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変装

 彩南からの電話が切れた後、やっと電話をかけるには相応しくない時間になったところで、文雅は電話線を繋ぎ直した。

 正直に言って、大事な仕事の連絡などがなかったことを祈るしかない。お世話になっている身としては最低な行為だったが、何か訊かれたら知らぬ存ぜぬを貫くつもりだ。


(とりあえず、なるべく電話に出なければ直接話はしなくて済むわよね……弁償する物は、郵送で送れば良いか)

「おい、文雅」

「はい。何か?」

「今日、事務所の奴が電話したらこっちに繋がんなかったとか言ってたんだが、何か知ってるか?」

「いいえ? そのお電話は、大丈夫でしたか?」

「ああ、携帯で取った。まぁ今は何にも故障してないみたいだから良いか。遅くに悪かったな」

「いいえ、今日もありがとうございました。お休みなさい」


 小西は手を振ると自室に戻って行った。ここで小西に、彩南からの電話を無視して欲しいと言ってしまえば、きっと怪しまれる。

 許してもらえるとわかっているから怒られるのは怖くないが、彩南との関係に触れられたくなかった文雅は、言わなければバレないだろうと臭い物に蓋をした。


「もしもし、詩歌しいかさん? ああ、うん、大丈夫だった。こっちはこっちで適当にやれるよ。じゃあまた今度、飲みに行きましょうねー」


 礼の母親である詩歌から小西に確認の連絡があった。息子の同級生の女の子に、電話番号を教えたと事後報告ではあったが、それだけでパズルのピースを繋げておおよそ何があったかを悟った。

 そもそも会社からの電話はなかった。鎌をかけてみたのだ。もし確認すれば、電話線が外れていることに気がついたに決まっている。文雅もだいぶ動揺して、当たり前のことに気がつかなかったようだ。


「彩南ちゃんはいつから保険のセールスレディになったんだかな」


 くくく、と無精ひげの生えた顎を撫でて笑った。小西は会社の新企画に向け、今日も体力の限界に挑戦するのだった。

 翌日、文雅はネットで彩南に買ってあげた雑貨が通販できないか調べていた。


「……やっぱり、あんな小物までは売ってないわね……店頭在庫を確認して買いに行くしかないかしら」


 今日は特別に手伝う予定もなく、家事以外は自由に時間を使える。目的の品々がまだあると聞いた文雅は、なるべく早い方が良いとかつて住んでいた街へ買い物に出かけることにした。


「懐かしいわね、ちょっと前まで暮らしてたのに」


 ヒールをカツカツと鳴らして風を切るのは、紺のスーツに水色のスカーフを巻いた女性。とても背が高くモデルのようにも見えるが、首から裏返しの身分証を下げている辺り、お使いにも見えた。

 地毛の色素が薄いので、あえて黒髪のウィッグを被り、マスクをすれば誰も文雅とは思わないだろう。流石に近所への買い物ではここまで手の込んだ変装はしないが、学校の知り合いに会う危険性を考慮して、念入りにチェックを行った。


「領収書をお願いします」

「はい、かしこまりました。百二十三円のお返しです。ありがとうございましたー」


 彩南と二人でよく通った雑貨屋は変わらずにそこにあった。手書きのポップ、新発売の文房具、雑誌で紹介されたマニキュア……そんな物が所狭しと並んでいた。お目当ての雑貨は大半がこの店で買ったため、総額はちょっとしたものになっていた。

 思い出の店を出ると、次の店に向かう。……藤原堂の本店だ。わざわざ女装したのはこの為だった。


「あら、新しいファンデ……すっぴん肌になれる、か」


 店内のポスターではモデルが白を基調にした部屋でくつろいでいる。


(彩南は素肌がきれいだから、ティーン向けの落ちやすいファンデを使っていたわよね)

「お会計が七千八百七十円になります」


 リップだけのつもりが、そのファンデーションも買ってしまっていた。三千円の口紅が高校生のお土産には高過ぎると言ったのに、四千円もするファンデーションをどうするつもりで買ったのか。


「……これは、お詫びにしましょう。それが良いわ」


 誰にともなく言い訳をして、バッグに商品を入れる。……出口に向かって顔を上げると、そこに居たのは剣菱千太であった。一瞬焦ったものの、文雅はすぐに自分が女装しているのだからバレっこない、と平静を取り戻した。


「……藤原か?」


 気がつかなかったふりをして、横を通り抜けようとする。


「藤原文雅だろう?」


 シャイなはずの千太が女性の腕をいきなり掴んだことにうろたえながら、あくまでも白を切る。きちんと女性声を作って、ボロを出さなければ大丈夫だ。


「? あの、私ですか? 人違いだと思います、離してください」

「誤魔化しても無駄だ。骨格が全く同じ人間なんて居ない」

(骨格ー!? 嘘でしょ、何で人を判断してるのよこの子!)


 客同士の揉め事の気配に、店員が仲裁に入る。このままでは、千太が痴漢か性質の悪いナンパだと思われてしまう。


「何かお困りですか?」


 文雅の掴まれた腕を見て、店長が話しかける。千太を突き出してしまえば済むのだが、それは文雅の気持ち的に難しかった。


「いいえ、ごめんなさい。喧嘩中で……知らんぷりしたら、彼怒っちゃったみたいなの。お店に迷惑はかけません、本当にごめんなさい」

「でしたら良いのですが……またお待ちしております」


 頭を下げる店長に会釈をして、千太の手を掴んで表に逃げるように引っ張った。


「……庇ってくれたのか?」

「私が藤原文雅じゃなかったら、どうするつもりだったの?」


 地声に戻してため息を吐くと、千太は微かに笑った。その素朴な笑みが、文雅は好きだった。


「どうにもならないさ。藤原なのは決まっているんだから、注意されたら大人しく謝る」

「冗談でしょ……だったら店を出るまで待てば良かったのに」

「言いたいことがあって、捕まえたかったんだ」

「……あら? そういえばあなた、普通にしゃべってる?」

「そうなんだ。病院で診てもらって……少しずつ、話せるようになったんだ」

「まさか、話したいことってそれ?」


 てっきり文雅は彩南に謝れとか、そういう類いの話をされると思っていたが……。


「両方だな。逆波が会いたがっていたぞ。ここまで来たのなら、連絡するから会って行けば良い」

「待って!」


 ポケットから取り出した携帯を取り上げられて、ポカンとした顔で文雅を見る千太。


「その……会いたくないの。合わせる顔がないし、今更でしょ。そうだ、これ。彩、逆波さんに弁償する物なの。渡して欲しいんだけど」

「謝る意思があるなら、なおのこと直接……」


 正論を語る千太に今日買った物を一つにまとめて、携帯をその中に突っ込んで押しつける。自分の携帯が入った荷物なら受け取らざるを得ないだろう。


「さよなら!」


 追って来られたら、今度はストーカーと言い張る覚悟で文雅は早足で去る。ヒールで走るのは靴にも足にも負担がかかるので、駆け出せないのが難点だ。

 しかし文雅の心配は杞憂に終わり、千太は文雅の背中を見送った。


「逆波の主張が正しかったか……勝てないな、これは」


 必死になって文雅の捜索を頼んだ彩南の顔を思い浮かべる。きっと恋だった。生きて来て一番、彩南と過ごす時間が楽しかった。

 押しつけられた荷物から携帯を取り出すと、彩南に文雅に会ったと連絡を入れた。



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