日常
早朝、鴉紋リクは欠伸を噛み殺しながら登校するため、通学路を歩いていた。
どうも朝は苦手だ。血の巡りの悪い頭にもう一度大きく息を吸って血を流し込んだ。
「あはは。なぁに朝から大口開けてるのぉ? 虫が飛び込んでくるよ?」
後ろから小走りで近付いてくると、隣に並んで、サキがからかうように高い声で喉を鳴らした。
「そんな事言ったって、朝は苦手なんだから仕方がないだろう?」
眼鏡の端から指を入れて目を擦りながらサキに言い返す。
あれから十年経つが、サキには特に変わったところは見られず、普通に生活をしていた。
やはり、悪魔の血なんて物は存在せずに、リクの父親の恩師が偽物を掴まされたのだろう。
「また夜中まで本でも読んでたんでしょ? あたしが寝るとき、リクの部屋まだ電気着いてたもん」
「うん。ちょっと面白い本を見つけてね。気が付いたら三時近かった……」
「もう。本が好きなのは知ってるけど、ほどほどにしなさいよぉ~?
この間だってご飯食べるのも忘れて本に没頭してたじゃない」
隣を歩きながら冷ややかな視線を向けられ、呆れた口調で言うサキに腹が立った。
あの時夕食を食べなかった理由は本に没頭していたせいじゃないはずだ。
「あれは違うだろう? 僕の分までサキが食べちゃったから、食べるものがなくなっちゃったんじゃないか!!」
科学者であるリクの両親も、医者と弁護士であるサキの両親も家を開けることが多いため、二人は良く夕飯を一緒に食べている。
それを知っているリクの母親は、ちゃんと二人分の夕飯を用意してから研究所に行くのだ。
その為、サキがリクの家に来て、リクの母親が用意したものを一緒に食べているのだが、その日はサキが二人分をペロリと平らげてしまった。お陰でリクは夕飯を抜く羽目になった。
「あっ……! あはは、そぉだったね……。ごめんごめん……」
あのリクがひもじい思いをした夜の事を思い出したのか、サキが顔を引き吊らせたままで困り顔で笑い、手を顔の前で水平に立てて謝ってきた。
別に怒ってはいないが、自分に都合良く記憶を書き換えられているのには不満だ。
「別にいいけど。だいたい、サキに本の事は言われたくないよ。自分だって動物見ると……、? あれ……?」
そこまで捲し立ててリクは横を見て瞳を丸くさせた。そこにいるはずのサキが消えていたのだ。
「サキ……?」
名前を呼びながら周囲を見回して彼女を探した。彼女は塀の上で眠そうに欠伸をしながら伸びをしている猫の前で立ち止まり、うっとりとした顔で手を伸ばしている。
「ぬこ……、ぬこ……」
どうやら悪いくせが出てしまったようだ。サキは動物を見ると回りが見えなくなる。普段なら別にいいが、用事のあるときなどは本当に困る。
「ダメだよ、サキ。今は学校に行かなきゃ……」
口で言った位では聞かないのはわかっている。リクはサキの肩を掴むと引き摺る用に猫から引き離して行く。
「ぬこぉ~! ぬこぉ~!!」
「はいはい。また今度ね」
サキは悲痛な声を出して猫に手を伸ばし、じたばたと暴れるが今は彼女の意思になど構っていられない。後でどやされるのを覚悟でサキを猫から離した。
「もうっ! あんなに引っ張らなくてもいいでしょ!? 制服が伸びちゃうじゃない!!」
角を曲がり猫が見えなくなると、正気に戻ったサキが目くじらを立てて苦情を言ってくる。
「サキが猫なんかに構ってるから悪いんだろう!」
「なぁに? リク、焼きもち?
野良猫に焼きもち焼いちゃってんの?」
嗜めるリクにサキはしたり顔で言ってきた。
「そんな訳ないだろう! 誰が焼きもちなんか!!」
「なによ!! その言いかた!!
私には焼きもちを焼く価値もないっていうの!?」
「誰もそんな事いってないだろう!!
なんでそんな、被害者妄想なんだよ!!」
道の真ん中に立ち止まって二人は声を張り上げて言い争っていた。回りの同じ学園の生徒も慣れたもので、誰も仲裁に入ろうともせずに笑いながら傍らを通り抜けて行く。
「二人とも、仲が良いのはいいけど、遅刻しちゃうよ?」
中学からの同級生である、椎名夕美が苦笑を浮かべて声を掛けてくれた。
しっとりとした綺麗な黒髪を腰の辺りまで伸ばした、清楚なお嬢様の雰囲気をもった女の子だ。
おっとりと言うか、のんびりと言うか、独特の性格をしていて、回りを和ませてくれる。
「おはよぉ~、ゆー」
「お早う椎名」
コロッと態度を変えて、椎名夕美に小走りで駆け寄り、ハイタッチをするのを眺めながら、リクも朝の挨拶をする。
「おはよう。二人とも」
サキとハイタッチを交わしながら、椎名はにっこりと微笑んで二人に挨拶を返した。
「聞いてよ、ゆー。リクてばね……」
さっそくさっきの事を椎名に愚痴り始めた。椎名が「それは鴉紋君が正しかったかも知れないね」と嗜めるが、サキは収まりが着かないらしく、「でもさ、服を引っ張るとかないと思わない?」などと詰め掛けている。
リクは女子の会話に混ざる憚れ、後ろから二人の後を着いていく。
ほどなくして三人が学園に到着したとき、ちょうど予鈴が鳴った。