与幸
酷く狼狽しているサキを落ち着かせる為に、リクは手に持っていた救急箱をテーブルに置くと、隣に座って肩を抱き寄せた。
サキは嫌がらずに体を預けてくる。
「落ち着いて、サキ……。ゆっくりでいいから、話してよ」
リクがサキのサラサラな茶色の髪を撫でながら静かに囁き掛けると、サキは俯いたままだが大きく頷いた。
「昨日寝る前にあの人たちの事が頭を過って、そしたら色々考えちゃって、少し眠れなかったの……。
ベッドでごろごろしてたら、家が揺れて……。最初は小さかったからベッドでじっとしていたんだけど、段々と大きくなっていって、怖くなって家から飛び出したら、周りはなにもなかったように静まり返ってた……」
サキは視線は床に落としたまま細い肩を震わせて、口を押さえて嗚咽混じりに吐き出した。
その時サキがなにを感じたか想像してみた。
突然現れた見ず知らずの人間に言われのない事を言われて不安になり、眠れずにいた時に起きた地震に外へ避難したのに、辺りは何事もなく普通の日常にいたのだ。
呆気に取られて訳が分からなくなり、夢でも見ていた気分になったのかも知れないし、自分がおかしくなったと思うかも知れない。
特に、最近他人から悪魔だなどと言われたサキに取って、それはどれだけ傷付く事だったのだろう。
「私、知らない内に眠っちゃってて夢でも見たのかもって思おうとした。必死で思おうとしたんだよぉ……。
だけどベッドに入るとやっぱり家は揺れてて、時間が経つほどに大きくなって行って、一晩中布団の中に隠れてて朝になったらあんなになってた……。
どうして……? ねぇ、どうして家だけ……?」
リクの腕を強く握り締め、サキは強い口調で言った。
戸惑い、恐怖、不安、困惑、そう言う感情が入り混じった、胸の苦しくなる悲痛な叫びだった。
リクにもサキの身になにが起きているのか分からなかったが、取り敢えず安心させたくて強く抱き締めた。
「大丈夫。多分、地盤が緩いとか基礎工事に欠陥があるかなんかだよ……。それで新幹線や大型車の影響で揺れたりするんだ。
サキの家がおかしいわけじゃない。大丈夫だよ。大丈夫」
これまで起きた聞いた事のある事例を述べ、我ながら説得力がないなと思いながらも、少しでも気が紛れればいいと思って続けた。
いつもなら茶化して来るだろうが、そこまで切羽詰まっているのか、リクの気持ちを汲んでくれたのか、リクに抱き付きながら何度も頷いた。
二人はなにも離さず、しばらくの間そのままでいた。
サキの髪を撫でながら、リクは考える。
サキの家だけが激しく揺れる事についてだ。
やはり、普通に考えれば地盤の緩みが原因だろう。家の傾きや倒壊はそれが一番多い。
しかし、サキとリクの親は学生時代からの親友で、ここに移り住んだのも、家を建てたのも同時期と聞いている。
サキの家が揺れるのならリクの家も揺れるはずだし、なにより辺りには二人の家より古い家も多いのだ。
サキの家の下だけ岩盤が崩れたとか、大きな穴が空いているとかでなければ説明の出来ない事だ。
嘘から出た誠ではあるが、地盤を調べる必要性があるとリクは思った。
「ねぇ、リク……。学校に行きたいな……」
二人の間に訪れた無言の時間を破るように、腕の中でサキが唐突に切り出した。
「えっ……?」
地盤の調査は業者に頼むべきか、役所関係に頼むのだろうかと思考を巡らせていたリクは、一瞬サキが何を言ったのか聞き流してしまった。
「学校……。ほら、今日、久々に行かなかったからなんだか落ち着かなくて……」
確かにサキが学校を休むのなんて、幼稚園から一緒のリクでさえ記憶にない程だった。
「今から行っても授業はやってないよ。
それにその足じゃあ行けないだろう?」
「そんなの分かってるよぉ。でも行きたいの!!
足は……、んっ……。リク、おぶってって……」
「学校まで? 結構あるよ。登り道だし……」
「がんばっ!」
急に何を言い出すんだと思ってサキを見るが、サキは小さくガッツポーズを取って促してくる。
もう学校へ行くのは決定らしい。
サキは言い出したら聞かない。リクが断れば一人でも行きかねないのだ。リクは仕方なし小さく溜め息を吐くと微笑み掛けてサキを見つめた。
「この時間じゃあまだ先生とか部活連中とかが残ってるかも知れないから、もう少ししたら行こう……」
仕方がないから自転車に乗せて押して行こうと思い、ふと時計を見ると、まだ教師はおろか生徒も残っている時間だ。今日学校を休んだサキが顔を出せば説教を受けるだろう。
それを煩わしく思い、リクは提案してみた。
「それもそうだねぇ……。それじゃあリク、その前に」
納得したのかサキは苦笑を浮かべて頷くと、リクを見上げてなにかを言いたそうに微笑んだ。
「はいはい。プリンだね」
サキが言わんとしている事を悟って、リクはサキを起こすとキッチンへ向かった。
その後は二人で色んな事を話した。と言っても毎日顔を合わせているわけだから、真新しい会話などない。
それでも二人でいるだけで楽しかった。
やはり、昨日の事が頭から離れないのか、時折翳りのある顔で俯くが、リクは気付かぬ振りをして何時も通りに振る舞った。
そうする事で、サキの気持ちが少しでも楽になればと願っていた。
「そろそろ行ってみる?」
そして、午後八時になった。この時間ならもう学校には誰もいないだろうと思い、リクはサキに声を掛けてみた。
何時もならサキが言い出すまで黙っているのだが、今日はリクから切り出した。
なんでもいいから、サキを喜ばせてやりたかった。
「あっ、本当にいいの?」
「うん。そんな事くらいなら御安い御用だよ」
「おんぶで?」
「えっ……と……。それはさすがに無理だから、自転車にしよう……」
嬉しそうにリクを見上げながら、殆ど不可能に近い重労働を強いようとするサキに苦笑を返しながら、別の方法を提案した。
「もぉ、仕方がないなぁ……。じゃあ、それで許してあげる。ちょっと用意してくるねぇ」
サキは破顔させていつもの跳ねるような口調で言うと、足に負担を掛けないように気を使いながら二階へ上がって行った。
サキは基本家事が苦手であり、洗濯も料理も掃除もリクが行っている。だからリクの家にも、サキが持っていき忘れた服も何枚か残っているのだ。
だから、サキは着替えに行ったのだろう。
「お待たせ……」
待つこと二十分。サキが二階から下りてくるのと同時に声を掛けてきた。
サキが良く着るデニムのショートパンツにセーラーカラーのノースリブのシャツ。それに半袖のジャケットと言う姿だ。髪も梳かして来たらしく、いつも通りのサラサラだ。
ただ、いつもの可愛らしいニーソックスではなく、包帯の上から爪先と踵がでているサポーターを巻いている姿が痛々しかった。
「いこっか……」
リクの心境を見透かしたようにサキが促してくる。リクは笑みを浮かべると頷いた。
「うん。だけど、少しだけだよ?」
「分かってるよ」
二人は微笑み合うと夜の学校に向かった。さすがに靴までは置いてないから、サキは母さんのサンダルを履いている。