ドレス
文雅はスケッチや布の切れ端が散らばる部屋で、やっと一息吐いた。
完成したのは、彩南に贈るつもりだったパーティー用のドレスである。水色のシフォンドレスは、高い生地を奮発してふんだんに使っている。
学園祭の後夜祭でお披露目する予定が、文雅が藍司のストーカーをするようになって時間が取れず、今の今までかかってしまった。
去年は自分の手で台無しにした学園祭だが、今年はきっとそんな悪夢を取り返すように楽しい時間になるだろう。そして、完成したドレスを着た彩南を想像する。
化粧が要らないほどほっぺたを赤くして、藍司の足を踏みまくって覚えたダンスを踊るのだ。本当であれば、練習も文雅とする予定だったが、それは破ってしまった約束の内の一つだった。
(――あれだけ傷つけておいて、ダンスのパートナーになりたいなんて、どう考えてもおこがましいわね。でも作ったは良いけど、私が持ってても仕方ないじゃないの)
彩南に送ってあげようか、と考えた瞬間苦笑いをする。まさか文雅からドレスを送ったりすれば、またあの優しい子はイジメの原因を突き止めようと、自称唯一の取り柄である根性を発揮するに決まっている。
終わった事件なのだから、どんなに学校に――彩南に――未練があったとしても、決して接触しないことが正しいのだろうと独りごちた。
「文雅ー。……お、完成したのかそれ」
「小西さん、何かご用ですか?」
「後で良いから買い物頼むわ。細々したもんが切れかけてた」
「わかりました」
「……で、だ。彩南ちゃんにプレゼントするのか?」
「いいえ。途中だったので何も考えないで作ってしまったんです。せっかくだから、しばらく飾って置こうかなと」
文雅は現在、大先輩である服飾デザイナーの小西大輔の家に居候させてもらっている。バイトをしながら、小西の指導の元でデザインや縫製の勉強をしているのだ。
「んー、要らなくなったら俺が買ってやっても良いぞ?」
「え? どうしてです?」
「会社に持って行って新人に発破をかけてやろーと思ってな。それとまあ、未来のデザイン界を牽引するだろうお前への投資だな」
「流石に褒め過ぎですけど、ありがとうございます。期待に応えられるように、これは小西さんにお売りしますね」
「なーにを謙遜してんだか。顔が言葉と真逆のこと言ってんぞ、もっと褒めろってな」
「あら、バレました? 因みにいくらで買ってくださるんですか?」
「……いくらで売る」
本来であれば、デザインも縫製も一人のために仕立てた服なので、オートクチュールということだ。ただ一人以外の人間にとっては、どこまでいってもきれいな布にしか過ぎない。
つまり小西は文雅に自分の才能の値段を決めろ、と言ったのだ。プロを志す心情的に、そう安くはつけたくないが、かといってあまり高くしてはお金を払ってくれる恩人に悪い。心中でわずかにせめぎ合いが起こる。
「そう、ですね。五万では?」
「じゃ、五万な。金は服と引き換えで良いか?」
あっさり了承されて、文雅の全身に鳥肌が立つ。……初めて、自分の作った服に値段を付けて売ったのだ。文雅としては、五万はだいぶん思い切って言った値段だった。
「あの、本当に五万で良いんですか?」
「それは何だ? 自分の一点物には五万の価値もないって意味か?」
「いいえ、でも着られない服に……五万も出すなんて、理由が知りたいです」
「理由ならさっき言っただろ。ビビるこたない。俺も五万が妥当な値段だと思う」
文雅はその、妥当な値段だと思った理由を知りたかったのだが、それ以上は訊かない方が良いと判断した。文雅の判断通り、例え食い下がっても小西ははぐらかすだけで最後までは教えないつもりでいた。
「……次は、五万じゃ安い服を買ってもらいますから!」
「その意気だ。ガンガン描いて破って、そんで一端のデザイナー名乗れるように頑張れよ」
