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猫はかすがい

月見ちゃん過去に大活躍の話です。


side 美代子


***


「しかし本当に、今こうやっていられるのも月見のおかげだなぁ」

お酒が回って気持ちよさそうにほんのり頬を染めながら、しみじみとお父さんが言う。


「ほんとにね。実際、あのときは離婚も頭をよぎってたもの」

「えっ!そこまで…!?」

「そうよ、もっと危機感もってもらわなきゃ」


離婚…、離婚…?とブツブツ言うお父さんを苦笑いで見ながら、

数ヶ月前のことを思い出す。



あのときは、何だかすべてにイライラしていた。


息子は大学卒業してからずっと一人暮らし、

実家暮らしの娘は結婚して出て行った。


久しぶりにお父さんと2人だけの暮らしに戻って、

夫婦水入らずの生活ができるかななんて思っていたら、

そんなに甘くはなかった。


子どもが巣立って上手くいかなくなるという、よくある話。


会話が減り、なんとなくぎこちない雰囲気の食卓。

そうなると家にいる時間が気まずいのか遅く帰ってくるようになり、

休日もゴルフや友人と会うことが多くなった。

浮気…は流石にしてないと思うけど、付き合いでキャバクラに行ったり、だいぶ前にやめたはずのタバコの匂いがする日もあった。


前は娘がやっているからと一緒になってしてくれていた家事も段々と私ひとりがやるようになり、

小さく降り積もっていく不満と、でも些細なことで怒りたくないという気持ちの間で揺れる自分。


好きで結婚した人だから、

一瞬なにか上手くいかなくなったとしても、

やっぱり良い妻でいたいし、相手からもそう思っていてもらいたい。


でもため込む我慢は、いつか限界が来る。



***



その日は、朝から忙しい1日だった。

仕事でいつもより1時間早く会社に行かないといけなくて、

バタバタと家事と身支度をする。

夫は休日出勤の振替で、お休みらしい。


朝食の支度ができたので起こそうかと思ったけど、

いつもより早いし、前日の夜に遅く帰ってきていたので、

せっかくの休日に起こすのもかわいそうかなと思い、

『冷蔵庫に朝ご飯・お昼ご飯あるので食べてね』

と書き置きして出かけた。


仕事では重要な締め切りがあり、気を張って1日過ごした。

クライアントの指示間違いにより、危うくトラブルになるところだったが

皆で急いで知恵を絞り、なんとか間に合わせることができた。


帰り際には、トラブルも皆で笑い話にできるくらいに落ち着いて、

ホッと安心して1日を終えることができた。



家に帰ると、ソファで寛いでいる夫がいた。

椅子に上着が掛かっているのを見ると、どうやら今日は外出していたらしい。


「どこか行ってきたの?」

「ん?ああ、ちょっと出掛けてきた」

「そっか、ゆっくり過ごせた?」

「うん、まあ」

「お夕飯、何か食べたいものある?」

「ん?うーん、何でも…」


意識はスマホに集中していて、話しかけてもあまり頭に入っていなさそうだ。

夕飯について聞いても、適当な返事しか返ってこない。


『話したいこともあったけど、今じゃない方が良さそうだな…』

『疲れた。けど、お夕飯何にするか考えなくちゃ』

『というか家にいるなら、ご飯用意しておいてくれてもいいんだけどな』


なんて、ちょっともやもやしながら、

でも気分を切り替えて夕飯の支度をしようと冷蔵庫を開けた。


すると、朝準備していった夫の朝食・昼食が手を付けられずにそこにあった。


「…え?」


とっさに理解できず、夫を振り返って聞いた。

「用意していったご飯、食べなかったの?」


夫は一瞬顔を上げて、すぐにスマホに目線を戻して言った。

「あ、ごめん。午前中から出掛けて外で食べちゃった。それ俺が夕飯に食べようか?」


…なんだか、疲れた。

いつもだったら軽く「そうなんだ~」で受け流せたかもしれないことも、

朝忙しい中で準備して、帰ってきてから小さな不満が積もる中で、

一日中、気を張って疲れた後だともう駄目だった。


全身の力が抜ける気がした。


「そっか…」


こんなことで怒るなんて、くだらない。

そう思う自分もどこかにいたけど、もう全部投げ出したくなってしまった。


幸い、明日から三連休。

今目の前にいる夫に取り返しのつかない酷いことを言ってしまわないうちに、

顔を合わせなくて済むところに行きたい。

そうだ、とりあえず実家に帰ろう。


無言で最低限の荷物をまとめて、チラッと夫を見るとまだスマホに夢中になっている。

『もう駄目かな…、もしかすると最悪離婚も考えなきゃいけないのかな…』


目が潤むのを堪えつつ、そっと玄関の扉を開けた。



「みにゃー…」



…。子猫がいる。



なんだか弱っているみたい。丸くうずくまって弱弱しく鳴いている。

首輪も付けてないし、野良猫?

