EP.4 騒動―Disturbance―
「さて、どこに行こうか」
超高級ビルの玄関前。行き交う人々をぼんやり見ながらミキヤはふと呟いた。
既にこの辺りの地図は完璧に頭に入っているのでどこに行こうと構わないのだが、かえってそれが困る。
目的は食料の調達。
ここから歩けばデパートが数件あったはず。距離的に差ほど違いはない。
「……どうするかな」
今は高林が居ないため、比較的フランクな口調で独り言を呟く。
それだけ聞くと不気味と思われるかもしれないが、手を顎にやって首を傾げるその姿は容姿や右目の眼帯と相まってまるで貴公子のような印象を受ける。(本人は無自覚だが)
街行く人々がそんな光景に立ち止まり、惚けた目で見つめていたことなどつゆ程も知らず、うんうん唸っていたミキヤはあることに気がついた。
「……腹、減ったな」
知らせ合わせたかのように呟いた瞬間腹の虫がぐぅ、と空腹を訴えてきた。今更ながらに朝から荷ほどきで何も食べていなかったことを思い出す。と、言っても元より冷蔵庫には何も入っていないためどうしようも無いのだが。
「まずは腹ごしらえ、かな?」
なぜ疑問系になったのか自分でも理解していないのだが、取り敢えず最初の行く先は決まった。
それからは順番に見て行って安い物を買えばいいだろう。
そう結論づけ、目的地に向けて歩みを進めたのだった。
■□■□■□■
日はすっかり沈み、夜の涼しさが感じられ始めた頃、ミキヤは食料品が入った袋を片手に真っ暗な道を歩き続けていた。
「遅くなったな……」
時刻は夜7時過ぎ。
日本では4月始め、つまり春であるため昼間は暖かいが夜にもなれば吹き抜ける風が肌寒い。
もう1枚着てくればよかったかな、などと思ったが今更言っても仕方がない。
早く家で布団にくるまりたいというだらけた考えが頭を過ぎり、少し足早に歩みを進める。
「ねぇ、今ひま?これから遊び行かな〜い?」
「俺たち奢るからさぁ。ね?一緒に来てよ〜」
――不意に、そんな下品で気色の悪い声が耳に入った。
視線を少し横にずらすと、細い裏道に男2人が誰かに言い寄っているところが見えた。男に隠れてよく見えないが、多分相手は少女だろう。
「い、嫌……!」
「そんなこと言わずにさぁ〜」
「そうそう。悪いようにはしないって」
男2人の向こうからか細い声が聞こえた。思っていたとおり女の子のようだ。
(助けるべき、か?)
一般的に見るとここで助けるべきなのだろう。マンガの王子様のように助けてあげればいい。それだけで済むこと。
だが、同時に助ける理由をミキヤは考えてしまう。
助けることで自分に利益があるのか?義務でもあるのか?たかがナンパ程度で自分が何かする必要がどこにある。
何よりも、
(めんどい……)
その一言で片付けられる。
これは良心の問題だ。しかし、彼は元々そんな良心など持ち合わせていない。
誰がどうなろうと自分に関係の無い限り無視をするに限る。そう結論づけ、踵を返そうとすると、
「や、止めて……!!」
――バシィイ!!
唐突に、何かを叩いたような甲高い音が先程の路地裏から届いた。驚いて振り向くと、どうやら少女が反抗してビンタでもしたらしい。
一瞬の間を置き、男が怒鳴り声を上げる。
「この女ぁ!!」
「キャッ!?」
女性の叫び声と共に、1人の男の腕に付けられたブレスレットから駆動音のようなものが鳴り始めた。と、同時に不自然な風が巻き起こる。
(……“MCP”?)
MCP――正式名称、魔力変換促進機(Magic Conversion Promotion)。
名前の通り体内の魔力変換を促進させる道具だ。(魔力変換とは、体内の魔力を体外に放出して事象を操作することである)
簡単に言えば魔力を体外で火や水などに変換できるようにしたのがこの装置なのだ。
つまり、この不自然な風の流れはあの男が引き起こしているということになる。
(風系統の魔術……か)
魔術には大まかに“系統”という括りで分類されている。この場合、男が変換しているのは風のようなので風系統だと当たりをつけたミキヤ。
だが、心なしか、めんどくさそうに顔を歪めている。
「黙って付いてくれば痛い目見ずに済んだのによッ!!」
「キャアアアアッ!!」
風が徐々に強くなっていく。相当頭に来ているらしい男は、少女を掴んだまま腕のブレスレットに意識を傾ける。
が、
「はい、ストップ」
そう声が聞こえたかと思うと、ミキヤの姿が男の目の前にあった。驚愕に目を見開く男。しかし、次の瞬間には宙を舞っていた。
「……へ?――ガフッ!?」
丁度頂点まで達したとき、男は完全に何が起こったのか理解できずに呆けた声を発した。が、直ぐに地上に墜落する。
ゴンッ、という鈍い音をたて、アスファルトに叩きつけられた男は痛みに悶え始めた。それをだるそうな表情で見ながら、ミキヤはもう1人に声をかける。
「……魔術による対人行使は“一部の例外”を除いて法律違反です。今なら見逃のでその人連れてとっとと消え失せろ」
……本当にめんどくさそうな表情でそう言った。
後半部分は明らかに素が出ていたが、本人は余り気にしていない様子。それだけ不機嫌なのだろうか。
だが、そんな言葉は言われた本人の怒りを買ってしまったらしい。額に血管を浮かび上がらせ、憤激したように顔を歪める。
「テメー……!何出しゃばってきてやがるッ!!カッコつけてるつもりか!?調子に乗りやがって!!」
怒鳴り声を上げ一気に巻くし立てる男は、ポケットに右手を突っ込んだ。
