学校
家から歩いて二十分程の処に、二人の通う学校はある。
自転車で行けばすぐかも知れないが、学園に行くには登りは辛く、下りは事故が多発しついる勾配の急な魔の坂がある為、二人は歩きで通学している。
街灯と民家の明かりが照らす暗い道を坂の手前まで自転車で行き、坂に差し掛かるとサキは乗せたままリクは押し始めた。
「大丈夫? 下りようか?」
自転車を押すリクが危なかっしいのか、サキが笑いながら訊ねてくる。
「大丈夫! それじゃあ意味ないだろう?」
自分はそんなに頼りないのかと、リクは頬を膨らませながら口を尖らせて拒否した。そもそも、サキの足に負担を掛けない為にわざわざ自転車を駆り出したのだ。
ここでサキに手伝って貰ったら本末転倒である。
「そっか。それじゃあがんばれ〜」
サキは自転車に乗ったままで楽しそうに笑った。
「お〜!!」
リクは返事をすると、腕と足に力を込めて坂を登り始める。
噂に違わぬ心臓破りの坂を登りきり、リクは肩で息を着きながら校門へ向かう。
夜の学校と言うのは薄暗く、どんよりとした重い空気に包まれていて、中々雰囲気がある。
喧騒に包まれた昼間とのギャップが不気味さを増長させ、静まり返った学校はある種の恐怖をもたらせている。 肝試しや、ホラームービーのステージとして活用されるのも納得が行った。
「か……、帰ろうか……?」
本当になにか出そうな佇まいにリクは背筋に冷たい物を感じて、自転車を押したままで踵を返そうとする。
「ここで帰ったら来た意味ないでしょ?
さぁ、行った行ったぁ……」
サキに呆れの混じった強い語調で責っ付かれて、リクは渋々と門を少しだけ開けて学校の敷地内に入る。
あまりの静寂に空気が冷たくなったような気がして、背筋がゾクゾクとした。
その辺の物陰からなにか飛び出して来そうだ。
「わぁっ!!」
「うぉっ!!」
突然背後からサキに強く声を掛けられて、リクは不覚にも悲鳴を上げて跳び跳ねる程に驚いてしまった。
髪まで逆立ってしまったような気がした。
「あはははは。リク、怖がり過ぎぃ」
リクは振り返ってサキを睨むが、サキは楽しそうに笑っている。
「驚くだろう? 普通に」
「そうかなぁ? もしいたとしても、幽霊なんて全然怖くないけどな」
「俺だって別に幽霊が怖いんじゃないよ。
この雰囲気が嫌なんだ。人が闇を怖がるのは本能だよ?」
「はいはい。リククンの哲学は凄いです」
リクの言葉を軽く笑い飛ばすと、やはり痛むのか、ぎこちない歩調でサキは校舎に向かって行く。
「来たはいいけど開いてるかな?」
サキの後ろを歩きながら、リクが素朴な疑問を述べた。
もしも校舎に入れなかったら何をしに来たのか分からない。まぁ、外側から見るだけでサキが満足してくれるのなら、リク的にはそれでいいのだが……。
「大丈夫。鍵の掛からないところがあるんだ」
まるで、悪戯を思い付いた子供のように無邪気に笑うと、サキは部室棟の方へ歩いていく。
正門から入ると本校舎があって移動教室棟があって、部室棟はその裏に位置している。近づけば近づく程に敷地の外の物音や街灯から離れて行き、更に暗く、寂しくなっていった。
「怖い?」
サキが振り返って満面の笑みでからかうように聞いてきた。
「平気だよ!」
リクは憮然として言い返すと姿勢を正して胸を張り、歩調を強めて部室棟へ向かって行く。
「大丈夫。私が一緒だよ」
サキは小走りで駆け寄って来ると、リクの手を握り締めて隣を歩いた。
リクは一瞬驚いた物の、すぐに笑みを返すと手を握り返して部室棟へと近づいて行く。
「ここっ」
バスケット部部室の裏で足を止めると、窓の一つを指差してサキが微笑んだ。
「不用心だな……」
小さく呟くとリクは窓に手を伸ばして開けてみるが、やはり鍵が閉まっているようでビクともしない。
「開かないよ? ここであってる?」
「ああ、そっか。関係者以外分からないよね。
これはね、こうやって開けるの」
サキは窓の真ん中を掴むと軽く左右に揺らして、窓を枠ごと外した。アルミのサッシと、割れた時に危険を軽減させる為の透明のプラスチックで出来た窓だから可能な粗業だ。
「これは凄いな……」
「でしょう? 知った時私も驚いた。
何代前かまでは知らないけど、昔三年生が備品を自分達で独占して、一年生や二年生に練習をさせてくれない世代があってね、それで一年生と二年生が窓枠のネジを全部外して全部持ち出して、新バスケ部を作って三年生を追い出したんだって。
その名残でここは簡単に外れるの……」
サキは学園の伝説を語るように、過去にあった出来事をリクに伝えた。ある意味、革命を起こしたとも下克上に成功したとも言えるが、語り継がれる程の事でもない。
他の生徒も本気で尊敬をしているわけではなく、ただの噂話程度に喜んでいるだけだ。
それに、水を差すつもりはなかった。
窓枠を外したサキは、手際良く近くに散らばっている物を集めて簡潔な踏み台を作った。
「いつもこんな事してるの?」
あまりに慣れた様子に、リクは呆れて問い掛けた。
「忘れ物した時とかにね〜。たまにだよ。たまに……」
サキは完成した踏み台の強度を確かめるように足で踏みつけながら、得意になって言う。
「足、痛くないの?」
ガラス片で抉られているにも拘わらず、力強く台を踏みつけるサキにリクは問い掛けた。
痛いのに我慢をしているのではないかと心配になったのだ。
「大丈夫だよ? 厚めのサポーターしてるから」
「痛みを忘れる程に楽しい?」
不思議な物で人とは楽しいことや嬉しいことを満喫している時、痛みや苦しみは軽減される。
正確にはなにかに強く集中している時なのだが、痛みや苦しみを感じなくさせるのはそれを上回る楽しさや喜びなのだ。
サキは今、それほどまでに楽しんでいるようだ。
「楽しいよ〜。だって、リクと夜の学校に侵入するんだもん。始めてじゃん?」
「普通はあまり経験しないことだけどね」
学校にそれほどの感慨も持たないリクにとっては、夜に授業が終わった後まで残る感覚が分からないが、実際に家に帰りたがらない生徒も多いと聞いている。
家に居場所がないから、と……。
だから、夜、学校に来る理由はないし、来たいとさえ思わない。今日は特殊な日なのだ。
サキを喜ばせる為に来たのだが、逆に喜ばせてもらってしまった。リクはなんだか負けた気分になって憮然として言った。
「普通すぎるのってつまらなくない?
いいじゃん。たまには……。行くよ」
サキは楽しそうに瞳を細めると、窓際でサンダルを脱いで部室へ入っていった。リクも同じ場所で靴を脱ぐと、窓から中へ入った。
「はい。これ履いて」
女子バスケ部の部室に入ったリクにサキが来客用であろうスリッパを出してくれた。
誰かが職員用のをこっそりと持ってきたのだろう。どうやら夜の学校に忍び込む常習者はサキだけではないようだ。
「準備いいね……」
「私が用意した訳じゃないけどね」
サキが台の上に置いてあった窓枠を嵌めると、くすくすと喉で笑った。
こうすることで、用務員が見回りに来ても一見なにも異常がないように見えるだろう。
「教室行こっ」
一言告げるとサキは部室を出ていく。
こうして、二人の、夜の学校の探検が始まった。