家族
三人で会場を後にすると、駅前の喫茶店に入った。なるべく人目につきにくい場所に座ると、文雅の正面に座った絢華が吠える。
「お兄ちゃん! あなたの妹を忘れてませんでしたか?!」
「あ、絢華……ゴメンナサイ、忘れてた訳じゃないのよ。本当に」
「本当に?」
見るからにご立腹な絢華に、文雅は平身低頭謝った。
「絢華と会ったりすると、両親が嗅ぎつけるかもって思って、わかっていたけど何もできなかったの。お詫びもするから、この通り許して」
「……わかった、但しこれからは何でも相談してよね? 特に、どこで暮らすかなんて大切なことは、絶対に!」
「はい、わかりました絢華様」
テーブルに頭をつけて手を合わせる文雅に、絢華は矛を収めた。
「うん、許した。最後の最後ではちゃんと彩南さんをモノにしたし、デザイナーとして認められててかっこいいよ。お兄ちゃん」
絢華がやっと笑顔になり、文雅も安心して笑顔になった。
「はは、なんか想像通りだね。二人のやり取り」
「そうですか?」
「うん、文ちゃんが面倒見良いのは絢華ちゃんのおかげなんだね」
「彩南、恥ずかしくなるから言わないの」
「はーい。でも残念だったな~、グランプリ。後ちょっとだったのにね」
「ええ、頑張ったのに残念でしたね」
「こんな風に言いたくないけど、私は彩南を恋人にしたくて票を入れなかったし、小西さんもわざとそうした可能性は高いと思うわ。だから……私のせいね」
「ううん、良いの。確かに私、グランプリに選ばれてモデルになりたいって思ってたよ? でもそれ以上に、文ちゃんに選ばれたかったから」
「な、なんて甘いオーラ! これが噂に聞くのろけだね。リアジュウバクハツシロ」
「なんの呪文を唱えてるのよ! ほら、注文したケーキが来るわよ?」
しばらくの間、ケーキを食べて会っていなかった間の空白を埋めた三人は、駅で別れることになった。まだ彩南も絢華も学生であるから、当然なのだが。
「じゃあね、また休みになったらデートしましょ。彩南」
頭を撫でられた彩南は、はにかんでから頷いた。
「うん、行きたい場所いっぱいある!」
「じゃあ二人とも、また連絡します。お邪魔虫は消えますわー」
文雅がツッコむ間もなく、絢華は改札の向こうに行ってしまった。
「またね、絢華ちゃん」
「……ねぇ彩南、やっぱり送って行くわね。こんな時間に一人で歩くのは不用心だし」
「え、うん……ありがとう文ちゃん」
少しでも長く一緒に居たい気持ちは二人とも同じ。文雅は彩南の手を握りしめ、懐かしい街に向かう電車に乗り込んだ。
「次の日曜日はどこに行きたい?」
「うーん、実はね。デートじゃないんだけどお願いがあるの」
「お願い? 何かしら?」
「文ちゃんに、もう一回ご両親と話して欲しいの」
「……あら? 彩南の家はお母様だけだったわよね?」
「わ、私のじゃないよ。文ちゃんのご両親と、文ちゃんに話し合ってもらいたいって言ってるの」
「彩南……もう終わったことよ。気にしなくて良いの」
「ダメ。今だからこそ、話し合って欲しい。ううん、一方的に言うだけになっても良い。もう一回だけ、お願い」
「……彩南がお願いすることじゃないわ」
「だって、雑誌にまで載って何も言ってこないのは、文ちゃんのこと認めてくれたんだよ。喧嘩別れしたままは良くないよ」
「彩南にはわからない! 口出ししないで」
人の少ない車内の視線が二人に集まる。文雅は正気づいたように眉をひそめた。気まずい沈黙が流れてしまい、空気を変えるためか口を開いた瞬間、彩南が話し出す。
「文ちゃん、私、文ちゃんがいじめて来た時、凄く辛かった。どうしてだろう、何か自分に落ち度があったのかって、文ちゃんの言葉が信じられなかった」
「ええ……馬鹿なことをしたものよね。これからは甘やかしちゃうから」
「文ちゃんが退学になってしまった時、もし自分のせいだったらどうして止められなかったんだろうって、後悔もしたよ」
「それは私が選んだこと。私が後悔してないんだから、彩南が気に病むことじゃないわ」
「うん、わかってる。ただ文ちゃんのお父さんもお母さんも、私以上に悩んで苦しんだはずなんだよ?」
「彩南」
隣り合う足に乗る彩南の手に、文雅が手を重ねた。
「言ったことなかったけど、私のお父さんが死んじゃった時ね、小さかったから何もかも曖昧だった。成長するに連れて、何か一つでも伝えていれば良かったって思う。……幸せなこと、感謝していること……でもできないんだ」
「……ッ」
