18.
「あぁ・・・肉だぁ・・・。人の肉だぁ・・・。人の肉が喰いたい・・・。収まらぬ・・・怒りが憎悪が収まらぬのだ。」
「落ち着きを・・・落ち着いてください母様・・・母様」
「あぁ・・・あぁ・・・手洗鬼よ・・・そなたの気持ちもようわかった・・・。だが今は・・・今は人を喰らわねば落ちつけぬのだ・・・・。わかっているであろう。」
「母様・・・。わかり申した。その迷い人、母の御前に今すぐお持ちいたしましょう。そしたらば・・・そしたらば一度落ち着きお体をおやすめください。」
「あぁあぁ・・・わかっておる・・。頼むぞよ・・・。あそこにいる、咎人を、我の元へともってまいってくれ。」
え、迷い人。え、咎人。まさか、まさか・・・。あそこにいる?。
気が付いた時にそれはもう遅く。つま先を洞窟の外へと向けた時にはすで遅く。あの鬼が自分の後ろにあらわれる。
どうなる、これから、なにが、おきた。
それは痛くはない。だけれども、だけれども、これは痛いはずなのではないのか。
丸太のように大きな指が背中から自分の体を貫き、腹から血と共に黒いその指が目の前に見えていた。
痛くはない。だけれども、そうなのだけれど、これは、死んだのかもしれない。そうに違いない。
なんでなんだろう。なんでこんなところに来たのだろう。あぁ、後悔。
こんな、わけのわからないところであなたは死ぬんだ。あぁ、いいのかな、こんなところで死んでしまっても。ねぇ、聞いてるのかい。
あれ、あれ、自分の声が、自分に話しかけている。あれ、あれ、目の前が黒く遮られている。あれ、貫かれたはずの腹がなんともなくなっている。
後ろを振り返った。
そこには指を突き出し、黒いモヤに首を包まれている。体の動きを止めた鬼がいた。
鬼は必至に指をこちらへと伸ばして今にもこちらへと喰いかかろうとあがきもがいている。
向けたつま先の方向へと急いで駆けだした。それとともに前を遮り鬼をせき止めていた黒いモヤは消えていく。逃げなきゃ。捕まればさっきみたいに、あんなみたいに、やられる。やられてしまう。そう思う。
鬼は大きな体の見かけによらず素早く。追いつきそうになっては飛びかかるように何度も何度も手を差し延ばし、そのたびにその覆いかぶさる指と指の間をうまくすり抜け洞窟の外へと駆け急いだ。
あと少し。もう少し。洞窟を抜けて、最後の一本道。ここを抜けたら。ここを抜けたら・・・・。ここを・・・抜けたら。
・・・・・・・どうしろと・・・いうのか・・・。
ここへと来る時に入った屋敷では森に走れと書いてあった。だけれどもそれはすべてを見てから。すべてとはこれでよかったのか、このまま森へと入っていいのか。
わからない。曖昧すぎる。その決まり事は守るには自分の意思とは反してあっているかどうかがわからない。
それに、あれもある。あの首から下のないあの顔達も気がかりだ。また森へと入ったとしてあの生首に喰われでもしたら元も子もないじゃないか。
考えてもわからなかった。それを考え走る今も後ろの鬼は必死に鼻息を荒立てながら追い迫る。
このままじゃ、このままじゃ、どのみち森に入る前に追いつかれてしまいそうだ。どうする。どうしたらいい。
急な突風。向かい風。
それは洞窟を抜けた岩壁で作らる一本道の抜けた先から洞窟の中へとそれは吹き抜けた。
思わず自分もあの大きな体の鬼ですら身を屈める。地面に這いつくばらなければ立っていられないほどの。吹き飛ばされるかとも思うよな強い風だった。
風で舞った砂塵が目に入りあたりの視界を奪う。
思わず目をつぶり、手で目を擦った。
「早く。今なら大丈夫です。早く。」
そして目をつむったその時だ。声が、ほんのわずかな距離から聞こえた。
戸惑い目をすぐに開けると黒いモヤが鬼の周囲を包んで風が止んでいる。
またこのモヤは、いったいどこから現れているのか。だがそんな事を気にしている場合ではない。
これは好機だ。
すぐさま止めていた足を動かして森へと急ぐ。
岩壁に挟まれるその道を抜け、後ろを振り返るとはるか先で鬼が四つん這いに這いつくばりながら勢いを増して追ってきていた。
これは、悩んでいる暇なんてなさそう。
悩むことなく、もう考える余地もなく森の中へと駆け走る。
あ・・・。もうすぐにそれはいた。
宙に浮く生首だ。
そんな、これじゃぁ。森に入れないじゃないか。
そいつがいる場所から離れたところから森へ入ろうと森と平地の境目を併走してみる。
だがその併走するこちらを追いかけその生首は自分から離れることはない。このまま。このまま森へと入ったらどうなるのだろうか。
たぶん。いや絶対だ。この首に喰われる。そう思う。
併走するその間も、じっとその目は片時も話すことなくこちらの様子を伺っている。
だめだ、どうしたらいい。鬼はもうすぐそこまできた。もうこうなったらやけになろう。拳を握り、その生首を見据え、鬼の手が届くそれよりも先に、森の中へと殴りかかってやる。