「はい!」
文雅は妹にも誰にも行き先を告げずに出て来た。時折、友人たちを思い出すこともあるが、そんな暇がめったにないほど毎日が充実している。
ドレスが完成してから二週間後、文雅は五万円を、小西はドレスを受け取った。このドレスを見ていると、どうしても彩南を思い出して、着て欲しい欲求に駆られるので、心にけじめをつける意味でも引き取ってもらえるのはちょうど良かった。
「それにしてもお前もたいがい馬鹿だよな。惚れた女を虐めるなんざ、どこのガキだっての」
「もう、すぐその話に持って行かないでください。私の勝手です」
自分が大馬鹿なことは文雅にもわかっている。小西には藤原家にも学校にも無関係な人として、以前から話を聞いてもらっていたので、こうしてしょっちゅうからかわれるのは宿命だった。
好きな人を虐め出した……というより藍司につきまとい出したのは絢華との会話がきっかけだった。
† † † †
夏休みに帰省した文雅が、両親と不毛な話し合いをして自室で落ち込んでいるところに、彩南から着信があった。
「もしもし、彩南?」
「もしもし! 今平気?」
「平気よ、ちょうど終わったとこ」
「そっか、その感じだとダメだった……?」
「うん……私の本気とか、何がやりたいのかも関係ないみたい。ただ跡を継げ、の一点張り」
「……それは、悲しいね。でもあんまり落ち込まないで、また対策考えてみようよ、ね!」
彩南の抑揚豊かな声を聞いていると、ささくれ立った心が凪いでいくのを、いつもの自分に戻っていくのを文雅は感じていた。
「ありがと、彩南。お礼に私も彩南の夢応援するから、二人で頑張りましょうね!」
「そうそう、その意気! それにせっかく家に帰ったんだからさ、絢華ちゃんに癒やされちゃいなよ」
「そうよね〜、明日は絢華とお出かけして来ることにする。あんたにもお土産買ってあげるけど、何が良い?」
「ん〜、藤原堂の新色リップ!」
藤原堂の新色リップは、どう考えても高校生が買ってあげるお土産の値段を超えている。呆れた文雅は、現金な彩南に笑いを誘われた。
「あのねぇ、また私にコネ使わせるつもり?」
「え、だって使える物は何だって使わなきゃ、戦場では生き残れないよ?」
「あんたは私の家をなんだと思ってるのよっ、仕方ないわねぇ。じゃあコーラルピンクで良い?」
「うん、さっすがわかってるぅ! 文ちゃんマジ愛してる!」
「はいはい、私も愛してるわよ。じゃね」
「じゃねー、絢華ちゃんによろしく」
「はーい……ふぅ」
携帯の通話を切って、手足をベッドに投げ出した。
一人暮らしの狭い部屋が、賑やかな学校が――ついさっき聞いていた彩南の声が、無性に恋しかった。
「使える物は何でも使う、か……そうよね、今更罪悪感もないわ。せめて家に居る間は、ギブアンドテイクよね」
両親は、進学校に通う品行方正な自慢の息子を紹介できる。文雅は、様々な人に出会い人脈を作ることができる。
ずっと見かけ倒しの親子関係だったのだから、情や罪悪感を覚える必要はない。そう言い聞かせても気持ちは思い通りにならなかった。
家を出て行くしか選択肢がないのだとしたら、どうやって出て行くかが問題だ。準備は常に進めているが、飛び出して音信不通になりさえすれば良いというものではない。あの男ならば、どんな手を使っても連れ戻すだろう、軟禁だって構わずするに違いないと文雅は確信していた。
落ち着きを取り戻したところで絢華に贈る服を確かめ、近況を話して相談でもしてみようと立ち上がった。
「ふーん、なるほどねぇ。お父サマもお母サマも、化石じゃなくて金型かって感じよね。子供を自分が決めた形に作り上げることしか頭にないんだから」
「なんだかご機嫌ナナメね、絢華も何か言われた?」
「別にー? 将来は本店を任せて、って言っただけで『お前は嫁に出すんだから余計なことは考えるな』、って言われただけですけど〜? やってられないよ、もう」
