EP.2 居住−Habitation−
――日本。
東京都某所のビルに、2人の男女が入っていく。
1人は黒のロングコートを着た黒髪の少年。右目にこれも漆黒の眼帯を付けており、どこか冷めた表情をしているのが印象的だ。
もう1人は彼の少し後ろを歩く、20才を少し過ぎたぐらいであろう女性。こちらも黒のスーツを着込んでおり、少し明るめの茶髪を肩で束ねて垂らしている。
そんな2人が居るのは上階へと上がるエレベーター内。会話は先程から全く無い。
階を示す明かりが4を過ぎた頃、唐突にミキヤが口を開いた。
「……高林さん、眞壁さんの用事が何か聞いてません?」
「いえ、特には……」
「そうですか」
再び訪れる沈黙。
どこか居心地の悪い高林は、しかし話しかけられる度胸も無くただただ耐えるのみ。
だが、明かりが9階を示した辺り、耐えられなくなった高林は声を上げた。
「み、ミキヤ君ッ、は何か心当たりはないんです、か?」
少し声がうわずってしまったが、それぐらい勘弁してほしい。自分はこれが限界だ。
誰に言っているのか分からないが、なんとか話しかけることには成功したようで、ミキヤは「んー……」と頭を捻りながら口を開く。
「心当たりですか……あの人のことだからどうせ俺にとって禄でもないことでしょうね」
「そ、そうなんですか?しかし、その場合どうすれば――」
「高林さん」
本気で心配しだした高林の言葉を遮り、ミキヤが呼びかけてくる。
「こんな日本のことわざを知っていますか?」
「?」
首を傾げる高林に、ミキヤは、今日初めての笑みを浮かべて――――
「泣かぬなら、殺してしまえ、ホトドギス――」
その瞳は笑っていなかった。
突然、チンッという音と共にエレベーターの扉が開いた。いつの間にか最上階まで到達していたらしい。
「ちょ――!」
扉をくぐってさっさと歩き始めるミキヤを追いながら、高林は小さく呟いた。
「それ、ことわざじゃないんだけどね……」
■□■□■□■
突き当たりの扉をノックし、返事も聞かずに開くミキヤ。
その光景を、高林はヒヤヒヤしながら見ていたのだが、上司が入っていったためにその場に踏みとどまるわけにもいかず、溜め息を1つ吐いてその後に続いた。
怒られるかもしれない、と気を張っていたが、意外にも部屋の主は気にした素振りも見せない。目を通していた書類から視線を上げ、出迎えてくれた。
「やあ、久しぶりだな。この場合は“黒糸の魔術師”とでも呼んだ方がいいかな?なあ、藤堂ミキヤ」
「……ペテン師めが」
明らかな不快感を露わにした表情で、ボソッと呟くミキヤ。ただ、その呟きが聞こえていたのか、俺は肩を竦めて苦笑する。
「ハハハ、お前をここに入れたこと、まだ根に持ってるのか?」
「…………」
図星なのか、ミキヤはジッと睨みつけるだけ。
部屋の主は若い男。イメージとしてはやり手の営業マンと言ったところか。黒髪の長髪を後ろでキチンと束ね、さっきからずっと微笑みを絶やさない。
やがて無駄だと悟ったのか、ミキヤは溜め息を吐いて近くのソファーに腰を下ろした。
「それで何かご用ですか、眞壁局長」
「まあまあ、そんな嫌みったらしく言わずに。まずはお茶でも――」
「結構です。俺は早く帰りたいんだ」
ぎろりと男を――眞壁潤一郎を睨みつける。
対する眞壁はなんの気負いも無しに、「ああ、そのことだけど」と続けた。
「藤堂ミキヤ、お前は今日から日本に住め。高林尚子もだ。既に部屋は2つ分用意してあるぞ」
「「……は?」」
いきなりの話に思考がついていかない。
呆気に取られている内に、眞壁は話を纏めていく。
「荷物は今頃着いている頃だろう。部屋はこの場所に――」
「おいペテン師」
何やら書類を取りだそうとする眞壁に、しかしミキヤの凍るような低い声が投げかけられた。
取りかけていた手がとまる。恐る恐る顔を上げると、ミキヤはソファーからその無表情な瞳をこちらへ向けていた。
これはさすがにマズいと思ったのだろう。背中に冷や汗をかきながら、だがさすがと言うべきか、とっさに眞壁は笑みを浮かべ、口を開こうとした。が、先にミキヤが尋ねる。
「どういうつもりだ?俺はアメリカ本部から呼び寄せられて向こうに居たんだぞ。それを、今度は帰ってこいだと?」
「先日の会議で決まったことだ。わがまま言うなよ」
「わがままはどっちだ。…………なら賛成国を教えろ。説得(殺し)てくる」
「おいおい、冗談に聞こえないから止めてくれ」
緊張感が部屋に充満する。
そんな一触即発の雰囲気の中、今まで何も言わなかった高林がおずおずと口を開いた。
「み、ミキヤ様?その――」
「“様”はやめてくださいって、前に言ったじゃないですか」
「ヒッ!?ごめんなさい!!」
