10.
彼はそう言い残すとまたもといた場所へと帰っていこうとする。
まだ聞きたいこともたくさんあった。なのでそれを引き留めようと話しかけ追おうとする。だが彼は振り返ることなく進み、あたりが急に霧に包まれ彼の姿を追う事ができなくなってしまった。
あたりを見渡し途方に暮れてしまう。
霧に包まれてしまった自分が見えるのはその綱で結ばれた岩と岩のそれだけだ。
せっかくの人にまた出会えたというのに話を一方的に聞かされてこちらの疑問には満足いく回答は帰ってはこない。そしてこれから先は会話をするなと忠告される。
もう気がめいってしまいそうだ。進むしかないのか、自分にそう言い聞かせて前へと進むことを決断する。それしかなかった。
そして岩と岩につながれた綱をまたいで進む。
これまた驚かされる事ばかりの光景がその先には広がっていた。
綱を越えたその先には先ほどまで色濃く漂っていた霧の姿はあとかたもなくなり、今度はあたりすべてが赤い、紅葉のような色にすべてが染まった景色に移りかわっている。空を見上げると雲までも夕焼けのように赤く染まっていた。
さきほどまで見えていた草原の広がる景色ともまた違い、あたりには樹木が生い茂り、地面は枯葉で覆われ、その木々には赤い葉を実らせていた。
またここはいったいどこなのだろうか。先ほど渡された紙を開いて今いる位置を把握できるか確認してみる。
その紙には樹木の書かれた絵のところに横で線が引いてあり、そこから道がつらづら伸びていた。
どうやらこの樹木の絵がある場所が最初の場所なのだろう。
その先には船の絵が描かれ川を渡る様子が描かれている。
そこへ行くにはまずこの森をまっすぐ抜けて、坂をくだり、川沿いへと出なければいけないようだ。
この地図に従い、先ほど告徒がいっていた、決まり事は絶体なのだという言葉を信じる。
あたりを警戒しながら歩いていく。
枯葉に覆われた地面は柔らかく、一歩一歩足がすいこまれるような感覚が足先から伝わってきてきた。
それはちょっと愉快な感覚なのかもしれはしない。だが、一人で歩き、自分の足音しか響かないこの空間でそれは不気味な感触にしか感じることはできない。
「キコエル、キコエル、アシオトガ」
「アァ、アァキコエル、アシオトダ」
枯葉道を進んでいくと何やら会話が聞こえてきた。その声は枯葉が導くその道からはずれた場所から聞こえてくる。
興味本位でついそちらの声へと近づいてしまった。
「オヤオヤ、キコエル、アシオトガ」
「オヤオヤ、キタキタ、アシオトが」
樹木に隠れていたその声の正体。それに近づき樹木を避けて進む。
ちょうど隠れた大木から顔を覗き込むようにゆっくり顔を出してみた。
「ミーツケタ」「ツッカマエタ」
気持ちとしてはその声が大木より少し離れたところで会話をしているものだと思っていた。なのにその声の主は今大木から顔を出した私の目の前に同じような体勢で大木から覗き込むように顔をだしてきた。
思わず大声をあげそうになる。だがそれらのいでたちに思わず出す声も出ない。
それは鬼のすがたをしていた。
頭からは二本の角が生え、口元からは顎までしっかりと延びた牙が鋭く光って見える。まだ子供のようで体は大きくはなかったが大きな瞳と眉間にしわを寄せたその顔に圧倒されてしまう。
「アレアレ、イナイヨ、アシオトガ」
「アレアレ、ホントダ、アシオトハ」
鬼達は今絶体にこちらと目が合ったかと思った。なのにこちらには気づけてはいないようだ。その鬼たちは顔を見合わせ首を横に振ると樹木の生い茂るどこか先へと消えていく。
どうやらこちらの姿はあの鬼たちには見えてはいないらしい。
これであればわざわざ逃げる必要もなくなんとか山のふもとまではたどり着くことができるかも知れない。
不安でいっぱいだったが今の経験で少し心の中に余裕ができた。
元来た道へともどり、先へと進む。
森を突き進んだがさっきの子鬼以外に出会う何かは何もない。
風に揺られて葉と葉がこすれ合う音だけが囁くように聞えてくる。それだけだ。
何かに見られているような感覚。それは何度も感じる。けれど何度も振り返ろうがあたりを見渡そうが何もいないようだし気のせいだろう。
