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隣にいる羽奏を改めて見上げる。
(颯介がこの前180になったでしょ? ヒールが予想でも10センチだとしてもそれで同じくらいなんてどれだけ背高いのこの人)
羽南は社畜だと言っていたが美人でスタイル抜群、おまけに仕事もできる女なんて完璧だろう。きっと世の男は一目ぼれするに違いない。
(彼氏もいないんだろうな。宝の持ち腐れ……)
羽奏が目だけを寄越す。遥は咄嗟に目を離して進行方向を向く。
(怒ってるわけではないんだろうけど)
威圧というか、重圧を感じて遥はその道中、羽奏の顔を見ることができなかった。
駅に着いても颯介は心配そうにしていた。
「本当に大丈夫? 兄ちゃんだけじゃ心配なんだけど」
弟に軽く貶された颯斗は何も言わずに眉を寄せる。実際羽奏が助けてくれなければ二人は手も足も出せなかったのだ。
「大丈夫。今日はちゃんと注意するから。今日も自主練するんでしょ? がんばって」
敢えて羽奏の名前は出さずに颯介を宥める。渋々ながらも来た電車に乗り込んでいった颯介を見送り二人も羽奏の待っているホームへと向かう。一緒にいればいいものを先に行く理由が謎だ。
「遥。俺も運動部入る」
「本当に気にしなくていいから。あんたがスポーツなんかしたら確実にメンタルやられちゃうから」
下の三人とは違って運動とは無縁な二人である。
相変わらず芋洗いかと思うほどの人が電車に乗ってくる。見たところ、昨日の集団はいなさそうだが、油断はできない。
目力が強い美女はとにかくすごかった。
「い、いってきます」
怪しそうな男だけでなく、普通のサラリーマンでさえも羽奏の気迫に圧されて何も言わずとも車内の角を譲ってくれた。羽南づてで聞くと羽奏の勤務先はもっと遠いらしい。だから出勤時刻に間に合うようにこの電車を使っているようだが。
痴漢から守るのも一苦労だろう。彼女も女だ。連行された逆恨みで羽奏を襲う輩もいるかもしれない。
(雰囲気的にはなさそうだけど)
先ほどの男の避けようを見ると近寄ってくる物好きは少ないのかもしれない。
(そうでなくても自分のことは守れるようにしないと)
一人、心の中で意気込む遥であった。
その後、羽奏のおかげか、一週間何も起こらず登校することができた。ここまでしてくれて申し訳ないと思う遥と反対に、羽南は姉が毎日帰ってくることに大喜びだった。
そして羽奏と初めて対面してから九日経ったある日の夜。
「わかなさんおふろ!」
中々風呂に入ろうとしない颯馬が羽奏が帰宅してきた途端足に絡みついていった。
「……入ればいいんじゃないか?」
「そういうことじゃないから」
冷静に返答する羽奏に羽南は頭を横に振る。
「そっかー。颯馬君はお姉ちゃんと入りたかったのかー」
「はいる!」
遥が諫めようとしたところで羽南が割り入る。
「別に一緒でもいいけど。お姉ちゃん洗い方わかる?」
「部署に子持ちいるから」
「じゃあ大丈夫ね。はい」
渡された颯馬を横抱きにして脱衣所へ向かう。持ち方が既に危ういが。
「本当に良かったんでしょうか」
「ん? うん。別にお姉ちゃん一人がいいとかないだろうし。洗い方は颯馬君がわかるだろうし。あれ?」
料理をしていた羽南の手が止まる。冷蔵庫を見まわして首を傾げてため息を吐いた。
「あちゃー。味噌切らしてた。でも和食メインだからスープは……しかし一汁はつけたい」
一人で妥協している羽南。恐らくまだ寒い夜空の下、味噌を買うためだけに外に出たくはないのだろう。誰だって寒いのは嫌だ。
「……仕方ない。遥ちゃん、ちょっと行ってくる。火加減よろしく」
「はい。行ってらっしゃい」
素早く上着とマフラーを着ると羽南は自転車で坂道を下っていった。買い物と往復合わせて三十分というところだろうか。
(お湯は……もったいないけど一回流そう)
幸い具も出汁も入れていないから一度鍋に入っていた湯を捨てて新しいものを張る。
火を点け直すと同時に玄関のチャイムが鳴った。
(羽南さん? 忘れ物かな)
同じことを思ったのか円が率先と廊下を走って玄関へ向かう。颯介がその後を追おうとすると。
「動くな! ガキがどうなってもいいのか!」
乱暴にリビングの扉が開き、外から円の首筋にナイフを押し当てた男を含め四人が入ってきた。
数十分前。
「シャンプーハットって便利だな」
「わかなさんのおっぱいふわふわー! ねえねとちがーう!」
「後でにしろ。それとその言葉長女の前で言うなよ」
仕事にしか興味のない羽奏はまだ五人の名を覚えていない。
小さな颯馬がのぼせる前に早く体も洗い浴槽に入れる。
「……」
「なんだ」
「わかなさんパパみたい」
「どういう意味だ」
長い髪を乱暴に洗っていつもより高めに結わく。体も同様に赤くなるぐらい強めに洗っている。
「ガシガシってパパもあらうの。わかなさんおんななのにへんなのー」
「こういう女もいるんだ」
シャワーで泡を流すと羽奏も湯船に浸かる。相変わらずの巨乳は湯に浮いた。
「ねえねとちが……」
「やめとけ」
最後まで言わせまいと颯馬の小さな口を手で押さえる。無邪気は時に武器になる。
「熱くなったら言えよ」
「うん! かたまではいってひゃくびょう! いーち、にー」
「今からか」
羽奏は既に赤い颯馬の様子を見てポツリと呟いた。