ミキヤがギロリと視線を向ければ、すぐさま腰を深ーく折って謝る。もはやどちらが大人なのか分からない。
そんな大人にいつまでも頭を下げさせるのは可哀想に思ったのだろう。バツが悪そうにミキヤは溜め息を吐く。
そうするとさっきまでの緊張感が霧散した。
「――で、どうしたんですか?高林さん」
「その、最終的にミキヤ君は休暇が取れればいいんですよね?」
「……まあ、そうですね」
一瞬間を置いてから頷くミキヤを見て、高林は顔を綻ばせた。
「では局長。ミキヤ君の休暇を2ヶ月延長して頂けませんか?ミキヤ君もこれでいいですよね?」
その言葉に呆気にとられた2人。やがてミキヤは「なるほど」と頷いた。
「……なるほど、その手がありましたか。さすが高林さんです」
「え、えへへ……」
つらつらと述べる高林に感心したように頷くミキヤ。
それに高林どこか照れたような表情で頭を掻く。
ただ、眞壁は何か考えるような素振りを見せ、うんうん唸り始めた。
やがて、考えが纏まったのか、最後にうんと頷いて口を開く。
「いいよ。というかこれからは好きなだけ休んでいい」
「「はい?」」
いきなりの打診、というか思わぬ展開にミキヤと高林は揃って首を傾げた。
「ただし!」
だが、眞壁の話はまだ終わっていない。
「藤堂ミキヤには来週から学校に通ってもらう」
「……はあ?」
いきなり出された条件にマヌケな声を出すミキヤ。
学校。それは勉学を学ぶための場所だと彼の頭には記憶されている。他の意味は無いはずだ。
ただ、その実感は持てない。
小学校の途中からの学生生活を送ってないため、ミキヤにとっては既に学校とは実感の無い存在となってしまっている。
にも関わらず、眞壁はそこへ行けと言う。条件はそれだけ。そうすれば休みたいだけ休める。もはや答えたなど決まっている。
「で、その学校ってどこです?」
「ああ、それはだな――」
言うや否や、眞壁は何やら引き出しを荒らし始める。しばらくして、「あったあった」という言葉と共に1つの茶封筒が投げ渡された。
紐を解き、中から数枚の書類を取り出す。
「日本にある唯一の魔術学校機関――国立白神魔術高校だ」
ペラペラと述べる眞壁を無視し、書類へと目を通す。
内容はカリキュラム、校内見取り図などのようだ。
全てに目を通し終えると、ミキヤは「ふぅー」と一息吐き、そして、
「何考えてるんですか?あなたは」
顰めっ面で眞壁を睨みつけた。
「あなたも知っているでしょう?俺は――――」
「知っているさ。だからとも言えるし、だからこそとも言える」
意味の分からない眞壁の言葉に、ますますミキヤの眉間にシワが寄っていく。
「お前はただ、そこに入学してさえくれればいいんだ。あとは何もしなくていい」
その言葉が決め手だった。
溜め息とともに降参の意を唱える。
「はあ、わかりましたよ。俺は俺でダラダラさせて貰います」
それだけ言い残し、立ち上がろうとしたところで思い出したように再び問いかける。
「俺、その場合って偽名とか使った方がいいんですか?」
「ん?なんでだ?」
「いや、バレたり目だったりすると色々めんどうなのかと」
そう言うと、いきなり眞壁は吹き出した。腹を抱えて笑い声を上げる眞壁を怪訝そうに見つめるミキヤ。
「ふははは、ふふ……わ、悪いな。いや、しかし大丈夫だろ。そんな必要は無い」
「そうですか?」
「ああ、行けばわかるさ」
ニヤニヤ笑いながらそう言う眞壁に顔を顰めるも、当の本人は手を振っていてこれ以上説明しそうに無い。仕方無しに立ち上がり、扉へと足を向ける。
後ろでは高林が住所などの情報が入った封筒を受け取り、ぺこりとお辞儀をしていた。
「ああ、そうだ」
またも思い出したように扉の目の前で立ち止まる。
不思議そうな顔で首を傾げる眞壁に顔を半分だけ向けて問いかけた。
「今度は何を企んでる、“幻影”?」
その向けた左目の瞳は、いつもの黒色では無く、輝く“金色”。
その変化に、しかし肩を竦めただけで眞壁は答えた。
「何も。勘ぐりすぎだよ、“黒糸”」
「……そうか」
最後にそう言い捨てて、ミキヤは部屋を後にした。
■□■□■□■
――ガチャ。
『もしもし?俺だけど』
『うん……うん、今日本。高林さんと一緒だから大丈夫だよ』
『え?高林さんって誰かって?前に言わなかった?』
『なんていうか、俺の補佐みたいな人だよ。いつもお世話になってる。……うん、いい人だよ』
『そうそう、今日眞壁さんのとこに行ってきたんだ』
『あの人は相変わらず腹黒いね。さすがは“幻影の魔術師”だ』
『ははは、ごめんごめん。別にあの人のことが嫌いなわけじゃないよ』
『……うん、大丈夫だよ。あの人のことは認めてる』
『うん……うん……じゃあ、明日は荷ほどきがあるから』
『……うん……それじゃ』
『お休みなさない。“姉さん”』
――――プツン。