森をぬけると小さな丘の頂上のような場所へとたどり着くことができた。その丘は赤く色づいた芝生に覆われ、はるか下った先には川が見えている。その川岸には大きな岩もあれば小さな砂利もばらばらにちらばり、その石と石の間には煙が噴き出している箇所がいくつもあった。
あれはなにか、何かがうごめいている。
人だ、人がいるじゃないか。
また何か、得体のしれないものばかりが現れるのかと勘ぐっていた。
良かった、人がいるのか。
あ、でもそうだった。あの人たちに話しかけても返事をしてもダメだと言われてしまったんだ。
うーん。山のふもとまで、というかこの場所についての情報は欲しいところ。とにかくそこへと降りて様子をみてみることにしようか。
丘をくだってその場所へと向かう。
たどり着いたそこではなにやら様々な格好をした人間が目をうつろに川の向こう岸をじっとみつめている人間が多い。
何か目的をもって行動する人間もいることはいるが、なにやら石を積み上げて、積み上げて積み上げて、ただひたすら石を積み上げる子供がいる。
これを目的を持っているといっていいのか、それはよくはわからない。だがそんな子供らは一人や二人ではないのだ。
「帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。・・・」
そして子供らはその言葉を繰り返している。
話しかけてはいけないという制約は意外ともどかしい。
今この場でこの子らに問いかけることができればこの行為の意図なんてものの数十秒で理解できるものだろうに、だがしかしこの様子はきになる。
話しかけてはいけないとは言われた手前話しかけたりはしないが、少し様子を見てみることにする。
周囲に目を配ると気づいたことがあった。それは周りに何人かの大人の姿が見えるが彼らはこの子供らには見向きもせず、ただ大きな川の向こう岸を眺めているだけなのだ。
そしてこの石を積み上げる、といった行動をしているのは子供たちだけ。
こんなにも大勢の子供が必死になって何かをしているというのに薄情な大人たちだと思う。
あ、でも煙で隠れて見えなかったが向こうのほうでなにやら会話にいそしんでいる大人を見つけた。ちょっとその会話を聞くだけ聞きに行ってみよう。
「いやぁ、それにしても思っていたところと違ったなぁ」
「そうだなぁ、俺ももうちょっと薄暗くてどんよりとしたとこかと思ったけど、紅葉綺麗な秋のみたいな場所だったんだなぁ」
「それにしてもこれからどうすんのかねぇ」
「なんでもこっから橋渡しの役人が現れて向こう岸に渡してくれるみてぇだよ」
「泳いでいっちゃだめなのかねぇ」
「行ってみるといいさ、そこらにいるあいつらみたいになってしばらくここを渡れなくなっちまうよ」
「ひぃ、それは勘弁だ」
「ここでは規則、手順、ルールは絶体なのさぁ、それを破ると否応なしにこの世からの拒否反応を受けちまう。っま、のんびりまとうや。」
会話を聞きながら素直に正面から彼らにちかづいてみた。
彼らは初対面のような素振りだがとても親しげで、なんだか満足そうな顔をしているような、気のせいだろうか。
「おや、君もこれからかい」
あれ、先ほどの子鬼たちはこちらに気づくことができなかったのに彼らはどうやらこちらに気づいけた、見えているらしい。
しかし、会話をしてはいけないと言われた手前口を開けることもできず、身振りで口元を抑えて指でバッテンを作った。
「おや、喋れないってかい。ハハハ、ここまで来ても人それぞれ色々あるもんなんだねぇ」
「んだねぇ、それにしても話の続きだけんどしばらく渡れなくなるってどういう事なんよ」
「俺も昨日聞いた話だからよ、ちゃんとは知らないんだけど、川の主様に食われちまうらしいわ。」
優しそうな二人のおじさんは口元のバッテンを見てそれでも気概よく会話に混ぜてくれた。そして会話はこの川についての先ほどの会話の続きから始まる。
「魂を食われてもしばらくすりゃあ元に戻るらしいんだけどよ。その間今までの人生の苦痛を全部度味わうってんだ。」
「へぇ、そんなの想像もつかねえなぁ」
