彼と彼女
今は空っぽになってしまった部屋を見て、絢華はため息を吐いた。
(お兄ちゃんが退学処分って……もしかして、本当にわざと問題を起こしたのかな……だとしたら、私のせい?)
父親も母親も、後を追われては大変だと思ったのか、追い出したのではなく自分から出て行ったのだと説明した。
説明されなくても、最後に来ていた文雅からのメールでそれは知っていた。返信しようとしたら、アドレスが変わっていて送れなかった。誰も連絡先どころか行き先も知らなかった。
(彩南さんはどうしてるのかな……学校で何があったのかもわからないし、やっぱり会いに行くしかないよね。いくらお兄ちゃんが家を出たがってたからって、わからないことが多過ぎる)
彩南に会いに行く決意をした絢華は、両親に決められたスケジュールの隙間を縫って騙し、なんとか文雅が通っていた高校にたどり着いた。
「お名前は逆波彩南さん、今は三年生のはずだから……」
靴箱を確認して、クラスを確認すると彩南を校内放送で呼び出してもらうことにした。因みに、きちんと来客名簿にも名前を書いている。
「失礼します」
「はじめまして、逆波彩南さん……ですか?」
二人はお互いの姿を見てハッと息を呑んだ。それもそのはず、彩南は文雅から写真を見せてもらっていたし、絢華は彩南がエレーナに似ていると聞いていた。
「そういうあなたは、藤原絢華さん?」
「そうです、文雅の妹の絢華です。どうぞこちらへ、お座りになってゆっくりお話させてください」
自己紹介をした二人は文雅について話し出すと、すぐに意気投合した。
「あ、もうこんな時間。教室戻らなきゃ」
「……本当に楽しくて可愛い人ですね、彩南さんて」
「いやいや、絢華ちゃんの方がずっと可愛いし。私も楽しかったよ」
「今日は急に呼び出してしまい、失礼しました。お話できて嬉しかったです」
「こちらこそ、藤原君のこと教えてくれてありがとう。また情報交換しようね」
「はい、またお会いしましょう」
学校の応接室で時間いっぱいまで話し込んだ二人は、連絡先を交換して再び会う約束をした。文雅を通して知り合っていただけあって、親しくなるのに時間はかからなかった。
「絢華ちゃんにも行き先はわからないんだね」
「はい、心当たりには聞いてみたのですが、芳しくなく」
「私もお友達にお願いしたり、目撃情報を集めたりしてるんだけど……全然ダメ」
「すみません、彩南さんにとって嫌なことだとは思うのですが、もう一度兄の行動を教えていただいてよろしいでしょうか?」
「うん、大丈夫」
彩南は文雅と出会ったばかりの頃から、仲良くなって遊んだこと、将来の悩みを打ち明け合ったことを順に話して行った。
「……それで、夏休みの後に絢華ちゃん発案の逆波アヤナヒロイン化計画が発動して、」
「待ってください。別に私が発案した訳ではありませんよ? 確かに名前はつけましたけど」
「え、そうなんだ? どうしてそんな嘘吐いたんだろう」
「まさか……」
ささやかな嘘、と言ってしまえばその通りだが、わざわざ嘘を吐いた以上理由があるはずだ。
これは絢華が文雅の退学を聞いた時に考えていた、始めからこのヒロイン化計画の最後は、文雅によって決められていたのではないか、という懸念を裏づける事実だった。
「何かあるの?」
「ひょっとしたら、私が乙女ゲームのことを教えたから……」
「でもそれは、会話術のためにでしょ?」
「いえ、それだけじゃなくて……彩南さんもやったからわかると思いますけど、乙女ゲームにはライバルキャラが出てくることがあるんです」
「うん、ビビ様みたいな好敵手だよね」
「それは実際のゲームでのことで、ネット小説では悪役令嬢というポジションになっているんです」
「その二つは違うの? そう言えば、文ちゃんも『転生したヒロインになれ』とか言ってたけど、そういうやつ?」
「それです! 自分が言い出したと彩南さんが知れば、ストーカーや虐めもシナリオだとわかってしまうからじゃないかと……どう思いますか?」
文雅は乙女ゲームはやらせたが、ネット小説は参考にならないと言って、わざと彩南に読ませなかった。それは絢華の予想通り、文雅が“悪役令嬢を演じている”と悟らせないためだった。
