15
古谷が運んでくれたために身軽で前も見えるようになった。
「ありがとう古谷君。助かった」
遥がお礼を言うも、古谷は何も言わずに倉庫を出ようとする。その時腹から盛大な音が鳴った。
「……」
「……」
沈黙の時間が流れる。
「……」
「……あの。もしよかったらお弁当食べる?」
古谷が大人しくついてきたため、遥は中庭のベンチに腰かけて弁当を差し出した。
「あんたは」
「靏野遥です。私の分は気にしないで。元々少食だからお腹空いてないの」
どうぞと態度で示すと古谷は弁当を食べ始めた。それはもうすごいスピードで。
(リス)
頬に物いっぱい詰めて食べている姿はまるでリスである。見た目とのギャップに遥はつい笑みを零してしまう。それにしたって早い。
「ごちそーさん」
「どうも」
米一粒残さず綺麗に完食されている。不良なのに。
「さてと。あれ、どこ行くの?」
「昼寝」
「授業は?」
無視された。つまり休みの原因はサボりということだ。お節介焼きの遥はすかさずついていく。
「授業受けよ」
「ダリぃ」
「わからないところ教えるから」
「教科書捨てた」
「見せてあげる」
「ウゼぇ」
プチンと遥の頭の中で糸が切れた。
「そんな言葉お姉ちゃんに使っちゃいけません! めっ!」
そんなに力を入れていないチョップを古谷にかます。よくちびっ子達にやっているものだ。
そこで遥は我に返る。目の前にはちびっ子──ではなく目を見開いてキョトンとしている古谷。
(詰んだ)
「ごごごごめんなさい。弟達にやってる癖でつい」
腰を90度に曲げて謝ると焦りすぎた遥はそのまま全力で教室に戻った。
「遥ーおかえりー。なんで真っ赤になってんの」
「穴があったら冬眠したい」
「来年を待ちなさい」
その翌日。なんとなく予感がした遥は冷凍庫を漁って不慣れな手つきで弁当箱に食材を詰め、昼休みに中庭に出てみた。美智は例のごとく部活だ。そして古谷はいた。
普通に呼んで弁当を渡せばいいのだが昨日の一件があるせいで中々声をかけづらい。色々考えた末、近くにあった長くて丈夫そうな枝に弁当の風呂敷をくくりつけ古谷の隣に置くことにした。
「……おい」
「ひゃい!?」
あと少しというところで古谷に声をかけられた。噛むわ裏返るわ落とすわ踏んだり蹴ったりだ。
「隣に来ればいいだろ」
「そ、そうですよね」
遥は冷静になって古谷の隣に座り、弁当箱を差し出す。
「あ、だ、大丈夫だよ! 私の分はあるから。どうぞ」
古谷は弁当と遥を交互に何度か見た後差し出されたものを受け取った。そしてまたリスと化していた。
それから一ヵ月。羽南にバレて──というか暴露された翌日は適当に詰めたものではなく彩りや栄養を考えたものになっていた。
「今まで家の人に内緒にしてたらこの差になりました」
明らかに見た目が大きく変わった中身に古谷の動きが止まった。理由を聞いたら黙々と食べ始めた。
食後。
「ねえ古谷君。今日こそ授業に」
「出ない」
このやりとりが毎日続いている。どちらも全く折れる気はない。
「でももう中間試験は終わっちゃったし。成績上げないと留年しちゃうよ」
「どうせ親がコネ使うからどっちにしろ一緒なんだよ」
「いつまでも甘えてちゃ両親が可哀想」
「……ウゼぇな。お前だって今受験で苛ついてんだろ。親にあたってんじゃねーの?」
遥はぐっと声を詰まらせる。
「……してない」
「嘘つけ。責任感が強いやつほどストレスが溜まるんだろ?」
「……してない」
だって。と遥は思わず口を滑らせてしまった。
「私の親、死んだから。三か月前に」
古谷が息を呑むような音が聞こえてきた。しかし地雷を自ら踏んでしまっては引くに引けない。
「古谷君はいいよね。喧嘩ができる親がいて。甘やかしてくれる親がいて。私だって進路のこととかで大喧嘩してみたかった。養ってくれる人はみんな優しいよ。お弁当も作ってくれる。けど本気で叱ってくれる人はもういない」
二人の間に重く気まずい沈黙が流れる。耐えきれなくなった遥が一人教室へと戻っていった。
「おかえり遥ー。なんで青いの?」
「穴があったら埋められたい」
「自殺願望!?」
それから遥はショックを受けたように項垂れたり、心ここにあらずと言ったように上の空だったりクラスメイトを不思議そうにさせていた。
家に帰ってもその状態で、夕飯の時に何度も声をかけられたり、危うく風呂で溺死するところだった。
「はあ」
一人になると昼の記憶が脳内を駆け巡る。
(馬鹿だ。昔から考えるより口が動くけど今日のは一番最悪だ)
参考書が開かれたままの机に顔を突っ伏す。こんな状態で勉強したって筒抜けに決まっている。
(謝ろう。土下座でも何でもして謝ろう)
遥はしっかりと決意を固めてから早めに眠りについた。
翌日。いつもの場所に古谷はいなかった。