「だなぁ、その間はに頭の中で苦痛に悶えて身動き一つとれねえってことらしい。」
「じゃああいつらは今夢の中ってことなんかい・・・」
「あぁ、たぶんな、昨日は人が多くてなぁ、渡らしてもらえなかったさかい今日こそは渡りたいもんや。」
魂を食われる。どこかのおとぎ話とかで聞く話だけれども、さもご存知のとおりみたいに話されて驚いてしまう。
二人はそのまま昨日の渡船とやらの様子について会話を続けた。
「昨日は多かったって、どのくらいなんだい。」
「いやまぁ、数えたわけじゃないんだけどよぉ、船には15人乗れるんだがその船の列が十数列できてそれが2,3往復しとった」
「本当かい、じゃあ今日はずいぶん少ないんだねぇ」
「どうなんじゃろうなぁ、昨日が特別なだけかもしれんし、わしもわからんなぁ」
今この場には自分を含めてこの3人しかいないようだが、この話を聞いているともしかすると他の人にも会う事ができるのかもしれない。
二人の話しの腰がついたところで今度はこちらから川岸で石を積む子供を指差し先ほど気になった疑問について解決を試みる。
「あぁ・・・・あの子達かい。あの子達はみな親よりも早くに死んでしまった子供たちだよ」
死んでしまった。・・・それはどういう事なのか、すぐに問い返したい今だが口を開けず話を聞くことしかできない。
「あぁやってなぁ、岸の石をもってきて高く高く積み上げて腰の位置まで積み上げねぇとこの川を渡れねえらしい。」
「その話なら俺も聞いたことがあるわぁ、まさか本当だったなんてなぁ」
「渡し船が来たときに見ててみな、ひどいもんだ。たぶんこの子らは生きている頃に不幸があったか辛いことがあってここにいるんだろうが、死んでからも辛苦ばかりじゃ報われねえよ」
「どうにかできんのかい」
「無理だな。昨日何人かの優しそうな人たちが子供らに話しかけていたんだがよぉ、大体の子供は無視だな。」
「そうなんかい・・・また、やっぱり大人を信用できないとかなんかねぇ」
「それはわからんけどなぁ、返事をしてくれた子供もいたのはいたが、なんか渡し船の役人にどこかへ連れて行かれて、今日になっても帰ってきとらんわ」
「それって・・・・俺らが話しかけたせいでその子供らがなにかひどい目にあってたりするんでねえのか」
「・・・わからねぇ」
二人の会話は一度止まる。
片方のおじさんがこちらに向いてなにか話しかけようとしたときだ。
夕日に照らされた大きな3つの影が一つに重なり、あたりは薄暗く、ゆるやかな風が吹き抜ける天候に移り変わる。
3人は上を向いてあちらこちらを振り向き周囲の様子を確認した。
「こらぁ・・いったい・・・」
「どうやら夜が来ちまったようだなぁ」
昨日からいたというおじさんは知った景色を見るように落ち着いて眺めていた。だが私ともう一人のおじさんはコインを一瞬で裏返したように急転するその景色に、目を泳がせる。
「さぁ、終わりの入口だな。いこうか」
昨日のおじさんは落ち着いた表情でそう言うと川のほとりへと歩きはじめていった。そして急な世界の異変に気持ちのついていかない二人だったがその落ち着いたおじさんの様子を見て後に続いていく。
あたりはさらに黒くなる。川から離れた樹木草原も黒く染まり、空は灰色に包まれた。
雷鳴とともに光る稲妻。その光にすべてが照らされた後。目の前の光景はがらりと変わる。
「さぁ、渡れるやつぁいるんかねぇ・・・」
突如として現れる老婆。その後に続く腰に薄汚れた布を巻く鬼。
いったいどこから沸いて出てきたというのか、雷鳴と共に現れたそれらは一直線にこちらへと向かってくる。
「お前さんたちだけかい?」
「昨日は渡れなかったので今日は頼みますよ。」
老婆がこちらへと歩み寄ると鋭い目つきをぎらつかせ、鋭い牙をぎらつかせて話しかけてきた。それをうけて昨日のおじさんは慣れたように返事をする。
「はぁ、お前さん。お前さんはダメだねぇ・・・昨日がどうかはしらねぇが、お前さん、もう食われているからねぇ」
老婆はニシシと笑うとそのおじさんの肩を叩く。どういう事だとおじさんは老婆の手を振り払い腕に掴みかかった。
「ほれぇ、足をみてみなせぇ。」
