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ハンドラーは、彼

 ひく、ひく、としゃくり上げながら、ふと顔を上げると、フォルテと巧が映った写真が目に入る。ふさふさの毛並みを、抱きしめるようにして微笑む巧。

(所詮、フォルテには敵わなかったなあ)

 幸せそうなふたりの姿を恨めしげに眺めていたが、そのとき、はた、と思い立った。


 ——そうだ、フォルテは?


 自分のことで必死だった茉莉花は、ここにセントバーナードのフォルテがいないことに、今、気が付いた。きょろきょろ見回したが、あのケージやラグがある場所にも彼女はいない。

(そもそもフォルテがいるから、家でディナー、ということじゃなかった?)

「巧さん」

 キッチンに声をかける。

「フォルテは? どこにいるの?」


「今ごろ気付いた?」


 巧は笑いながら、珈琲とケーキの箱を運んできた。

 ソファに腰掛け、細い黒のベルベットのリボンを解いて箱を開けると、山型のフルーツケーキのようなものが出てきた。取り出したあと、巧は上から小瓶に入った液体をかける。ぷん、と香る芳醇な香り。これはブランデイ?

「クリスマス・プディングだよ。ここのはね、本場のものよりこってりしてなくて、おいしいんだ」

 巧は茉莉花の質問に答えない。急に不安になってきた。

「ねえ、フォルテはどうしたの? けがでもしたの?」

 巧と待ち合わせるのは、フォルテを連れて行ける場所ばかり。

 大型犬だから仕方ないけど、常に茉莉花よりフォルテ優先だった。

 嫉妬するほどいつも巧と一緒だった、相棒のようなセントバーナード。

 そのフォルテがいないなんて、何があったのだろう。

 嫌な汗が流れる。

(なぜすぐに答えてくれないの)

 まさか、まさか。

 青くなっている茉莉花に気付いて、巧が、ああ、ごめん、と微笑んだ。

「フォルテなら大丈夫。怪我も何にもしてない、元気だよ。知り合いのペットショップで預かってもらったんだ。今のシーズンは、旅行とかディナーとかで混んでて、なかなか預かってもらえないからね。早くに予約しといてよかったよ」

 巧の話を聞いても、フォルテを預ける理由が納得いかない。

「元気ならどうしてここに連れてこないんですか? 大体、『予約』って? 今夜はそもそも『フォルテがいるから巧さんちでごはん』てことだったでしょう?」

 巧は、まいった、というように顔をしかめる。


「茉莉花さん。本当に、わからないの? それともわからないふり、してる?」


 彼は長い柄のマッチを擦って火をつける。

 ぼっと火がついて、薄闇の中ケーキが青い炎で包まれた。


「君と、ふたりっきりになりたいからに……決まってるでしょ」


 キャンドルとケーキの炎に照らされて、巧の瞳は煌々と輝く。

 膝の上に置いた茉莉花の手に、そっと彼の手が重なった。茉莉花の指の間を櫛削るように指を入れ、ぎゅっと握りこむ。

「ごめん。僕もはじめはフォルテと一緒に、買ってきたものでディナーにしようと思ってたんだ。そのつもりで、1か月も前からいろいろ予約を入れてたんだよ? でもさ、フォルテに邪魔されるのも癪だし、ごはん作ってくれるっていう口実でもないと、家に誘いにくいかなって思ってさ。苦しい男の事情も察してよ」

 巧はすねたように言って頬を赤らめた。

(え? どういうこと?)

 茉莉花はパニックになった。

(この状況は何? どんな女でもいいからクリスマスを過ごしたかったってこと?)

 寂しさを紛らわすために手頃な女を口説くような、ひどい男だと思いたくない。

「あの、私、こう見えても、誰かの代わりをするほど落ちぶれてはいません!」

 茉莉花は崩れ落ちそうな気持ちを精一杯立て直す。

「は?」

「イヴにひとりが嫌なら、他を当たってください。巧さんなら他に女の子がいくらでも……」


「ちょっと待った。『他に』って……どういうこと?」


 さらに低くこもった巧の声に遮られた。幾分怒ったような鋭い眼差しまで向けられる。怒りたいのはこっちだ、と茉莉花は思う。

「だから! ディナーも、ケーキも! 私は、巧さんが本当にイヴを過ごしたかった人の代わりなんでしょっ!」

 大声で叫び終えた瞬間、後悔した。

(黙っていればこのまま巧さんと過ごすことも出来たのに。馬鹿な茉莉花)

 唇を噛んで俯くと、巧に握られた自分の手が目に入る。その手を抜こうと思って引くと、さらにぎゅっと巧が力をこめた。何のつもりだ、と憤慨して顔を上げると、真剣な瞳と出会う。


「代わりって、何?」


 巧はずい、と顔を近づける。


「ねえ、代わりって?」 


 答えなければ許さないオーラを漲らせて、巧は茉莉花を追いつめた。彼を責めたくなんかないのに。茉莉花は仕方なく口を開く。

「だって……ずっと前から予約してあったんでしょ?」

「そうだよ?」

 近づく身体を避けようと手で押しのけても、フォルテとのトレーニングで鍛え上げられた腕や胸はびくともしない。

「私、見ちゃったの、あのメモ!」

「メモ?」

「机の下に落ちてた。お掃除とか、買い物のリストとか、お店の名前が書いてあって! ケーキ屋さんの名前で気付いたわ。ごはん作ってって言いながら、ふたり分のディナーを完璧に予約してるなんて、おかしいと思ったのよ! しかも、それが1か月前? 1ヶ月前って言ったら、まだ私と知り合ったころでしょ? イヴの約束したのは、ほんの2週間前なのに!」

