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思い出

 彩南はイタズラが成功したような顔で笑っているカメのストラップをつまみ上げると、目の前にぶら下げてため息を吐いた。


ふみちゃん……まさか本当に、自分から望んで退学したの? そんな訳ないよね、一生人格を疑われる汚点になるのに……」


 自分のためな訳ない、と否定して自分のためでもあるなら? と疑問が湧いた。文雅自身と彩南、二人のためになら退学を選びかねないと。

 今回の事件のおかげと言えば否定するが、結果から言うなら彩南は強力な味方を手に入れることができた。疎遠になっていた幼なじみの藍司には一生守ると言われ、生徒会の面々にはこれからも困ったら相談して欲しいと言われている。

 おそらく、学校を卒業してもこの人脈は響いてくる。それだけ今の生徒会には将来性溢れる人間しかいなかった。文雅が授けてくれた社交術は、今もって彼女を支えていたし、これからも彼女の武器になる。

 彩南は文雅の冷たい発言や嫌がらせのせいで、思い出しにくくなってしまった記憶を思い出すことにした。もしかしたら、文雅の気持ちが理解できるかもしれないと考えて。


  †  †  †  †


 二人が仲良くなったきっかけは、名前からだった。


「えー、彩南ちゃんっていうの? 私の妹、絢華っていうのよ。一字違いね」

「へぇ~そうなんだ。藤原君の名前が文雅で、ふみもあやって読めるし、なんか伝統的なものでもあるの?」

「母親が狙ってつけたらしいわよ、情緒があって良いと思わない?」

「思う! 素敵なお母さんなんだねー」


 新しい学年が始まった新学期、色んな意味で有名人である文雅は積極的にたくさんの女子生徒に話しかけていた。女子生徒たちは、彼をオネエ系でガールズトークをする相手として相応しいと見なしていたから、そんな些細なことで友達にだってなれた。

 県内有数の進学校で、入学にはそれなりのお金と知能が必要なだけあって、勉強に部活にと青春を謳歌する学生で溢れている学校だ。

 当たり前にカラオケやショッピングも楽しむし、定期テストの前には生徒主導の勉強会も行われる。毎日を共に過ごす二人は、ふた月もすればすっかり大親友になっていた。


「ねえねえ文ちゃん、このストラップキモカワイくない?」

「何よこれ、カワイくないわ。キモイだけでしょ」

「あ、このカメちょっと文ちゃんに似てる!」

「エー、似てないわよっ。いつ私がこんな邪悪な顔で笑ったのよ」

「結構こんな顔してるけど?」

「失礼な子ねっ、だったらあんたはこのウサギそっくりよ。ぽやーっとしちゃって」

「ぇえ?! 流石にこんな顔してない、見間違いでしょ!」

「してるわよ、絶対。めちゃくちゃそっくり」


 結局この喧嘩は収拾がつかなくなり、似てないとわかるまで観察しろ! と二人でカメとウサギを買って押しつけあったのだ。

 そして話題になる度にお互い似ている、と断言して譲らない。両方よく似てるよと呆れた友達に、同じタイミングで反論するほど大事なことらしい。

 喧嘩もしたが、普段はとにかく仲が良い。二人の話題はもっぱら洋服のことだった。文雅が服のデザインをするのはもちろん、彩南も年頃でオシャレには敏感なため、雑誌を開いては何時間でも話していた。


「わー、見て見て。このプーリエの新作可愛い、こんなの欲しい」

「そーねぇ、確かに彩南にはマリンルックも似合いそう」

「本当? 今度、買い物つき合ってよ」

「またぁ? それよりブラの買い替えしなさいよ、サイズ合わないの使ってると体型崩れやすくなるのよ」

「いくら文ちゃんでもブラのことには口出さないでよー! 仮にも男でしょ!?」

「仮にも、ってねえ。私は立派な男の子よ? きれいな格好はしたいけど、基本的に女装まではしないし」

「え、そうなの? じゃあ恋愛対象は男じゃないの?」

「それも基本的には女の子ね。でもバイっていうのが正しいわ」


 ストラップのカメそっくりに笑った文雅は、今にも舌なめずりしそうだ。


「ああ〜、なるほどよくわかった」

「こんなしゃべり方してると、女の子も無防備になってくれて一石二鳥よね♪」

「うう、私はもはや無防備過ぎてだらしないとこを散々見られてる!」

「あはは、平気よ~今更あんたに幻想抱いたりしてないから。それより、この間作ってあげた服はどう? もう着てみた?」

「うん、良かったよ~。お母さんにも珍しく良い服着てるわねって褒められちゃった」

「本当に?! やだ、嬉し~。彩南のお母さんは目が肥えてるから、その評価はかなりのデキってことよね♪」

「あ、絢華ちゃんに作ってあげた服はどうしたの? パーティー確か日曜だったんでしょ?」

「それがね、写真持って来たのよ。見てちょうだい」


 文雅が鞄から出した写真には、スーツ姿の文雅と薄紅色のドレスを着た少女が写っていた。少女は控えめなお化粧をしていて、文雅に雰囲気が似ていた。

 実際に話すと、表情もよく似ている。但し、パーティーなどのかしこまった場では文雅は大きな猫を被って、妹を見守る優しいお兄ちゃんを演じているのだが。


「や〜、何これ〜! 文ちゃん男らしー! 絢華ちゃんも年下とは思えない色気ですなぁ」

「ふっフン、まあ私は良いから。絢華ってば天使よね、なんでこんなに可愛いのかしら〜? 見た目だけじゃなく中身までしっかりしてるんだから、奇跡よね〜」

「うんうん、ね。この写真もらっても良いかな?」

「しょうがないわね、絢華の可愛さにメロメロになるのも無理はないわ。一枚恵んであげるわよ」

「やった、ありがと文ちゃん。愛してるー!」

「はいはい、私も愛してるわよ」

「じゃあまた、可愛い服作ってくれる?」

「おっと、なかなか上手いねだり方をするじゃない。夜のお姉さんみたいだわ」

「えへへ、褒められた」

「褒めてないっ。皮肉ってことくらいわかりなさいよね」

「だって私の目標はお母さんと同じ、銀座のナンバーワンホステスさんになることだもん! 協力してよね、文ちゃん」

「そうだっわね。あんたには強かなホステスさんは向いてない気がするけど、協力はするわよ」


 ――思い出すほどに幸せな時間だった。手を伸ばしてアルバムを抜き取り、捲って行くと最後のページにその写真は入っていた。

 爽やかに微笑む文雅に、鼓動が速まるのがわかる。……もう、絢華が立つその位置に彩南が立てる日は来ないかもしれない。


(……うわわわ、不吉な妄想よ去れ! そんなの絶対ダメ! 縁起でもないよ、下手したら二度と会えないかもしれないし。羨むより前に、告白しなきゃ! よし、勉強だ!)


 思い出のストラップを引き出しにしまい直すと、彩南は今できること――学生の本分を真っ当するのであった。

 優しかった文雅の豹変をまだ信じられない彩南は、文雅を探してせめて一言だけでも気持ちを伝えようと、網を張って待つことにした。


(最後に言われたのは、他の人が居たからツンツンしてたに決まってるよ、まったく困ったツンデレさんだねー。きっと、きっと……まだ嫌われてない!)


 例え文雅に二度と顔を見せるなと言われても、共有した時間はなかったことにはならない。かつて文雅に褒められたポジティブシンキングで、彩南は泣きたい気持ちを必死に堪えた。


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