でも近くに親猫らしき姿も見えないし、この子ひとりなのかしら…。


どうしよう、震えて今にも倒れちゃいそうだけど、

猫は飼ったことがないし、どうして良いかわからない。

とりあえず家に入れて温めた方が良いわよね??


どうしようどうしよう…と思いながら、

ひとまずタオルを取りに行って、玄関で子猫を拭いていると、

バタバタした様子に気付いたのか後ろから夫がヒョコっと顔を出した。


「猫??」


「そうなの、すぐそこで見つけたの」

「ちょっと待ってて」


夫はそう言うと、テキパキと段ボールにタオルを敷いて、

今日は猫用ミルクがないから代用で…と牛乳を温めてくれた。

寒くないように湯たんぽも準備し、そっと子猫を寝かせる。


「俺、明日朝イチで猫用ミルク買ってくるから」


と言いながら、優しく子猫にタオルをかけた。


「…あなた、猫飼ってたことあるの?」


正直びっくりした。

こんなに的確にやるべきことが分かっているのに関してもそうだし、

自分で素早く動いて、明日ミルクを買いに行ってくれるということにも。


「昔、ちょっとだけ。すぐ死んじゃったけど」


夫は少し寂しそうな、懐かしそうな顔をした。

それを見ていたら、なんだかちゃんと話したくなった。


「…ねえ、ちょっと話さない?」


それから2人で色々な話をした。


美代子が最近もやもやと感じていたこと、夫婦で仲良く暮らしたいこと、

何か不満に思っていることがあるなら頑張って改善するから教えて欲しいこと、

このままでは何だか辛いこと、

この連休で一旦距離を置くために実家へ帰ろうと思っていたこと…


夫は驚いていたが、真剣に話を聞いてくれた。

そして彼もまた、子ども達が出て行ってから何だか勝手が変わったように感じていたこと、

美代子の口から出るのが、子ども達がいないのを寂しがる話ばかりになって、

今この家にいるのは2人なのに、なぜか自分の居場所がなくなっていくように感じたこと、

この空気を何とかしたいと思っていたがどうしたら良いか分からなかったこと、

段々と現実から目を逸らすようになっていたこと…、思っていることを話してくれた。



「私たち、同じ家にいるのにお互いのこと全然見てなかったのね」


「そうだな…」



ふと外を見ると満月が綺麗だったので、

久しぶりに晩酌用グラスを出して、ちょこっとお酒を飲むことにした。

こんなに他愛無い話で笑い合えるのって、いつ以来だろう…と考えながら、

またこんな時間が過ごせることが、とても嬉しかった。


ついさっきまでは実家に帰ることや離婚まで頭をよぎってたのに、

こうして笑えているのは、あの猫ちゃんのおかげね…と思っていると、


「なぁ、あの猫うちで飼わないか?」

「いいの?」

「あぁ。子ども達がいなくなって寂しくなったのは確かだし、こうしてまた夫婦の時間を取り戻すきっかけを作ってくれたんだ。飼って可愛がるくらいの恩返しをしてもいいだろう」

「そうね」


「それじゃあ、名前は何にしようか?」


うーん…、と2人でしばらく考えていると、綺麗な月が目に入った。


「…そういえば今日って、十五夜じゃない?」

「お、ほんとだな。じゃあ…月見にするか!」

「え、今からお月見するの?」


「そうじゃなくて、猫の名前だよ。月見って名前はどうだ?」

「月見、お月見、月見ちゃん…、うん。いいかもしれないわね」


「よし、じゃあ明日は月見を獣医さんに連れて行って、ミルクやら何やら買い出しだ!」

「そうね。えーと…一緒に行く?」

「あー…そうだな、そうしよう」


最近では週末一緒に出掛けることもなかったので、

なんとなく気まずいような気恥ずかしいような気もしながら、

でも決して悪い気はしなかった。



そうして月見のことで相談したり一緒に面倒を見たりするうちに、

いつの間にかもとの仲の良い夫婦に戻っていたのだった。



月見ちゃん、『子はかすがい』ならぬ『猫はかすがい』でした。

可愛がられてすくすく育ってます。

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