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鶴の恩返し  作者: 雪桃
そして一年が経つ
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養子への差別的用語、虐待表現がございますが、作者はこれらを推奨しているわけではございません。予めご了承ください。

 羽南は夢を見た。遥と出会うよりも前。芦屋の姓を得るよりもずっと前。

 赤ん坊だった頃の記憶はほとんどない。一番古い記憶は全身ボロボロで泣き叫んでいる女とその女に暴力をふるっている男。羽南が男を見たのはそれが最初で最後だったが女が泣きながら首を振って出ていこうをする男にしがみついていたところは強く目に焼き付いた。

 その後女は抜け殻のようになった。否、羽南が三歳になるまではご飯を与えてくれたり遊んでくれたり優しく接してくれた。だが羽南が一人で粗方何でもできるようになった瞬間急に人形のように何もしなくなった。羽南がお腹が空いた時だけ機械的に食料を置くだけ。早々に女に構ってもらうことを諦めた羽南は寒い外を何時間も歩いて暇を潰していた。そんなことをしている内にいつしか隣に住んでいた虐待児の妹となっていた。

 『ネグレクト』は虐待だ。誰もが女は犯罪者と言う。しかし一部始終を見ていた羽南はわかっていた。女が──母が苦しんでいたことを。自分を産んだ途端に夫であった父にDVを受け捨てられた母。それでも悪になりきれなかった母は羽南を育てた。三年間孤独と批難の目に耐えながら。

 だから母が首を吊って死んだ時が、羽南は悲しみよりも「やっと楽になれたんだ」と幼いながらに理解した。

 そこから先は本当に早かった。実親から何も教育されていなかった羽奏は純粋というべきか馬鹿というべきか自由奔放でワーカーホリックな古都子そっくりに育ってしまい、家事は羽南がやることになった。それでも楽しかったから文句はなかった。

 問題が起こったのは羽南が十八の時だった。古都子の爆弾発言から始まった。


「靏野ってとこはわかるでしょ? そこの両親が死んだら子どもを引き取るから。成人まで」

「意味が! 全く! わかりません! アメリカから帰ってきたと思ったら何娘の了承無しに勝手に養子縁組してんの!?」

「まだしてないわよ。死んだらだって」

「それ私が引き取ること確定だよね!? お母さん達アメリカ行ったままほとんど帰ってこないしお姉ちゃんも同様だし」

「まあ人が死ぬなんて早々ないわけだし。あっちのお子さんも分別ついてる子が多いし」


 楽観的な古都子に羽南は反感を覚えた。人はペットではない。飼い主がいなくなって引き取られる犬や猫とは違う。引き取られた羽南が言うことでもないが自分には到底子どもの世話などできない。そう否定しても決まったことは仕方ない。よろしくと言う古都子にあれ程殺意が湧いたことは無かった。

 それから四年後。ポストの中に入っていた喪中はがきと通夜の電話がかかってきて羽南の心配が現実となった。古都子達の代わりに通夜は参加するが、羽南の頭の中はどう養子を拒否するかばかりだった。一応証拠を持っていけと言うので車内はアルバムやレコーダーだらけになった。

 車を停めて受付で名前を書く。通夜は始まっていないが重苦しい──というより気分が悪くなるような下衆な空気だった。未成年の子どもと遺産。どう考えてもそれが狙いだろう。子どもはいいカモとしか見ていない。


(……いや、ラッキーと考えよう。やっぱ無しって言っても引き取り手に困ることはない)


 羽南はそう言い聞かせながら会場へ足を運ぶ。線香の噎せる匂いとすすり泣く音。そんな中で羽南は目を疑った。


「お母さん?」


 そこには死んだはずの実母が──いや、見間違いだった。そこにいたのは制服に身を包んだ大人に近づきつつある少女だ。


(あの子は……)

「可哀想ね遥ちゃん」


 羽南の隣にいた中年の女性が一人呟いた。


「はるか?」

「あの女の子よ。靏野さんのとこの長女なの。まだ高校生なのに大丈夫かしら」


 そう言いながら女性は席の方へ向かった。羽南はしばし『はるか』と呼ばれた少女を遠くから見る。参列者に挨拶をする姿がどうしても母に見えてしまう。


(あの子もいつか命を絶つんだろうか)


 自分が迎え入れようと他の養子に入ろうといずれ母のように自殺するんだろうか。壊れた人形のようになって痩せ細っていくんだろうか。それなら育てる意味などないではないか。


(でも)


 自分が強かったらどうだったのだろうか。羽南がもっと大人でもっと頭が良くてもっと強かったら母は死ななかったかもしれない。未来があったかもしれない。


(あの子にはあったのだろうか。親が死なずに幸せに生きる未来が。親がいなくても幸せに生きられる未来が)


 死んだ人は戻ってこない。もう一度やり直すことはできない。羽南が母を救うことはできない。けれど『はるか』はまだ生きている。


(ねえお母さん。私でも人を救えるのかな。お母さんは救えなかったけど、あの子に未来を与えることはできるのかな)


 もしできたのなら。それは母への償いになるか。いや、ならなくてもいい。


(彼女の未来を作りたい。私の手で守りたい)


 そう思ったから。『はるか』を見て強く思ったから。だから。


「きっとその芦屋って奴が誑かしたに違いないわ! そいつらを吊るし上げてあげるから名乗りなさいよ!」

「はーい」

(見ててね。お母さん)


 高く手を挙げた羽南の目線の向こうに、優しく微笑んだ母が溶け込んでいった。

 その後、電波女に抱腹絶倒させられる羽目になったとは羽南は知る由もなかった。


ちなみに羽南に話しかけてきた女性と電波女は全く別人です。

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