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優しさ

 駅前で待ち合わせをした彩南は、改札を出るとベンチにぐんぐん近づいて来た。


「剣菱君! ふ、文ちゃ……に会った……って」


 髪を振り乱して駆けて来るほど、息も絶え絶えになるほど彩南は文雅を思っている。目の前で見せつけられると、千太の胸に痛みが宿るのは仕方がない。……仕方がないはずなのに、喪失感はあっても思ったより強い痛みはなく、千太は自然に笑みを返した。


「話すから、喫茶店にでも入ろう。息を整えた方が良い」

「うん、ちょっと……ふぅ……待ってね」


 深呼吸をして、新しく出てくる汗をハンカチで拭っている。待つ千太の胸にあったのは、まるで妹に先に恋人ができてしまったような……そんな寂しさに似た感情だった。


「逆波は何飲む?」

「私はコーヒーホットで。剣菱君は?」

「アイスコーヒーでお願いします」


 冷房の効いた喫茶店の中に移動すると、さっきまで汗をかいていたのに彩南はホットコーヒーを頼んだ。

 自販機でもホットコーヒーをいつも飲むんだったな、と千太は不思議に懐かしく思った。


「ありがとうね、剣菱君。もう落ち着いたから、文ちゃんのこと聞いても良い?」

「ああ、俺は本社で話を聞いた後に藤原堂の店舗に聞き込みに行ったんだ。部長さんの名刺をもらって」

「うんうん」

「そうしたら、女装している藤原文雅が化粧品を買っていた」

「お? う、うん……文ちゃん女装しないって……あれ? するんだっけ?」

「女装は変装のためだと思うが、骨格が同じだったのでこれ幸いと藤原を呼び止めたんだよ」

「なるほど! 前に言ってたもんね。着ぐるみの中の人が知人だって当てちゃったことがあるって」

「まあ、それで……生徒指導室に呼び出した時とは違って、なんかまともだったぞ。逆波に会って行けと言ったら、これを押しつけて去ってしまった」

「あぁ、やっぱり……え? これ、何なの? なんて言ってた?」

「中は見ていない。逆波に合わせる顔がない……弁償する物だと言っていたな。携帯を出したら血相を変えて奪いとられた」

「そっか……でも、剣菱君が手に持ってた物をとられたの?」

「ああ、まるで一流のボールハンドリングのようだった」


 彩南はボールハンドリングが何かわからなかったが、一流と言うからには文雅が凄かったのだろうとその場は頷いた。因みにボールハンドリングとは球技(特に球を手に持つ競技)において、巧みなボールの取り扱いという意味だ。


「へえー、じゃあこれは弁償する物なのか……」

「どうしてがっかりしているんだ?」

「あ、いや。こんなのより文ちゃんに会いたかったなって……ごめんね、わざわざ渡してもらって」

「それは良い。自分で首を突っ込んだことだからな」

「優しいね、剣菱君。私……最低なことしてるのに」


 フった男に自分の好きな男の捜索を頼んだり、仲介をさせたりはいくら彩南の頭の中がお花畑でも、酷なこととわかる。


「逆波が優しくしてくれただろう? それを返しているだけだ」


 千太にとっては、そういう考え方をすると文雅をあまり憎めない。何故なら文雅には、彩南と出会う前に応援してもらったことがあるからだった。

 生徒指導室の時に言われた言葉も、今では理由あっての発言だろうと思えた。結果から言えば、千太の口下手は医者にかかって改善したし、実際に話した後では更に悪人という印象が薄れていた。


「それなんだけど……私が剣菱君と仲良くするようになったのはね、文ちゃんが居たからなんだ」

「藤原が?」


 彩南は乙女ゲームのヒロインになる計画と、文雅に千太を推されて優しくしていた、と話した。


「だからね、剣菱君の良さをわかっていたのは私じゃなくて文ちゃんなの。生徒指導室で文ちゃんに言ったあれは、本当に過去に文ちゃんが私に言ったことだよ」

「そうだったんだな……わかるよ」

「ええっ!? わかるの? どうして?」

「話していた時、俺が笑ったら藤原も笑っていた。無意識みたいだったから」

「うん……私が剣菱君を応援したい気持ちは、今もずっと本物だけど……あなたを最初に理解した人、は私じゃないんだよ。誤解だったって伝わったみたいで嬉しい」


 文雅の誤解が解けた。その笑顔の眩しさは、今まで見たどの瞬間よりも輝く笑みだった。


「よくわかったよ、藤原が良い奴だって。うん……逆波を泣かせたのは許せないけどな」

「や、あはは……あれはさ、何か理由があったんだよ。絶対」


 傷つけられても文雅を信じる彩南に、千太は入り込む隙間などないと完全に諦めがついた。


「俺もそう思う。藤原は会いたくないと言ったが、逆波がそんなに好きなら……やっぱり会うべきだと思う」

「うん、わかってる。本当にありがとうね、剣菱君! お礼は何が良いかな?」

「……もう充分もらった。……良い」


 千太の満足そうな表情に、彩南は納得して「わかったよ」と返事をした。

 文雅が悪い人間でないとわかっただけで、千太には価値があった。


「じゃあまた、おはぎ作って試合の応援に行くから! ここのお代は私が払っとくね。バイバイ」

「ありがとう、またな」


 空になったコーヒーカップ。何をするとも言わずに足早に去った彩南は、文雅からの贈り物を早く改めたくてたまらないのだろう。

 ストローで分離したアイスコーヒーを混ぜて、口をつける。千太はゆっくりとコーヒーを飲み干し、やがて家に帰って行った。

 自室に戻って来た彩南は、袋を一つずつ開けて思い出に浸っていた。


「これ、買ってすぐ壊しちゃって……文ちゃんが買い直してくれたペンだ」


 それを今度は文雅が壊した。涙がにじんだ彩南は、ティッシュを取って押さえる。まだメイクを落としていないから、崩れると面倒だ。


「……あれ? このファンデ何だろう? こんなの使ったことないし……出たばっかりの奴だ」

(もしかして……お詫びの印、とかかな?)


 もしそうであれば、文雅は彩南に謝りたい気持ちは持っているということ。嬉しいような許せないような、むしろ乱暴に頬を叩きたいような衝動が湧き起こる。


「……会いたくない、はキツいなぁ」


 ファンデを握りしめ、小物をあるべき場所に収めていく。文雅を思うほど、心が挫けてしまいそうで、彩南はそんな自分を誤魔化すためにまた机に向かった。



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