0 物語のはじまり
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人生五十年、なんていうけど。
半分だけの私の人生なんて振り返ってみればあっけのないものだった。
大学を出て、そこそこ大きな会社に就職して、だけどろくな仕事も持たせてもらえず、多分私なんていなくてもまわるようなところだった。高校生でも三ヶ月あれば覚えられるようなもの仕事内容だ。もちろん、それに見合って給料なんてスズメの涙ほどもなかった。
もともと私は働くつもりなんてなかったし、たくさん稼いで贅沢をしたいとも、生きたいとも思っていなかった。
初めてこの世からいなくなりたいと考え出したのは、多分小学二年生くらいから。
自分でも達観した子供だったと思う。常に考えていたことが普通じゃなかった。通り過ぎるサラリーマンやコンビニの店員、弁当をかきこむトラック運転手に電車のホームで踊る酔っ払い、ファミレス裏で恐喝している高校生にカフェで別れ話をしている女の子。
なにが楽しくて生きているんだろう。
私の小っぽけな八年間じゃ、なにも分からなかった。
この社会で小学二年生というカテゴリーに組み込まれた私に慈悲深い笑みで答えてくれる奇特な人も現れなかった。
だから私は考えるしかなかった。
みんなみんな、どうして生きていられるのか。
答えは出なかった。
食べるため?遊ぶため?贅沢をするため?大切な人のため?親孝行のため?息をするため?見得のため?地位のため?なんのため?
全部違う。私の答えはどこにもない。
考えても考えても、答えは出なかった。
だから私は諦めた。考えるのを保留した。
答えが出ないのは、きっと私が八年しか生きていないからだ。二十年も生きたら何か分かるかもしれないと。
だから二十年生きてみた。
勉強して視野を広げれば何か出てくるかもしれないと持てる限りの時間を使って勉学に勤しんだ。運動して頭を活性化させれば何か見えてくるかもしれないと残りの時間を使って体を動かした。
残念ながら、何も答えは見つからなかったけど。
なんでみんな生きていられるのか。
なんでみんな生きていられたのか。
そっか。死んだからもう過去形だ。ああ、苦しかった。やっと、死ねた。二十五年間で結局答えは見つからなかったけど。でもいい。死ねた。あの世界から解放された。異端だった私は異端じゃなくなった。ここにカテゴリーなんて概念はない。なにも考えなくてもいい。全部、真っ白だ。
「──────はい、走馬灯終わった?」
真っ白…だったはずの世界はいつの間にか白じゃなくなっていた。宙に浮かぶ、箱?正方形の小さな箱。突如現れた、多分危険な存在。私のゼロを壊す、私を異端にしらしめる存在の、箱。
「あはは。やっぱり君、面白いね。人間じゃないみたいだ」
喋らないで。やめて。消えて。終わったの。私という存在はいないの。こんな思考世界は必要ないの。お願いだから。私に何も考えさせないで。私に私を認識させないで。
「…難しいこというなあ。君、考えるということは、個体の特権だよ?個体は消えることはない。消えられない。まして人間なんて特殊な個体は考えるべく産み落とされた個体だ。考えることは、個体の本能だ。自分という存在を認識しなくても、世界を認めた時点で君はここに認識される。なぜならこの世界を構築したのは、君だからね」
分からない。分からない。おかしなことを言わないで。難しいことを言わないで。私は、いなくなりたいの。もう、何も、考えたくないの。
「…大丈夫だよ。自我なんていう立派なものを持っている今すでに、君は世界の異端ではなくなった」
何を言っているの。何が言いたいの。
「本当は君という存在を作ることも個体を与えることも世界に組み入れるつもりもなかったんだ。ごめんね。全部、僕の不手際。僕の間違い」
間違い…?私は間違いだったの?
「うん。ごめんね。早く消せば良かったんだけど、君は自ら、個体を持ち始めちゃってたから。もう遅かった。無理だった。消せなかった」
私は、あなたのせいで、異端だった?
「…うん。欠片を落としたはずみに、回収しきれなかったところから生まれたのが、君。作ろうとして作ったわけじゃないから、欲を持たすことができなかったんだ」
欲?