それは無謀。それは、生首が口を大きくあけて待ち構えていた。
だめか、だめなのか。どのみち喰われてしまうというのか。
またそれは突然。自分の握る拳と口を大きく開けた生首の歯がぶつかりそうになるその瞬間。
自分だけを取り囲むように、生首を押しのけるようにして黒いモヤが背後より湧き出てきた。
このモヤは、この黒いそれは、なんなんだ。
「触れてはなりません。触れればあなたが首となりあなたの体はそれの物となるでしょう。」
モヤの中で声が聞こえる。誰だ、誰なのか。その問いは返されることなくモヤの声は続けて喋る。
「そのまま、そのまま走ってください。その示すその先へ」
あたりの一部のモヤが開いて黒いモヤが薄くなった。言われるがまま、わけのわからぬままにそこに向かって走ってみる。
「このまま、このまま出た階段をお上がりください。これは、あなたを守る、灯です。」
モヤの中からとてもあたたかく、なんなら熱いほどに強く光るランタンが浮かび上がり目の前に手渡された。
「それに照らせば襲いくる哀れな首達は引き下がり近寄ることはないことでしょう。」
モヤは段々と全体が薄くなり、石垣でできた階段が森の中から忽然と現れたところでモヤは森の暗闇の中へと消えていこうとする。
まってくれと。これからどうすればいいのかと。この生首達はなんなのかと、ここはいったいどこなんだとそのモヤに向かい問いかけた。
「あなたはまだ、間に合う。あなたはまだ、大丈夫。さぁ、走って。時間は惜しみます。間に合わなくなるよりも先に、早く。」
また突然の風が吹く。今度は下から上へと吹き上げ、背中をはるか高くまで伸びた階段の上へと押してくれた。もうそのモヤは見えなくなる程遠くへと消えて行ってしまった。
いったいなんなんだよもう、走って、。逃げて、襲われて、今度はこんな何段あるかもわからない階段を昇れというのか。
やってられない。もうそんな、わけのわからない茶番はもうこりごりだ。
ついに、今まで我慢していた葛藤が解き放たれて石垣の階段の上で立ち尽くす。
溜息をついて、空を見上げて。・・・・空を見上げて。
森に入ってからあたりが暗くなったとは思っていた。けれどその原因たるや、頭上を覆い尽くす、その生首達。
見上げたそのすぐそばの首から血がしたたり落ちて頬をかすめる。
もう、嫌だ。階段を昇りはじめる。それはもう投げやりで、もうどうにでもなれとも思っていた。だけれどもこんな場所で、生首が今にも襲い掛かりそうなこの場所で、黙って立っていることなんてできなかった。だからもう、階段を昇り始める。それしかもうないじゃないか。
石垣の階段を明るく光るランタンで照らしながら進むと隣りで往々と生い茂る樹木は竹藪へと変わり、石垣の階段の上にもあちらこちら枯葉がちりばめられるようになる。
変わりゆく景色には気づいてはいた。だが疲れ切った。走り続け歩き続けている自分の足を次の段、次の段へと運ぶことに集中してあまりきにはしていられない。
なんとか、なんとかやっとのことで動いているようなこの足。
本当にこの階段を昇りきる事ができるのだろうか。
「 」
え、階段のその下の方で何かが聞こえる。それは奇声、なにかが喉の奥を締め付けるように出した声。それと同時に、ランタンの灯がふっと消えかかり、あたりを少し暗く染める。
思わず自分も奇声じみた声をあげておどろいた。
生首が、生首がそれを見計らい灯りの消えかかったその瞬間。こちらの体ギリギリまでその顔を近づけ口を大きく、牙を尖らせ襲い掛かってきたのだ。
ランタンの灯りがすぐに元の明るさをとりもどし、それらの生首はすぐに暗闇へと去っていった。だが今その瞬間、生首達に周囲四方八方をすべてふさがれていたことに今までにない危機感を覚えてしまう。
そういえば、この灯。はじめにもらった時よりも、温かくなくなっている気がする。もしかして、もしかするとこの灯り、時間の経過と共に消えてしまうのではないのか。
そんな、まさか、もし消えたらあの隙間をなくすほどに覆いかぶさり襲ってくるあの生首達の食い物にされてしまうというのか。
嫌だ、嫌だ、死にたくない。そう思う。
もう動かないと思う程に、疲れ切ったその足を鞭打って走って階段を昇っていく。昇るしかない。
灯りが、明りがやはり少しづつ消えかかっている。
階段を昇りながらでもそれは目に見えてわかった。どうしたらいい、どうすればいい。それはわかっている。昇るしかないのだろう。けれども、そうだけれども、これは間に合うのか、まだこの先に、目の届かぬその先まで階段は続いているじゃないか。
自分に着実に迫る危機に焦りは隠せなかった。そしてさらに追い詰めるそれは姿を現す。
鬼だ。先ほどはるか下で聞こえてきたその奇声の正体は鬼だった。
登りながら後ろから聞こえるその足音に異変を察して気が付く。振り返れば今度は先ほどの鬼だけではない、大小合わせて無数の牙を尖らせた鬼がこちらを睨み付けて後を追ってきていたのだ。
