し戸惑っていたが、すぐに自分の破壊欲求を取り戻した。
「どけ、女。死にたくなかったらな」
しかし、タマサは男を無視し、倒れるのをこらえ続ける俺の耳元で、優しく語り掛けてきた。とても美しい声で。
「安心しな。あんたのかわりに、わっちがあのクソを焼却してやる」
声の美しさとは裏腹に、言葉はけっこう汚かった。
敵は怒りをあらわにした。
「クソだと! 大英雄になる男、誇り高きディーア・ヴォルフに対してクソと言ったか」
「ああ言ったさ。もうやめな、クソゲスが。とっくに勝負はついてんだろ。これ以上やるってんなら、わっちが相手になるよ。魔術ギルドの大師範タマサがね」
「フハハ、いいぜ、誰が相手でも、オレは負けやし――えブフォ」
言い切る前に、もう終わっていた。
高威力の炎魔法で大爆発が起きたように見えた。激しい轟音が三つ響き渡って、大男が天幕にぶつかってから、その反動で勢いよく落下した。観客席に落ち、椅子や手すりを破壊していた。
これはどうなるのだろうか。絶対に俺の勝ちではないだろう。
しかし、場内に響き渡る幼い声は言うのだ。
「おもしろい。勝負アリじゃな! 乱入はルール違反じゃが、ルールは破ってこそじゃ! というか、わしがルールじゃし、何の問題もない!」
それ、この世界のトップに君臨する人が言っていいことなのだろうか。トップが率先してルール破壊を行えば、国は乱れるというのが俺の中の常識なのだが。
でも、もしかしたら、そんなのは狭い考えなのかもしれない、子供のような小さな村の中でのルールで、俺の常識の方が間違っているのかもしれない。
ああ、もう、今は、そんなことはどうでもいいな。目を開けて、いられない……。
★
目覚めると、見慣れない部屋だった。
横を見ると、全体的に白いものが多く置かれていて、ベッドがいくつも並べられている。
病院か、もしくは医療室といったところか。
何があったんだっけ、と思い返そうとした瞬間、軽い痛みに襲われた。
「うぁっ……」
思わず声を出して、自分の身体に包帯が巻かれまくっていることを確認した時、
「お、目覚めたか、オリヴァン」
馴れ馴れしく俺の名を呼んだのは、俺と敵の間に割り込んで、一瞬で敵をやっつけてくれた若い女性、タマサだった。
派手で妖艶な服装は、見ていて心惹かれるものがある。
「どこ見てんだい」
巨大な胸にあらわれたる深き谷間、などと素直に答えていいものか、ちょっと悩んだけれど、すぐにタマサのほうから別の話題を切り出してくれた。
「大会の結果、気になるだろ?」
「ええ、まあ」
「わっちが優勝したよ。でも、わっちは、本来の参加者じゃなくゲストとして呼ばれてただけだったんだよ。うっかり乱入して叱られちまったし、そもそも大師範は勝って当たり前だし、優勝賞品は該当者なしに終わったよ。だから、あんたが欲しがってるであろうエリクサーはもらえなかった」
「そうですか。って、その言いぶりだと、まさか手に入れられてたら、俺にくれるつもりだったんじゃ……」
「そうさね。あんたのこと、気に入ったからね」
「どうして……」
「うーん、どうなんかね。良い根性してるからってんじゃダメかい? まあ、強いて理由を挙げるとすれば、あんた見てると思い出すんだよね。顔とか全然似てはないんだけど、昔さ、ラックっていう面白いやつがいたんだ。そいつの姿がね、ちょっと重なる」
「どんな人だったんだろう」
「あれだな。結果だけ言えば、世界を救ったな」
そうしてニヤリと笑ったタマサ。
この人は、とても優れていて、そして何より優しい人なのかもしれない。きっと俺の現状を見透かしていて、そのうえで、いちばん勇気づける言葉をくれたんだ。
折れそうになっていた俺の心が、一瞬でまっすぐになった。
「そうだ、俺も、そのラックっていう人と同じように、世界を救いたいんだ」
「あん? ずいぶんマジっぽいね。どういうことだい?」
「あ、そうだ。説明してる暇なんてない。俺、どのくらい寝てました? グレースの寝てる診療所に戻らないと」
「あぁ、こら、起き上がっちゃダメだろクソが。今は大けがで何もできないんだから寝てろ。転生者みたいに一瞬で回復したりしねえんだぞ」
「あいててて……でも――」
「ちょっと待ってろ」タマサは溜息まじりに言って、続けて、「お前の連れも一緒に、最高の医者んとこに連れてってやる」