第8話 怒りに震える手
「くわとろか」
電話の向こうで声が聞こえる。忘れるわけない声。
「お前か、相変わらずめちゃくちゃなやつだ」
これまでのことを考えるとダークな感情が湧き出てくる。
「それはどうでもいい。お前と長話するつもりはない。教授から預かっている物を渡せ。娘と交換だ」
「断ったらどうなる。俺は依頼を途中で投げ出したりはしない」
「ほう、その依頼とはHOMAに渡すことじゃないのか?そのデータを」
気づかれていたのか?そんなばかな。
「お前、何を企んでる。教授のことを調べたのか」
「いや、効率主義の俺がそんな手間をかけるわけないだろ」
たけTの言葉は俺の記憶から様々なことを蘇らせる。
「誰かスパイでも潜り込ませたか、お前らしいな」
「ふ、どうでもいいことだ。そのスマホにある場所のデータを送った。そこに今夜11時に来い。もちろん一人でだ。ついでに教えてやる。HOMAの身柄はこちらにある。教授と二人で作ったセキュリティらしいじゃないか。必要な人材だ」
相変わらず太々しい声だ。しかし、HOMAさんまで調べあげということはかなり研究に深く関係していた内通者か。それほどまでの研究データなのか、これは。
教授は副産物と言っていたが。しかし、これでおそらく教授もまだ無事だろう。若干安心だ。
「わかった、間違いなく持っていく。しかし、こと美さんの無事が保証できないのならこの話は無効だ」
無意識のうちに怒りで震えているらしい。ママが俺の腕に軽く手を添え、頷いた。
「よかろう、こちらもデータさえあれば娘など用無しだ。俺が保証しよう」
そのまま電話は切れた。まもなく取引場所の詳細が送られてくる。
なるほど、夜間は誰も来ないであろうマリーナを指定してきたか。再会を記念してクルージングするわけでもあるまいに。
「ママ、行ってくるわ。エビ太を頼む。たぶんこいつのことだ、抜け出そうとするはず。よろしく頼む」
「わかってる。くわちゃん気をつけて」
いつものグータッチをママと。エビ太は先ほど打った鎮静剤が効いているのか目を閉じている。
コジローにもちょんと頭を撫でる。「みんなを頼むぞ、コジロー。ご主人は絶対助けるからな」
外に出るのと同時にAruへ電話をかける。
「くわさま、どした?また頼み事?」
「すまない、かなりやばい状況だ。力を貸してくれ」
確かに一人ではなかなかに難しいだろう。
「俺、人を殴るの嫌だよ、殴られるのも」
Aruらしい言葉だ。もちろんそんなことをさせるつもりはない。
「いや、そうじゃないんだ。頼んでもやらないだろw
この前見せたメモリなんだが。この電話も誰かに聞かれているかも知れん。とにかく合流してくれ。コード10011にこれから送る場所へきてくれ」
「わかったよ、これはメイドカフェくらいじゃ借りは返せないぜ」
「了解した。○○なところへ連れて行ってやるよ」
確かにそれくらいじゃ返せないくらいの借りだな。
さて、これからどうしてくれよう。とにかく万が一にもこと美さんを傷つけるわけにはいかない。実弾もしかたあるまい。
いったん事務所の地下に戻り装備の見直しだな。それくらいの時間はある。
時間通りに俺が指定した場所で合流だ。
「コードって言うからなんだろうと思ったけど、時間だってすぐにわかったよ」
さすが天才ハッカーAru。素人が考えた暗号なんてはすぐに解いてしまう。
「やっぱり簡単すぎたな。俺にはあれが精一杯だったよ。それで頼みって言うのは」
メモリを差し出す。
「しかし、このメモリの解読はもっとでかいコンピューターが必要だぜ。俺が持ってるPCじゃ無理だよ」
「いや、解読じゃない。俺なりに考えたんだが・・・」
声に出すとやばい気がした。口元を閉じメモ紙に書いて手渡す。
「なるほど、これならすぐにできるよ。くわさま、冴えてるじゃん」
やはりAruには頭の勝負では敵わないな。よくまあこんな拙いメモだけで俺の考えがわかるものだ。
「15分待ってて」
嬉しそうにハングアップだ。