「そう。君が君自身を異端だと認識していたのは、人間という個体に付属する『欲』が無かったから。生きたいという欲を持ち得なかったからだ。…ごめんね、随分苦しんだだろう」
ああ、そっか。だからか。だから。私は。答えが。見つからなかった。なぜ人が生きるのかが分からなかった。私が、異端だったから。欲のない、異端だったから。…ああ、そっか。
なんて簡単で、単純な、答え。
どうして見つけられなかったんだろう。
「だけど既に君は君だ。個体だ。人間だ。考える個体だよ。だから君には、もう一度、新しい世界を与えなければならない。君は新しい世界で考えなければならない」
…やめて。嘘。嘘でしょう。私は。違う。生きたくない。
「駄目だよ。君は◯◯◯◯になるんだから」
何?聞こえない。なんて言ったの。何が駄目なの。どうして生きなきゃいけないの。
「大丈夫。その答えはすぐ、見つかるよ。──────今度こそ次の新しい世界で」
いや。やめて。何をするつもり!
「記憶は引き継がないでおくね。無いほうが、安全だから。その代わり…いや、僕からのお詫びと応援の意を込めて、少し特別を与えよう。君という個体へ、特別を」
いらない!何もいらない!やめて!消えたいの!
「うん。ごめんね。────良い人生を。僕の○○○。次の世界は君に優しくなることを願ってる」
…な、に。…………眠い。
……………あ、………やっ、と……死ぬの、かな……。
…。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「───それで貴様は高みの見物か」
「……なに、見てたの?やだな。覗きなんて悪趣味」
「はっ。貴様に覗きという概念があったとはな。……なぜ嘘をついた」
「…嘘?なんのこと?僕、嘘はつけない善良な個体なんだけど」
「善良などとどの口がほざく。分かっているだろう。あの個体に『欲』はあった。与えたものではないが、自ら構築していた。あれは、異常だ」
「異常だなんて…ひどいこという。あのコはちょっと特殊なだけ。面白いよね。変わった個体だ。自分で『欲』を構築するなんて。しかもよりによって『知識欲』だけときた。あのコはきっと、世界に落としたほうがもっと伸びると思うんだよね」
「…貴様が面白がるために、アレを世界に放り込んだのか」
「まさか。あの個体を思ってのことさ。僕が面白がるためだなんて、そんな」
「いいのか。アレは恐らく世界にも異常を起こすぞ。知識欲以外を手に入れた、それも特別を持ったあの個体はどう変化するのか想像がつかない」
「あはは。貴方も面白いこというね。『想像がつかない』だなんて。僕らは『想像』なんて出来ないだろう?人間じゃないんだから」
「…我は、貴様という個体が何をしでかそうと驚かない自信がある。『想像』なんて容易いだろう」
「…………そんなことあるわけないじゃない。僕たちは『神』なんだから。想像することなんて、許されない」
「誰が許さないんだ?ここは貴様の────」
「ああもう!ダメだよダメダメ!…全く、いつにも増しておしゃべりなんだから。どうしたのさ急に」
「…いや、なんでもない。ただ、あの個体が心配なだけだ」
「へぇ、珍しい。貴方にも心配なんていう感情があったんだね」
「我は善良な個体だからな。貴様と違って。アレの行く末を、せいぜい案じてやるとしよう」
「酷いなあ。それじゃあまるで、僕が悪い個体みたいじゃない?僕だって、ちゃあんとあの個体の未来を心配してあげるさ。そのために、干渉だって厭わないつもりだよ」
「…干渉!?貴様、世界に干渉するつもりか!?」
「うん。だって僕のせいでまた、あの個体が不幸になったら可哀想じゃない?せめて、幸せになれるように下ごしらえはしてあげようと思ってね」
「これ以上ひっかき回して、どうするつもりだ。あの悲劇を忘れた訳ではあるまい」
「…だけど、干渉は禁じられた行為ではない。好ましくないだけ。やるかやらないかは、僕たち各個体の権限に委ねられてるよね」
「…っ」
「大丈夫だよ。もう、絶対、あんなことにはしないから」
かくして、矮小な個体は新たな世界で新たな営みを始めることとなった。それがどう転ぶのかは、まだ誰にも────そう、神と呼ばれる存在にすら、解らないことであった。