老婆がそれを受けて答えておじさんは顔を下にさげる。
右足が服からとびぬけた場所でなくなっていた。会話を聞いている最中は気づかなかった。だが本人も気づいてはいなかったようでそれをみてわなわなと震えだす。
「だめだねぇ・・・綺麗な体でねぇと渡れないねぇ・・・・」
「何故だ、昨日は、昨日はただの・・ただの順番待ちだったじゃないか・・・」
「ここの夜はぁ・・・化け物の世界よぉ。一夜明ければ知らぬ間に足の一本指の一本飛んでいくだろうてぇ」
おじさんは自分の足を抑えて屈みこんだ。痛みはないようだ。だが気づいてからの絶望する表情がすぐにわかる。
「まさか、まさかこれが治るまで渡れないと言う気ですか」
「決まり事だからねぇ」
「ではいったい、いったいどうやって治るまで無事に夜を過ごせというのですか。治る前に再び食われてしまうではありませんか」
「・・・さぁねぇ。私らが知ったことではないよ。」
屈んで見上げた老婆は無表情で会話を続ける。おじさんはこの会話で口を閉ざしてしまった。
「さて、そっちの二人・・・おや・・・まだ生きてるやつがいるじゃないか・・・」
老婆は細く鋭くとがらせた目をかき開いてこちらを眺めてくる。そしてこちらの頬を軽くなでてきた。
「こらぁ、良いねぇ。最近多いがぁ、また彷徨い人かい。お名前はなんていうのかな?ん?」
老婆はこちらの体に触れながら会話を試みようと永遠と繰り返す。それは名前からはじまり、歳、住家、どうやってここまできたのかと。
これはわかりやすい誘いだなと口をしっかりと閉じてだんまりをきめこむことができた。すると老婆はニシシたまた笑う。
「わかってるじゃねぇかい。そうかい・・・。おい、そこのあんた。そこのあんただけ連れて行ってやるよ。」
だんまりを決め込んだこちらの様子を見て老婆はすぐに引き下がっていく。そして昨日とは違うおじさんに話しかけるとその懐に手を突っ込んで何かを奪い去っていった。
「こらぁ手間賃に持っていくからねぇ。」
そういうとそのおじさんをひきつれ船へと歩いていってしまう。その場で屈みこんだ昨日のおじさん。その様子を見て震えていた体がさらに痙攣するように悶えはじめた。
「いやだ、いやだ、また一人の夜はいやじゃあ。せっかく。せっかく人に会えたのに。嫌じゃあ。」
さらにおじさんは同じことを何度も繰り返し地面に向かって吐き捨てつぶやき嘆きはじめてしまう。
それを黙って見ていることしかできない。
そのおじさんはこちらを向いて両手で勢いよくしがみついてきた。
「嫌だ、嫌なんだ。わけのわからねえもんに追い回されて。わけわかんねえ悲鳴が聞こえて。俺ぁもう夜を独りで生きたくねぇよぉ。みんな、みんなどっかへ行っちまう。」
先ほどまで笑顔も多くちらつかせ会話をしていた彼とは別人のように泣きじゃくった。
彼は言う。恐怖だと。彼は嘆く孤独だと。
いったい彼が何をここまで追い詰めてしまうのか。何にも返答できずに彼に寄り添い、その送られていく彼を見届けるしかない。
彼を川に現れた小さな小舟に乗せると老婆が振り返り戻ってくる。
「はぁ・・・。いやぁ、決まり事だからねぇ。一つ言っておくよ。彼らを手助けしようなんて思わないこったぁ。そうするとどうなるか、これからの出来事を見ておくといい。」
老婆が戻り、何を言い出したかと思えば後ろの鬼たちが老婆の合図で動き出す。
鬼たちは黒く大きな鈍器を担いだかと思うとそのまま子供たちの元へと向かっていく。すると彼らは、子供たちの積み上げた石山を次々と子供ごとその鈍器で薙ぎ払い蹴散らし始めたのだ。
唖然とする。
子供たちが必死となり黙々と積み上げられたその石山は一瞬にして鬼どもに無に返されていくのだから。
子供たちは泣いていた。泣くがまたもとの場所へとゆっくり戻り、石を積み上げはじめていく。だがそれもすぐに鬼どもに蹴り飛ばされた。
子供たちは泣いている。だがそれでも、また戻って石を積み上げはじめるのだ。
酷だ酷すぎる。子供らがなにをしたというのか、憤慨する気持ちが沸き起こり抑えきれず老婆の胸倉に掴みかかってしまう。
「シシシ、やめときなぁ。あぁなりたくなかったら。生きて帰るこったなぁ」