「よく我慢したわね、偉い偉い」
「えへ、お兄ちゃんてば甘過ぎだよ。それよりなんか良い方法ないかな〜? 一旦別会社に就職して結果を出すとか? やっぱり言いくるめて小さい支店にでも勤めさせてもらうのが一番かな?」
「うん、絢華はそれが良さそうね。自分の価値が高ければ嫁ぎ先も高く買ってくれる……って路線が良いと思うわ」
「おお、流石はお兄ちゃん。その言い方なら聞いてくれるかも。ただお兄ちゃんと彩南さんのは難しいよねー、実際」
「ちょっと考えたんだけど、進路を決められるくらいなら退学してやるって脅しは効くかしら?」
「う〜ん、ちょっとは意味あるかもしれないけど……退学はさせないって、お父様に言われてなかったっけ?」
「そうよ、絶対同意はしないって念を押されたわ」
「じゃあ無理じゃない?」
「自主退学は無理だけど、退学処分を受けることはできるわよね?」
確かに退学処分であれば、決定を下すのは校長であり、そこには原則的に他者の介入はないことになっている。
「ほ、本気? 言いたいことはわかるけど、もし仮に成功したら、履歴書にずーっと退学って公式な記録が残るよ? 同じ退学でも全然違うよ?」
「もちろんわかってるわよ。才能の世界だって学歴が無意味な訳じゃないし、退学させられた人なんて理由が何にしろ、お仕事はしたくないでしょうね」
「そうだよ。まだ卒業まで時間はあるんだしさ、説得を諦めちゃだめだって!」
この時点で、文雅は一番現実的な手段が退学処分を受けることだと判断していた。学力や今までの態度を見れば、退学になりそうな要素は一つもなかったが、これからなるかもしれないので、絢華に心配をかけたくなかった。
「ありがとう、絢華。もう少し考えてみるわ。そう言えば、彩南がよろしくって言ってたわよ」
「お、嬉しいな。私からも言っておいて! 彩南さんて可愛い人みたいだよね、一度会ってみたいな〜」
「ふふ、絢華と同じくらい可愛いわよ♪」
「キャー、ノロケてくれちゃって〜。まだ彼女じゃないの? 告白したら? 好きなんでしょ?」
「いくら妹でも、恋の話はナイショよ。それより、もし明日予定がなければショッピングに行かない? 休日が一緒なんてめったにないんだから」
「良いね! やった、嬉しい! 何着て行こうかなー」
「その着る服も、良かったらこれにして」
大容量のハンドバッグから取り出したのは、夏にぴったりの半袖のパフスリーブシャツだった。
白い襟ぐりと小さめの真珠色のボタンが、紺色のシースルーに涼しげな印象を与える。インナーはシャツでもキャミでも合うし、着こなし次第では秋まで着られそうな上品なデザインだ。
「うわ、また作ってくれたの?! 感激、本当に嬉しい! さっそく明日着るね♪ 今度のは可愛くてエレガントな雰囲気か。オーソドックスに白で合わせようかな……いや、ピンク系、クリーム系も捨てがたい」
「こちらこそ、そんなに喜んでくれたら作り甲斐があるわ。お洗濯は手洗いかタグの通りにしてね、って言わなくてもわかるわね」
「うん、大切に着るね。そうだ、お兄ちゃんが前作ってくれた白のスカート合うかも!」
「ふふ、落ち着きなさいよ。私は邪魔になりそうだからそろそろ退散するわね、明日の朝食後に出発で良い?」
「わかった、行きたいお店、私が決めても良い?」
「もちろん」
「じゃあ考えておく」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
絢華は兄の前でこそはしゃいだ姿も見せる子だが、両親や学友の前ではこれまた飼い慣らされた猫を被っている。
彩南と絢華は文雅を明るくしてくれる点で、とてもよく似ていた。この厳格な家で腐らずに生きて来られたのは、間違いなく絢華のおかげであった。