「後悔しても、もうおせーからな!!」
喚き散らしながら、収まっていた“ソレ”をミキヤに突き付けた。
「……こっちも持ってたのか」
男が突きつけた“ソレ”は、1丁の拳銃だった。
一見何処でもあるような自動拳銃に見える。が、あれも立派なMCPだ。
単にMCPと言っても様々な形の物がある。
と言うのも、元々MCPは軍事目的に開発されたために兵器としての需要の方が高い。接近戦でも扱えるように武器型と魔術特化の特化型MCPも開発されたのである。
つまり、あれは前者。
自動拳銃にMCPとしての特性を追加した物だ。
男の拳銃から駆動音が発せられ、銃口にまたも風が集まりだした。
「ハッハッハ!!ぶち殺せ!!」
下卑た笑い声を発し、引き金を引いた。
刹那、銃口から音速の風の弾丸が弾き出された。
――それが“見えた”。
「下らないな……」
甲高い金属音が、細い路地裏に響き渡った。
男の表情が驚愕に歪む。
「お、お前……!今何しやがった!!」
「見てわからないか?」
そう言って、ミキヤは“右手に持ったナイフ”を左右に振る。
そのいつもは気怠そうな黒い瞳は、しかし先程の一瞬だけ――金色の光を灯した。
だが、男はそれに気付いてさえいない。今は何も握られていなかったはずの彼の手に収まる鈍く光るナイフを見ながら息を飲んでいる。
ミキヤが行ったことは至極単純。
そのナイフで音速の風の弾丸を“切った”のだ。
いくら風とはいえ、弾丸にまで圧縮されていれば切ることで形状を維持できずに霧散させることはできる。ただ、それは可能であればの話なのだが。
突如出現したナイフ。弾丸を切るほどの胴体視力と反射神経。
その不可解な現象を前にして、男の頭にある予感が思い浮かぶ。
「――漆黒の髪に黒の眼帯!?ま、まさかッ!お前、“コキュートス”の――――!!」
言葉の続きが聞けることは、もはや無かった。
崩れ去る男。その背後にはいつも通りだるそうな表情で佇んでいるミキヤの姿が。
「……そこのさっき宙を舞った人。逃げようとしない方が身のためですよ」
「は、はいっ!!」
倒れた男には目もくれず、いつの間にやら復活していた一番最初に叩きつけた男に忠告し、気乗らない表情でポケットの中からケータイを取り出した。そこからある番号を呼び出す。
トゥルルル、というコール音が3回程鳴った後、目的の人物が通話に出た。
『もしもし』
「眞壁さんですか?ミキヤです」
電話の向こう側――眞壁潤一郎のお決まりの定型文がケータイを通して発せられた。
『どうした?お前から電話してくるなんて珍しいじゃないか』
「ちょっと色々ありまして……」
ため息1つ吐いて、これまでの経緯を説明していく。
その間、眞壁は余計な質問はせず、黙って聞き終えると納得したように声を発した。
『わかった。こちらから手を回しておこう。藤堂ミキヤは自宅に戻っていい』
「すみません。面倒を掛けます」
『気にするな』
ミキヤの全く本心とはそぐわない言葉に返す形で通話が切られる。
別に、こんな面倒なことをしているのは元はと言えばあのペテン師のせいなのではないか?とも思ったが、それを言ってはキリがないので心にソッと留めておくことに。
「あ、あのー……」
と、そんな決意を抱いていると、背後から声がかけられた。反射的に振り向く。
そこには、少し内気そうな女の子が居心地悪そうに立っていた。
肩までかかる茶髪をサイドポニーにし、背丈はミキヤより頭1つ分程小さいので150cmといったところだろうか。そのどこか気弱そうな瞳は忙しなく動き続け、何かに怯えているようにも見えなくも無い。
服装は白のワンピースにカーディガンを羽織った大人しそうな物でこの少女に似合っていてかわいらしく、そこから覗かせる肌は雪のように白い。
一言で言えば美少女の部類だろう。そういうことに疎いミキヤでもそれぐらいは理解出来た。
「さ、さっきはありがとうございました!」
少女の容姿を客観的に評価していると、突然少女が謝礼を述べながら頭を下げてきた。
物思いに耽っていたことと、いきなりのことでらしくもなく混乱するミキヤ。と、そこで少女が顔を上げると涙目で気持ちを吐露し始めた。
「うっ……買い物帰りにいきなりさっきの人たちに、ひぐっ……声をかけられて、怖くて、心細くて……うぅ」
(あー……なるほど)
今更ながら理解した。
どうやらこの少女は絡まれていた子らしい。男たちが邪魔で認識できていなかった。
それが今わかったために困惑と共に苦笑する。
少女には悪いが、ミキヤとしては最初は助けるつもりなど無かったのだ。ただ、“状況”と彼の持つ“義務”が一致してしまったから結果としてそうなったこと。というより先程まで存在自体忘れてしまっていた。
そのためお礼を言われてもミキヤにとっては困るわけで、しかし、理由を話してもこの少女が納得するとは思えない。
何か状況を打破する手段は無いものかと考え始めたころに、幸運なことに遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえ始めた。
「じ、じゃあ、そろそろ警察も来る頃だし、俺はこれで」
「え、あ……!」
それだけ言い捨て、踵を返すミキヤ。それを引き留めようとした少女だったが、瞬きした一瞬にで、彼の姿小さくなってしまっていた。
ただ去り際、少女にはミキヤのその左目が、金色に光ったように見えた気がした。
だが、男たちがいつの間にか鉄製のワイヤーで縛られていることには気付かずに……。