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鶴の恩返し  作者: 雪桃
そして一年が経つ
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 朝、目が覚めると日の光が差し込んできた。ベッドから起きてリビングに向かうといつもと同じように朝食を作っている女性の後ろ姿が見える。


(羽南さん、おはようございます)


 羽南が笑みを作って遥に何か声をかける。だが聞こえない。


(何かお手伝いしましょうか?)


 遥が声をかけるが羽南は微笑みながら首を横に振るだけで何も言わない。


(……羽南さん?)


 遥は違和感を覚えて名前を呼ぶ。羽南は何も応えずに微笑んで作業をしている。


(あ、あの、やっぱり何か手伝いますよ。お疲れでしょう?)


 羽南の動いている腕を掴む。初めて動きを止めた羽南が口角を下げて遥を見る。


「ごめんね」


 遥の掴んでいた腕が砂のように崩れ落ちた。突然のことに反応できない遥の目の前で羽南の体が跡形も無く消え去った。

 遥は思い出した。思い出してしまったの方が正しいかもしれない。


(羽南さん……羽南さん……)


 もう彼女は帰ってこない。砂が崩れ落ちるように簡単に彼女は遥から離れてしまう。


(羽南さん羽南さん羽南さん……)




「遥!」


 耳元で名前を叫ばれて遥は飛び起きる。真冬だというのに気持ち悪い程汗が流れる。


「あれ……?」

「遥、大丈夫か?」


 汗だくで荒い息を吐き続ける姉の横に座って心配そうにしている颯斗の姿が見えた。


「はやと……?」

(うな)されてたから無理矢理起こしたけど。立てるか?」


 寝起きだからか腰が抜けてしまっているからか颯斗に支えられてようやくベッドから抜け出た。


「今何時?」

「朝の十時。円と颯馬はちゃんと連れて行ったよ」


 受験休みがない二人は小学校と幼稚園にいる。今頃は友達と楽しく過ごしているだろう。


「お風呂入りたい。汗気持ち悪いし」

「ああ」


 覚束ない足取りで階段を降りる遥の後を颯斗もついて行く。

 リビングは静かだった。暖房をつけていないのだから寒いのは当然だが、辺りは寂しい雰囲気で満ち溢れている。


「ねえ颯斗」


 後ろで待っている颯斗にふと声をかけてみる。


「何。ああ、お湯つけたばっかだからもう少し待ってろよ」

「羽南さんは?」


 姉の言葉に颯斗は口を止めて目を見開いた。そんな弟に気づかず遥は一人思案し始める。


「今日仕事って言ってたっけ。でも急に入っちゃうこともあるもんね」

「遥」

「ん?」

「羽南さんは病院だよ」


 今度は遥が硬直する番だった。


「昨日見ただろ? 昏睡状態で、今日にはもうヤマが来るって言われて」

「夢でしょ?」


 震える口で遥は声を出す。あれは全部夢だ。家に帰ってくるまでもベッドに入るまでも記憶がない。だからあれは悪夢だ。疲れから出たネガティブな妄想なのだ。


「夢……でしょ?」


 どんどん絶望に満ちていく遥の顔を見れずに颯斗は目を逸らす。そんな弟に言及するようにシャツにしがみつく。


「夢……だよ。夢なんだよ。ねえ、ねえってば!」


 苦しそうに叫ぶ遥を抱きしめて落ち着かせるように背中を撫でる。


「遥、現実を見て。俺達にはもう何もできないんだよ」


 遥の服を握りしめ、何かを堪えるように詰まった声を出す颯斗を見てふと我に返った。


(ああ。しっかりしなきゃ。私、お姉ちゃんだから)


 遥は颯斗の胸を押して離れた。


「はる……」

「お風呂入ってくるね」


 努めて優しく、普通のことを当たり前のように言う遥に颯斗は二の句が告げなかった。その間に遥は洗面所へ行ってしまった。


「あ、兄ちゃん。姉ちゃんは?」


 部屋に戻っていた颯介が入れ替わりでリビングに来た。


「羽南さん、戻ってきてくれよ」

「兄ちゃん?」


 首を傾げる颯介を他所に颯斗は奥歯を噛み締める。


「あなたが死んだら……今度こそ遥が壊れる」


 羽奏は相変わらずのように仕事へ行った。羽奏らしいと言えばそうだが、何もこんな時にまでと思うのは社会人になったことのない学生の性だろうか。


「ねえ兄ちゃん。俺先に病院行って待っててもいい?」


 親の死に目に逢えなかった分、羽南の最期を見届けたいのだろう。遥はまだ入浴しているため留守番が必要だ。


「別にいいけど。三人一緒に行くじゃ駄目なのか」


 颯斗の純粋な疑問に颯介は気まずそうに目を逸らした。


「?」

「その……怒らない? 超身勝手だし兄ちゃんに責任全部押しつけてるけど」

「もったいぶってないで早く教えろ」

「……羽南さんが死ぬのも辛いけど。もっと苦しいんだよ」

「何が」

「姉ちゃんが壊れていくのを見るのが」


 きまりが悪そうに頬を掻く颯介を前に颯斗は息を呑む。


「……いいよ」

「兄ちゃん?」

「行っていいよ。何かあったら連絡してくれ」


 苦笑を浮かべる颯斗に見送られながら颯介は病院に向かっていった。

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