最低のクズ
「藍司は私の夢って知ってる?」
「ゆ、め? いや……小さい頃はお母さんみたいになるって言ってたよな」
「うん、私の夢は今も変わらない。お母さんと同じホステスだよ。私が藍司に話しかけたのは、みんなそのための修行だったの」
「それだって構わない、俺が彩南を好きな気持ちまで否定できない。藤原とか関係なく、俺はただお前が好きなんだ、彩南」
「嘘……それだけは絶対ないよ」
首を横に振り、そっと藍司の肩を押し戻す。藍司の前では幼なじみであり、ヒロインを演じ続けていた彩南だったが、それを止めて真っ直ぐ視線を合わせた。藍司がたじろぐ。
「嘘じゃ、」
「私は文ちゃんが居なかったら、藍司には話しかけなかった。仲良くしようと思ったきっかけも、藍司の相談に乗ったのも、みんな文ちゃんが居たから。私は最初から、文ちゃんが好きだと思いながら藍司に良い顔見せて、“無自覚ビッチ逆ハーヒロイン”を演じてただけなの!!」
「は、何だよそれ……意味わかんねえ……」
「藍司はよく、“彩南らしい”って言ってくれたよね? その私らしさは文ちゃんが作ってくれた、後付けの私。確かに私だけれど、私の一部に過ぎない」
「う、そ……嘘だ、嘘だっ! じゃあ何でっ、こんなに思わせておいて、そんな……言われたって!」
「だから、最低な女でしょ? 私は無自覚を演じてたけど、実際は無自覚じゃない。全部わかってやってたの、本当に嫌な女なんだよ!」
「最低だ、お前ら……ストーカーまでして、慰めて、味方だって信頼させて! 初めからそのストーカー男が好きだったとか、舐めんのも良い加減にしろよッ」
藍司が憎しみを込めて彩南を睨み、先ほどより強く、指が食い込むほど強く肩を掴む。
「藍司の気が済むようにして。抵抗はしない」
殴られても犯されても構わないという態度に、ぐらぐら沸き立つ怒りがとうとう突き抜けた。腕を振りかぶり、そして固まる。
「ちくしょう……そんな潔く受け止めんなよ! 逃げてくれよ、じゃなきゃ、マジでクソ野郎になっちまうだろ!!」
「藍司、ごめん私……」
「そうやって謝られたら、つけ込みたくなるぐらい好きだってわかれよ!! もう謝んじゃねぇ……消えろよ、俺の前から消えてくれ!」
彩南は自分の罪を、藍司を深く傷つけたことを悔いた。幻滅させる言葉を選んだのは、わずかでも藍司の気持ちが軽くなれば良いと思ってだった。
「最低だ、私……」
「クソぉぉぉぉ!!」
引き裂かれた男の慟哭は、走り去る彩南の耳にも届いてしまった。
† † † †
学園生活と、オーディションのための日々が過ぎて行く。 現役モデルの礼に歩き方や表情のレッスンを受け、質疑応答やメイクなどの対策は絢華と竜成がサポートした。
その甲斐あって、抜ける順番こそ下の方だったが、彩南は最終選考の一人に選ばれることができた。
「絢華ちゃん、私五人に選ばれたよ! もうダメかと思った……」
通知をもらった彩南は、自室に飛び込むなり絢華に報告の電話をかけた。
「よし、やりましたね彩南さん! 頑張ったおかげですね、本当におめでとうございます。それで、最終審査は何をするんですか? またアイデアを考えないと」
「うん、最後は一人一分の持ち時間で順番に『daily up』の服を自由にアピールして、終わったらまた同じ順番で三分のフリートークがあるみたい」
「なるほど……普通ならモデルのようにポーズを決めたり、ダンスをしたりして、その後に抱負を語ったりオーディションの思い出を演説する流れですね」
「それでね、この最終審査には文ちゃんも来るんだって」
「そうでしょうね、審査員にならなかったら変です」
「だよね、でね? 文ちゃんがここに来るなら、最後の一人には選ばれなくても良いと思うの。もし選ばれてしまったら、真剣にモデルを目指してる子たちに申し訳ないし」
「ダメです。同じ場所に立つと言って、他の子たちを蹴落としておきながら、そんな考え許しません。誰が許しても、私が許しません!」
「え!?」
「彩南さんはモデルになる覚悟もなく、兄に告白するだけのためにオーディションを受けたんですか? これぐらいのことはしなきゃ、って言った時の彩南さんはどこに行ったんですか! そんな甘い考え、兄にも参加者にもオーディション関係者の全員に失礼です!」
絢華の叱責に、電話口で呼吸音だけがお互いに聞こえる。たっぷり二分も経った頃、彩南がやっと唇を動かした。
「ごめん……そうだよね、私……何言ってるんだろう? ここまで残れるなんて、思ってなかったから……また間違えるところだった」
