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鶴の恩返し  作者: 雪桃
プロローグ
9/62

痴漢、ダメ、絶対

「ただいまーってあれ? 鍵開いてる?」


 羽南が帰ってきた頃、遥は弁当を食べていた。


「あれ? 今日午前授業?」

「いえ。休みました」


 遥は朝のことを話す。


「電話してくれればすぐ迎えに行ったのに」

「でも羽南さん忙しそうでしたし。ご迷惑はかけたくなかったので」


 羽南は眉を寄せてため息を吐くと遥の向かいに座った。


「ねえ遥ちゃん」


 やけに真剣な眼差しに思わず遥は背を正す。


「私達はつい最近まで赤の他人だった。だから遠慮する気持ちもわかるよ」

「は、はい」

「でももう私達は家族になった。そう言っても慣れないと思うけど遥ちゃんは私にとって妹だし、妹が具合が悪くなって見捨てるような姉にはなりたくないの」

「はい……」


 羽南は表情を和らげる。


「できるだけ早くすっ飛んでいくからさ。何かあったらちゃんと連絡して。ね?」


 遥は頷く。一歩引いて遠慮しているのは羽南ではなく自分の方だった。羽南は立ち上がるとキッチンの方へ向かった。


「さってと。今日は野菜炒めにしよう。やっとあの社畜ババア帰ってくるし」


 落ち込んでいた遥は羽南の言葉に立ち上がった。


「帰ってくるんですか羽奏さん」

「そう。今日帰ってこなかったら酒全部没収するって言ったら帰るって。家より酒かあの女……」


 ワーカーホリックで酒好きの美人。癖が強すぎて全く想像できない。


「遥ちゃん、料理手伝って」

「あ、はい」




 午後六時。颯斗と颯介が帰ってきた。


「姉ちゃん大丈夫!? 痴漢に()ったって」

「颯介声でかい! 大丈夫だから」


 恐らく颯斗が教えたのだろう。ちびっ子二人が別室にいてよかった。


「それならいいけど」

「うん平気。だから離して。あんた(あく)(りょく)すごいんだから」


 颯介に手を離された遥は羽南の方を見る。羽南はスマホを見て震えている。


「て……」

「て?」

「定時で帰るって言ったじゃねえかあのババア!!」


 何故か大激怒中だった。そもそも怒ったところを見たことがない三人はその怒鳴り声に身を縮こませる。そのうち目の据わった羽南が振り向く。


「遥ちゃん」

「はい!?」

「先にご飯食べてて。私ちょっと()りに行くから」


 どこへとは聞かない。スマホとパスケースを持って出かける羽南をただ見送る。


「……颯介、円達呼んできて」

「わかった」


 遥は羽南が怒るところを見たことないと心配していた。だが今はこう思う。


『絶対羽南は怒らせてはいけない』




 二時間後。夕食も終わり、遥が洗い物をしていた時にインターホンが鳴った。


「ただいまー」


 羽南が帰ってきた。普通に戻っていたことに大人組は(あん)()した。


「おかえりはなさん!」

「おかえり!」


 かまってアピールをするちびっ子達の頭を撫でる。


「その子達が引き取ったやつか?」

「そうだよお姉ちゃん。円ちゃんと颯馬君。まだいるけどね」


 羽南の脇をすり抜けて、女にしては低い声が部屋に響く。

 声の主は平均身長の羽南や遥が見上げるほど高く、パンツスーツが似合うかっこいい美人だ。どこかで会ったことがあるような。いや会った。ついさっき。朝っぱらに。


「痴漢で助けてくれたお姉さん!」


 思わず遥は叫んでしまう。美女がこちらを向く。


「痴漢?」


 羽南が首を傾げて羽奏を見る。


「あ、えっと、今日朝助けてもらって。送ってくださったんですけど」

「え、お姉ちゃんそんなことしてたの? あの社畜ババアのお姉ちゃんが?」

「社畜の何が悪い」

「そっち?」


 美女はリビングのソファに(かばん)を置いて遥の元まで歩く。


「はじめまして。芦屋家長女、芦屋羽奏だ。よろしく」


 美女──改め羽奏は淡々と告げる。ついていけない遥はただそうですかと頷くしかない。


「いやいや待ってよお姉ちゃん。この状況でよく自己紹介できるね」

「行動は早い方がいいだろ」

「その通りだけどさ。お姉ちゃんの行動は普通と違うんだから」


 いまいち理解していない羽奏にとりあえず座れと指示する。遥達も用を手早く済ませると、眠くなったちびっ子二人以外がダイニングテーブルについた。


「じゃあ改めて。遥ちゃんには一度説明したけど、この人が羽奏お姉ちゃん。見た目は満点だけど中身は仕事のことしか考えてない外面女」


 暴言を吐かれても羽奏の表情は一切動かない。いや、そもそも朝会った時から声の抑揚(よくよう)といい頬といい変わった様子はない。遥達の疑問を読み取ったのか、羽南が先に口を開く。


「お姉ちゃんねー。ちゃんと表情筋はあるはずなんだけどいかんせん仕事しか頭にない人だからちょっと挑発したくらいじゃなびかないのよ。だから驚いたんだよね。あのお姉ちゃんが自主的に他人を助けるなんて」

「別に。目の前の痴漢を見過ごすほど性根は腐ってない」


 さして興味もないというように抑揚のない声で羽奏はそう言う。大きな二重の目で見られた遥はその視線身を縮める。朝と変わらないはずだが、改めて見られると、なんだか()(もの)として狙われているような気がする。


「まあまだここに来て一週間足らずだし、お姉ちゃんのことも追々知っていけばいいよ」


 話はそこで一段落着いた。

ちなみに遥も颯斗も運動神経はないに近いです。

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