53
あけましておめでとうございます
手洗い場の鏡に映った自分の顔を見ても遥は全く疑問に思わなかった。それだけおかしくなってしまっている。
(あ、早く戻らないと。流石に颯斗にばっかり任せられない)
遥の代わりに今まで弟妹の世話をしてくれたのは颯斗だ。遥程ではないにせよ心労が隠れていない。
(これ以上弟に迷惑かけちゃいけない。私はお姉ちゃんなんだから)
台に置いてあるリュックを背負って手洗い場を出る。この病院は広い。少し気を緩めたら迷ってしまう。病院までの通路を確認してから向かう。
「?」
何やら自分が歩く方向にナースが小走りで数人通っていく。首を傾げながら遥が進んでいくと騒ぎの部屋が近づいてきた。そこは遥が行くべき場所だ。
「え?」
背筋に嫌なものが伝っていく。全速力で走った後のように心臓が速くなっていく。
「まだ……まだ」
ふらつく足でゆっくりとそこに進んでいく。近づいているはずなのに声は遠くなっていく。
「姉ちゃん!」
「颯、介……」
遥が入口の前で立ち止まっていると、存在に気づいた颯介が人の間を縫うようにして遥の前まで寄ってきた。
「良かった。倒れてるんじゃないかと思ったよ」
颯介は胸に手を当てて息を吐いた。それで遥の気が休まるわけではないが。
「先生、何してるの」
呟く遥の肩に手を当てて颯介は扉から離れる。
「もう限界だったらしいよ」
「限、界?」
「兄ちゃんは羽奏さんに電話してる。すぐ戻ってくると思うよ」
颯介が更に何か言っているが、今の遥には聞こえない。
(限界って何? 羽南さんの限界って何? わかんない。颯介はわかってるのに私はわからない。どうして?)
いつもは逆なはずだ。一番姉である遥が最初に理解して下の子を誘導するはず。それが今は立場が逆になっている。
「昨日から覚悟していたんだ。別れは寂しいけど、ちゃんと死に目に逢えるよ」
シニメニアエル?
(あ、そっか。羽南さん死んじゃうんだ)
遥の脳は一気にフラッシュバックを起こした。思えばこの一年で新しい経験をいくつもしてきた。大学受験も引っ越しも新しい出会いも。両親が死んで引き取られたことも。
(じゃあもうできないの? 羽南さんと料理したり買い物行ったり……)
一年前の通夜を思い出す。靏野家のちびっ子二人は両親がどうなったのか完全に理解してはいなかった。それでも周りが悲しんでいることは察していたのだろう。耐える遥の服を引っ張って言った。
「もうママたちに会えないの?」と。
(会えない。会えないよ。だって人は死んだらあの世に行っちゃうんだから。バイバイだよ……バイバイ……)
「……だ」
「姉ちゃん?」
小さく声を漏らした遥の顔を覗き込む。遥の頬を一筋涙が伝う。
(嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだ……)
「いやだ!!」
驚く颯介と近くにいたナースを差し置いて遥は病室に駆け込んだ。そのままベッドの前で膝をつき、羽南の着ている服を引っ掴んで大きく揺さぶる。
「まだ一年だよ!? お母さん達が死んで引き取られてまだ一年しか経ってない! なのにどうして死んじゃうの!?」
泣き喚く遥の後ろで颯介は呆然と立ち尽くす。こんな姉を見たのは生まれて初めてだから。両親が死んだ時も、どれだけ辛いことがあっても冷静だった遥が過呼吸を起こす程羽南に縋りついている。
「颯介、どうし……」
電話を終えた颯斗が急いで戻ってきた。病室の様子を見てすぐに目を見張った。
「遥!」
颯介よりもすぐに硬直が解けた颯斗が急いで病室に駆け寄る。そのまま遥を羽南から引き離そうとするが本人は全く気にせず羽南に訴え続ける。
「置いていかないで羽南さん! 私、しっかりした子じゃないよ! 羽南さんがいなかったら何もできない。だから戻ってきて羽南さん。私を壊さないで!」