「グランプリを取るって言った言葉は嘘じゃないですよね?」
「嘘じゃない!」
「じゃあ頑張りましょう! 私も最後まで協力しますから」
「うん、ありがとう。他にも協力してくれた人に報告したいから、またメールするね」
「はい、また」
電話を切った絢華は、きっと彩南は元々気弱なところがあったのだろうと思った。それを変えたのは文雅だ。さっき絢華が伝えた言葉は、文雅ならこう言っただろう言葉だった。
グランプリに選ばれたとしても、文雅に選ばれなければどうなるのか、彩南が不安がるのも無理はない。
彩南をグランプリに輝かせるために、絢華は衣装とメイクのアイデアを考えることにした。
特に協力してもらった生徒会の面々に報告をした彩南は、最後にKONISIのオフィスを訪ねた。
もちろんアポイントは取ってある。
「失礼します」
「やあ、彩南ちゃん。はじめまして」
「はじめまして、逆波彩南です」
「小西だ。写真なんかでは見てるから、初めてって気はしないな」
「そうですね、私も雑誌などでお見かけしたので」
「それで? 俺に折り入って話っていうのは?」
「はい……今はないみたいですが、以前このオフィスに藤原文雅、綾彪斗さんのドレスが飾られていたそうですね?」
「ああ、なるほど……確かに。水色のシフォン生地を使ったカクテルドレスを飾っていた」
ドレスの情報を聞いて、それが自分のために作られたドレスだと確信を得た彩南は、喜びをあらわにした。
「それです! そのドレスを売って欲しいんです。お願いします」
「念のために聞くが、最終選考に残ったって?」
「はい」
「おめでとう、しかしあのドレスを舞台で着るのはいまいちだと思うぞ」
「……良いんです。いまいちでも、文ちゃんの作ったドレスを着たいんです」
「どうしていまいちっつったかわかるか? 見る奴が見れば、ドレスのデザイナーが文雅だってわかっちまう。選ばれた後でケチがつきかねんからだ」
彩南はそこまでは考えていなかった。書類審査用の写真にも文雅が作った服を着たし、最後は特別な衣装にしたいと思って、礼の言葉を思い出して小西を頼ったに過ぎない。
「それは……文ちゃんのドレスを着てたから選ばれた、って言われるかもしれないと?」
「言われるかもしれないし、場合によっては公平じゃないと再審査を要求されるかもしれない」
小西の大げさな抑揚の付け方は、オーディションのことを教えてもらった時と同じだった。彩南を試している。
「再審査でも何でも受けて立ちます。例え“ドレスを理由に選ばれなかった”としても、私は私のためのドレスで舞台に立ちたいんです」
「よく言った。そこまで言えるんなら大丈夫だ。ドレスは彩南ちゃんに売ろう」
「ありがとうございます! おいくらですか?」
「五万」
小西は手のひらを突きつけて、ニヤリと口角を上げた。彩南の年齢で五万のドレスを買うのは、まずお金がないかもしれないし、あったとしても大金だ。
反応を窺う小西に、彩南は安心したように笑った。
「五万ですね、お金下ろして来て良かった」
「ずいぶん迷いなく払うな。安い買い物じゃないだろうに」
テーブルの上に置かれた一万円札五枚を胸ポケットにしまう小西。
「文ちゃんのオーダーメイドですから。タダで良いなんて言われたら、怒ったかもしれません」
「嬉しいこと言ってくれるね、全く。デザイナー心をくすぐるのが上手い。それじゃ、持って来るから待ってな」
「ありがとうございます」
絢華に叱られた彩南は、もう一度、どうしてオーディションに出ようとしたのかを考えた。そして、文雅の作る服が大好きで、それを広める手助けをしたいと思った日を思い出した。その時は小さな、冗談のような気持ちだったが。
元でも現役でもモデルのホステス、というのは充分武器になる。
そうして考えれば考えるほど、文雅の作ってくれたドレスが、一番自分を輝かせてくれるし、あのドレスを着る機会は今しかないと思ったのだ。
「お買い上げ、ありがとうございました」
おどけて恭しく頭を下げた小西に、一旦ふざけてお礼を返した彩南は、改めて頭を下げた。
「こちらこそ、本当にありがとうございました。色々お世話になりました」
「じゃ、次はオーディション会場で」
「失礼します」
彩南の頭の中がオーディションと文雅のことで埋め尽くされる。
こんな日が来ると予想していた小西は、自分の立ち上げたブランドが盛り上がるなら、ちょっと若者の恋の手助けをしても良いだろうと満足げだった。
最終審査は一週間後に迫っていた。