『悪役令嬢たちと真のヒロインを探せ!』では、ネット小説のパターンももちろん入っていたが、“虐めがエスカレートして告発イベント”というルートはなかったので、気づけなかったのだ。
「信じられない! 私に一言も相談しないで、自分で退学を選んだってこと……!?」
「事実は本人に訊かなければわかりませんが……私は、そうだと思います。兄は一度、退学処分になれば親に逆らえるのでは、と言っていたことがあるんです」
「それじゃあ……なんとしても真意を訊かなきゃ!」
文雅の捜索に進展がなく落ち込んでいた彩南は、絢華との話し合いで文雅を追いかける気力を取り戻した。
生徒会のメンバーと藍司を一堂に呼び出した彩南は、これまで保留にしていた自分の気持ちを伝えるつもりでいた。
「みんなに話があるの……文ちゃんのことで」
「彩南、まだあいつのことそんな風に!」
「待て、まずは聞こう」
「教えてください、話とはなんですか?」
伸吾に促され、彩南は自分が好きなのは藤原文雅その人で、文雅がもしかしたら悪役令嬢の演技をして、退学エンドを選んだのかもしれない……そう話した。
「それが本当だったら、犯罪者じゃなくなるの? だいたい、彩っち先輩は怪我までさせられたんだよ? 藤原の性格が変わって、八木先輩に近づく女が気に食わなくなった、ってのが真相じゃない?」
「一理ある」
「そうかもしれない。でも、それを確かめるために文ちゃんに会いたいの……そもそも藍司が好きなんだったら、私に仲良くなれって言い出すのは変だよね? 文ちゃんの行動はあべこべで、何か意図があったとしか思えない」
「……彩南はどうしてそんな話をするんだ?」
仮に誤解が解けたところで、相手は既に退学した人物だ。自分たちを集めた意味は他にあると藍司は考えた。
「反対されるのわかってたから、みんなには言わないでいたけど、文ちゃんの居場所を捜してもらってる……虫が良いってわかってるけど、みんなにも協力して欲しいの。お願いします!」
腰を直角に折って頭を下げた彩南は、無理だと思っていても、彼らの力があれば文雅を見つけ出せるのではという希望に縋った。
仁科竜成は藤原家以上に大きな家の御曹司で、本人の顔も広い。
江本伸吾は両親が政界の人間で、そちらのコネを持っている。
剣菱千太は指導や講演で各地を飛び回る父親がおり、慕われているため声をかければ相当の人数が協力してくれるはずだ。
立川礼は自身がモデルで、アパレル業界に顔が効く女優の母親もいる。
八木藍司は中学校で街の不良をまとめていたため、意外な繋がりで助けになるだろう。
頼み込む彩南の肩に手を置いたのは、竜成だった。
「とりあえず顔を上げろ。……もしだが、藤原が見つかっても彩南を実際に嫌っていて、何も望む結果にならなかったらどうする?」
竜成が言いたいのは、ここに居る男たちに希望があるのかどうか、である。文雅が退学してから彩南は竜成以外の全員から告白されていた。
「想像したくないけど……もしそうなったら、誰かとお付き合いすることもあるかもしれない……いつかは」
「いつか、か……」
感情を隠すのが下手な彩南の顔には、文雅への想いがありありと浮かんでいる。失恋の直後に新たな恋ができるのかは、そうなってみないとわからない。それが人と人の関係なのだ。
「俺は、彩南に協力する」
「剣菱君……ありがとう」
最初に協力を申し出たのは、一番無口で純粋な千太だった。
「……わかりました、私も彩南に協力します」
「え、江本先輩まで……しょうがないな! 藤原をさっさと見つけて彩っち先輩を幸せにする! 僕も協力するよ」
「ありがとう、礼君。本当に……」
一人で渋い顔をしていた藍司は、扉に向かって歩き出した。
「俺はストーカー野郎を捜すなんて、彩南のためだろうとごめんだね。勝手にやってくれ」
「わかった。聞いてくれてありがとう、藍司」
扉が閉まると、竜成が仕切り直した。
「俺も藤原に言ってやりたいことがあるからな、捜すのに異存はない」
「竜成君、ありがとう」
「お礼は見つかってからにしてくれ。おはぎが付いてると尚良い」
「わかった、任せて!」
竜成の大好物であるおはぎだけは得意である彩南は、胸を叩いて笑った。その目尻に光る涙は、感動か悲しみかわからなかったが、とにかく文雅の本格的な捜索が始まった。




