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シュレガー

シュレガー



我に返った少年が振り返ると、はずれ跳ね橋を渡り終えたところだった。

少年は大きく息をつくと、呼吸を整えるために膝に両手をつき、身をかがめてふうふうと休んだ。

呼吸が落ち着いたところでふと、ガタゴトと何かの音が聞こえてきた。

はっと顔をあげると、森沿いの草むらをおんぼろの荷馬車が、ずんぐりとした老ロバにひかれゆっくりとこちらへ向かってくるところだった。

その馬車はあまりにもおんぼろで左右に揺れるたびに木々は悲鳴をあげ、今にも壊れてしまうのではないかと思えるほどだった。

その荷馬車には目の細い青年がロバの手綱を持って座っており(手綱は持っているだけで膝からロバへとだらりと垂れていた)

彼は少年が知っている限りずっと青年でずっと、月に一度ほどはずれ村に新しい本を積んでどこかからやってくるのだ、ただここ何か月か彼ははずれ村にくることがなく、少年はそれで心を痛めていた。

待ちに待ったその荷馬車に、少年は駆け寄った。

目の細い青年がさらに目を細めて少年に笑顔を向けた。

「やあ」

「こんにちは、新しい本?」

少年は待ちきれなかったというように早々と挨拶を送り、荷馬車の荷台を覗き込んだ。

荷台はからっぽだった。

少年はがっくりとうなだれた、いつもなら、ほんの何か月か前までは、ここにたくさんの真新しい本が詰まれ、図書館まで運ばれていくはずだったのに。

あまりの少年の落ち込みに、青年が慌てたように声をかけた。

「もう君の本はなかったろう?もうあの村じゃ誰も本を必要としないんだよ」

「ぼ、ぼくはーー」

少年は悲しみで息が詰まる思いだった。

「ぼくはずっと待っていたんだ、本を、本が来るのを」

青年は微笑んだ。

「でも君は旅立った、旅立つ変わった子供だ、だからもう誰も本をいらなくなったのさ」

青年はひらりと荷台から飛び降り、その足が草を踏み老いたロバの灰色の体の影に一瞬隠れた。

少年は残念そうに、また不思議な思いをかけて荷馬車をもう一度確認した。

そして青年に話しかけようと向き直ったが、そこに青年の姿はない。

少年はキョロキョロと周りを見渡したが、老いたロバ以外、周辺には誰もいない。

不思議に思ったが着地に失敗したのかと、ぐるりと回ってロバの向うを見てみた、が、誰もいない。

困惑しながら荷馬車の下を覗き込んだ時に、ふいに頭上から声が降ってきた。

「何してるんだい?君ってほんとに変わった子供だなあ」

青年の声だった、少年はびっくりして荷馬車に頭をぶつけるところだった、ひやりとしながら声の振ってきた方を見上げると、暗闇の色をした猫が、金色の瞳で少年を見つめていた。

「えっと、まさかそのう・・・」

暗闇色の猫は鼻をつんとあげ金色の瞳を意地悪く細めた。

「僕は僕さ」

「だ、だって君ーー」

少年はことさらびっくりして言葉を続けた。

「だって君さっきまでそのう、僕よりちょっと大きな大人だったじゃないか」

猫は怪訝そうな顔をすると当然とばかりに返答をよこした。

「だーかーらー、うーん君ってちょっとおばかさんだなあ」

「君が僕を見たじゃないか、僕はずっとどっちにも、どこにでもいたんだ、君が僕を認識したからここにいる」

「僕は僕さ」

猫はそう繰り返すと音もなく地面に降り立ち少年を見上げた。

「まあそんなことよりさ、彼の引き綱をはずしてくれない?もう荷運びの仕事はないんだ」

「なんだかあんまりよくわかんないや」

少年は心の底からそう答えると老ロバの引き綱を外す作業にとりかかった。

老ロバは荷馬車を下ろされ、それに足が引っ掛からないよう、少年は優しくロバを誘導した。

「彼はどうするの?」

仕事がないのならこの老ロバはどうするのだろうかと、少年は猫に尋ねた。

「彼?彼はね、彼のなりたいものになるのさ」

暗闇色の猫はさも当然かのように答えた。

「なりたいもの?」

少年は想像が追いつかないまま聞き返す。

「うん、彼はね」

「この仕事が必要になったとき、彼の野を自由に生きる仲間たちは誰もやりたがらなかったんだ」

「まあね、何よりも自由を望む彼らだからさ、当然なんだけど」

「でもね、彼はこの仕事を引き受けたんだ、この仕事ができる者になったんだ」

「でももうこの仕事は終わりさ、だから彼のなりたいものになるんだよ」

少年は老ロバを見やった。

灰色の老いてしかし力強いその毛皮が風にさざめく草原のように波うった。

どんな山道でもその荷を支えた太い足はしなやかに伸び、波打つ灰色の海原は漆黒のビロードのように光さざめき、そのずんぐりした体は風のように走るためだけの最も機能的な形を作り、日に焼けてぱさぱさだったその鬣は王様以外手にしようのないような絹のように揺れた。

彼ーー老ロバは今や自由に生きる者すべての王のように漆黒のどうどうとした体躯になり、その絹の鬣は王冠のように風に揺れていた。

少年は心からの溜息をもらした。

少年が今まで見た中で、最も美しい生き物だった。

荷運びをしていたときと変わらない、黒曜石の瞳が、少年と猫に別れの挨拶を告げた。

「さよなら、君は何よりも気高い、何よりも美しい王様だよ」

猫が最高の挨拶をした。

「さよなら、君はなんて美しいんだろうね、さようなら」

少年も歓喜に打ち震える心で言葉を綴った。

漆黒の自由な王は、風に乗り走り出し、すべての王となり少年の元を去って行った。

「ああ、なんて綺麗な生き物なんだろう」

少年はその姿を見送りながら言葉をもらした。

暗闇色の猫は、なぜか得意げに鼻をならし、相槌をうった。

「彼はね、彼のなりたいものになったのさ」

暗闇色の猫は一度伸びをすると、少年に言った。

「さ、僕たちも行こう、旅立ちだよ」

「君も来るの?」

少年はびっくりした。

「そうだよ、君は変わった子供でラプラス山に行くんだろ?だから僕も行くのさ、旅に猫はつきものだよ」

なんだかとっても変わった猫だな、と少年は思った。

「わかった、じゃあ行こうか、ええっとーーー」

「僕はシュレガー、シュレガーの猫さ」

シュレガーは金色の瞳を煌めかせた。

「そっか、よろしくシュレガー、僕は」

「知ってる、君は変わった子供だ」

シュレガーは少年の言葉を遮った、もう歩き出している。

「うん、じゃあ、行こうか」

「うん、行こう、早めに宵闇の森を抜けたいしね」


変わった子供と変わった猫は、並んで宵闇の森へと歩き出した。


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