痛みをこらえるように顔をしかめ、彩南の手に文雅の指が食い込む。
「会いに行こう?」
「――怖いの」
「うん」
「もし今度こそ、勘当されたら……嫌われていたら? 何も言ってこないことが怖い。言い返すこともできない」
「うん」
「……彩南、こっち向いて」
彩南が文雅を見つめると、大きな体が彩南にかぶさった。唇を奪う男と、そんな自分を反対側のガラス越しに見る少女。
「文ちゃん、不意打ち卑怯っ」
「彩南がいじめるから、仕返しよ」
「……いじめるのはいつも文ちゃんじゃん」
「わかったわ、彩南には負けた。ちゃんと親と話すことにする」
「うん、良かった」
俯いて顔を真っ赤にする彩南の手は、まだ隣り合う人と繋がっていた。
「そうと決まったら、さっそく来週ね。……ついて来てくれる?」
「もちろん!」
彩南をマンションの前まで送った文雅は、少し足を伸ばして学校へと向かった。とっくに校門は閉まり、明かりも消えている。
「お前……藤原か?」
「会長?」
「もう会長じゃないから、仁科で構わない」
三年生になり、二年生が生徒会を引き継いだはずの竜成が、こんな時間に学校の近くにいた。
「そうだったわね、じゃあ仁科君はどうして学校に居るの?」
「恒例というかな、経験者が居ないと処理が難しい仕事があって、この時期までOBが手伝うんだ」
「あら、面倒見が良いのね」
「そういう藤原はどうしてここに?」
「ふふ、馬鹿みたいだけどね、なくしたものを見に来たのよ。大好きな場所だったわ、良い思い出ばかりある」
「……逆波とは上手く行ったんだな?」
「ええ。謝ることがたくさんあるわね、あなたたちに」
「俺は気にしていない。だが、その方が気が済む奴もいるだろうな」
二人はどちらからともなく歩き出した。駅に向かっているが、非常にゆっくりした足取りだ。
「殴られても仕方ないって、ちゃんとわかってるから、もし良かったら連絡先」
「ああ、ありがとう」
文雅は仕事で使っている洒落た名刺を取り出すと、竜成に渡した。
「仁科君は進路決まってるの?」
「そうだな、大学までは親の希望通り行くつもりだ」
「そうか……仁科君ならわかってくれるかしら。親が私に失望した瞬間の気持ち」
「失望?」
「そうよ、私がオネエ言葉を使い始めたのが中学生の頃。その時、両親ともしばらく口を聞いてくれなかった。ショックだったわ」
「なんて言って良いか、わからなかったんだろう」
「あの時から今もずっと、私は親の望む息子にはなれないって思い続けてる」
「俺は今もずっと、藤原を羨ましいと思い続けてるな」
言い回しを真似た竜成に、冗談だと思った文雅は自嘲気味に笑った。
「やだ、冗談止めてよ」
「いいや? 同い年だけあって、俺の母親はいつもお前の評価と俺を比べた。高校に入ってからは、自分を貫ける姿が羨ましいと思った」
「……なるほどね。だからあんなに肩を持ってくれた?」
「まあ、そうなるだろうか」
「単に隣の芝は青く見えるだけだと思うけれど」
「今は逆波が羨ましい。俺にもあんな風に追いかけられるものが欲しい」
文雅が立ち止まる。竜成は少し先で立ち止まってから振り向いた。
「彩南が……」
文雅の頭の中で、先ほどの彩南の言葉や親への感情が交ざる。何も言えなくなってしまった。
「きっと俺は親の希望通りに就職するだろう。趣味ややりたいことがないし、ぼんやりしたままここまで来てしまった」
「それは意外ね。クールなカリスマってイメージだったのに」
「だろう? 案外聞いてみないとわからないものさ。両親も逆波も、本当は別の感情を持っているかもしれない」
「そうよね、決めつけて……怖がっていたら、何もわからないわよね」
「そうとも。目指す夢はないが、俺にだって誇れるものはある。希望通りに行かないからこそ、人は努力できるんだ」
「あはは、なんだかおかしい。仁科君がそんなこと言うなんて」
「何がおかしい?」
「ううん、ただちょっと、青春しちゃってるなーって思って」
文雅は笑いながら歩き出した。竜成も連れ立って歩く。迷いなく駅に着いた二人は、そこで別れた。
「それじゃ、連絡するからな」
「ええ、見送りありがとう。本当は駅の方向じゃないでしょう?」
「有意義な時間だった。またな」
「またね、仁科君」
笑顔で手を振る文雅の顔には、感傷も憂いもなくなっていた。反対に竜成は、清々しく寂しい笑顔だった。
「羨んでばかりじゃだめだな、俺も」
何も見つけられなくても構わない。とにかく何かを探してみよう、と決意した竜成だった。