その恐怖は心臓を押しつぶしてしまいそうになるほど体をこわばらせ何も考えれないままに足は階段を昇らせようとかき動く。
息もあがり、心臓の鼓動が強く鳴り響き、足の感覚もなくなってくる。
死ぬのか。死ぬんじゃないのか。これで終わりなんじゃないのか。
あきらめの言葉が頭の奥から湧き出て心が折れそうに何度もなる。
もうあきらめて、しんどいこの気持ちに素直になって立ち止まろう。そうも思った。
だがそれは、それすらも許されないのだ。
怖い。
それは休むことすら強制して疎外し体を無理やり動かしていく。
もはや自分の意思とは関係なく体が動くのだ。
本能、生きたいという本能なのか。後ろの鬼を見て、周りを取り囲むうっすら見えているその首達を見て体がそれを許さない。
もうやけになっている。
目を下に向けて、石垣だけを見て、黙々と、確実に、止まらぬように、一段一段を昇り上げた。
ランタンの灯りもそろそろと、細々と灯りが薄くなる。
それをみて首がもう手の届くところまで近寄ってきはじめていた。
鬼もあと少し、荒くなる鬼の息遣いも耳を澄まさずとも聞こえ始め近づいてきているのがわかる。
はぁ、だめか、いや、まだだめだ。自分の足を叩いて力づける。そして下を向いていた顔を前に向けた。
なんだ。気づけばもう終わりじゃないか。いや終わりなのか。
目の見える先には、白い霧で覆われた場所へと続くこの階段の行く末が見えた。
終わりかどうかはわからない。だけれども、そうだけれども、この足も、この手に持つ灯りもそれ以上へはさきに進めそうにはなさそうだ。
あそこであきらめよう。あそこをすぎてなにもなければあきらめよう。
その行く末を確認して一気に駆け上がる。
急に走り出したランタンの灯りに首達はおしのけ押しつぶされてあたりへ飛び散っていった。
後ろの鬼たちはそれを見てなのか大きく声を上げて足音のリズムを速めていく。
あと少し。あともう少し。もう数十段。
ここでランタンの灯が一瞬かすかに消えたようにあたりが暗くなった。
そしてもう一度小さく灯りを取り戻したとき、自分の体が切り傷だらけ、手から足から、血がでて服もビリビリに破けてしまっているのに気付いてしまう。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
死にたくないからもっと、もっと早く昇れるように体に命令する。
あと数歩、あと一歩。
体は霧の中へと包まれ、ランタンの灯りは消えてしまった。
生首は、襲ってはこない。どうやら、逃げ切れたようだ。良かった。助かった。そう思った。
体が突如として突き飛ばされる。地面に倒れこみ、振り返るそこにはあの鬼がいた。
鬼は手を差し伸べて掴みかかろうとする。
もう力の入らないその体を必死に捻りながら飛び出してそれは避けることができた。
終わり、ではなかったようだ。霧の中へと入ってきても、鬼たちは後を追ってきた。
その避けてる間にも次々と鬼たちは霧の中から姿を現す。
ついには、囲まれてしまった。
徐々に間合いを狭めるこの鬼たち、手には棘とついた鈍器を持ち、大きな体の鬼は首から人の生首をぶらさげている。
あぁ、やっぱりだめだった。なんでこんなところへきたんだろう。
あきらめた。鬱屈して、ランタンを手からこぼれ落とす。
・・・ランタンが、再び光り輝きあたりを照らし始めた。消えたはずと思ったその光は手からこぼれ地面とぶつかると同時に光ったのだ。
その光は不思議と眩しくはなく、だがそれを受ける目の前の鬼たちは顔を覆って立ち尽くしてしまった。
さらに異変は続く。ランタンが光ると同時に少し離れた場所で同じくらいに光を放つ光源をみつけた。
直観、偶然。わからない。だがこの時は、最後のそれにすがって走り抜ける。
鬼をかき分け、霧をかき分け、進む先にはいくつも連なる鳥居が道を作っていく。
鳥居をいくつもくぐり、その光る光源へとたどりつけばそこは小さな社が建っていた。
一匹の鬼が、片手で顔を覆いながらもこちらへと追いかけてきている。
その巨体で鳥居を次々となし倒しながら追いかけてくる。
光る社には着いた。それはいい。だが、やはりどうするものかとわからない。
社の扉を叩き、入れるものかと錯誤したりもする。
だがわからない。鬼の手が体にかすかにふれるほど近づいてきてやっとのこと。社の扉は横に開いて体をその中へと吸い込んでいく。
鬼はその後に閉まる社の扉に阻まれ大声を上げて扉を叩いていた。
吸い上げられたこの体は。今。宙に浮いている。
なにがどうなるのか。社の中へと入ったこの体はそのまま光に包まれ、浮かびあがる感覚と共に視界を光に奪われる。
耐え切れないほどのその眩い光に目を閉じて、浮かび上がる感覚も収まったその時で目を開けた。
ここは、どこだろうか。