 必死で訴える茉莉花に、巧は気まずそうに目を逸らした。

「メモ。そうか、なくしたと思ったら……あれを、見たんだ」

「ほら! そうなんでしょ?」

 また涙があふれそうで横を向いた茉莉花の肩を、巧が掴んだ。


「違うよ! 君と過ごしたくて予約したに決まってるだろ!」


 ぐい、と正面を向かされた。


「一目惚れだったんだよ!」


 巧が吠えた。その声はフォルテより強いフォルテシモ。


「大きな目とくるくるの髪がコッカー・スパニエルみたいでかわいいなって。話してみたら、とっても気さくで楽しいし、仕事熱心で子供たちへの愛情にあふれてて。僕の仕事も、すごくほめてくれたよね。どんどん夢中になって、どうやってふたりっきりになろうか、ずっと考えてた。もうそろそろ12月だし、誘うならイヴがいいかなって、君の都合も考えないで勝手に決めた。ケーキ屋やデリカテッセンを見て回ったけど、どこも早くしないと予約が一杯になるって煽られて。知り合いのケンネルも『この時期は予約しないとどうなるかわからない』って脅かすから……とりあえず全部予約しちゃったんだよ!」

 

 矢継ぎ早に叫ばれた言葉は、メガトン級の破壊力。茉莉花は目をぱちくりさせた。


「わ、私の、ため?」


「他に誰がいるの? 初めて会ったあの日、ずっと僕とフォルテのこと見ていてくれて、募金箱にありったけの小銭を入れてくれたよね。かわいくて、いじらしくて、どうしても話すきっかけが欲しくなった。これは言いたくなかったんだけどね、実はあのマグもわざと転がしたんだ。まさかバーナードカフェを知ってるとは思わなかったけど。」



 ——わざと? あの出会いは、偶然じゃ、なかったの?


「だって、巧さん、『好き』だなんて1度も……」

 突然言われても、にわかには信じられない。

「え? そうだった?」

 巧はきょとんと目を見開く。

「それにしたって、これだけカフェに誘ってアプローチしてるんだから、わかりそうなものだけど?」

「わ、わかるわけないですよ!」

 こんなすてきな人が、私に一目惚れなんて誰が信じる? 

「そうか……」

 巧はふう、と息を吐き茉莉花の肩から手を離す。いつしかクリスマス・プディングの火も消えて。

 彼はズボンのポケットに手を入れてソファにもたれ、しばらく考えているふうだった。しかし、ふいに起き上がると、先ほどのケーキの箱を結んでいた黒いベルベットのリボンをすっと取る。

「?」

「じっとしてて」

 首に手を回される。彼の温かな指が首筋に触れ、茉莉花はくすぐったさに肩を竦めた。それでも言われたとおりにおとなしくしていると、彼は満足そうに微笑んだ。

「これでよし」

 首にチョーカーのように巻かれたリボン。その中心あたり、肌に触れる冷たい感触。

 引っ張ってみると、指輪だ。中央に嵌め込まれた石が薄暗い部屋のなかできらきら光って。これって……。

 巧はするり、と茉莉花の頬を撫でて、耳元に顔を近づける。


「Good girl」


 低い声は少し掠れて。


 茉莉花はぴくん、と震えた。


 今、なんて?


「Good girl」


 今度は正面から。

 目を逸らすことも許されないような、熱い眼差し。

「言って欲しかったんでしょ。海くんから聞いたんだ」

 その笑みは、いつもの爽やかなイメージが一転、男の色香を濃厚に漂わせて。 

「君が望むのなら、いくらでも言ってあげる。でも、その前に」

 茉莉花の首の後ろ、リボンの結び目の辺りに大きな手を当て、ぐっと顔を近づけた。


「茉莉花、愛してるよ」


 唇を指でなぞられる。


「君を手に入れたくて、先回りばかりした僕を許して。泣かせるつもりなんかなかった。本当にごめん」


 心臓の音は、トナカイの橇が鳴らす鈴の音より早く。


「僕のために、頑張ってくれてありがとう。君のオーブン料理はまた今度食べさせて?」


 ぎくり。それについては、また猛特訓しなければ。


「これは、ステディリングだよ。受け取って……くれる?」


 リングに小指を通してちょいちょいと茉莉花の肌をつつく。下から覗き込むような視線でお願いするなんて、ずるい。


「え、だって、そんな。もう……はい」

 茉莉花がしどろもどろで言うのを、嬉しそうに見て。


「ね、君は? 僕のこと、どう思ってる?」


「え? だって海くんからいろいろ聞いてるなら、バレてる……でしょ?」

 私のほうこそ、はじめからこんなにアプローチしてたのに。

「ん? 聞いたのは『Good girl』って言われたがってる、ってことだけだよ? 何、他にもあのバリスタに話してた? 妬けるな、もう」

「やだ、そんな」

 どうやら七面鳥のことは話してなかったらしい。心の中で海に感謝した。

「誤魔化さないで。君も、ちゃんと、言って」

 じっくりと、彼の瞳の熱で、炙られる。

(そうよね、私だって、言って欲しかった) 

 観念して、深く息を吸った。

 ちゃんと声が出るかしら。


「……好き、なの。初めて会った日から、ずっと好きだったの」


 巧の目が、きらきらと嬉しそうに輝いて。


「Gooood girl」


 Lの発音は、重なった唇に溶けた。

 優しく啄むようなキスは、少しずつ熱を帯びてきて、静かな部屋にリップ音が響く。首の後ろに当てられたままの巧の手に力が入った。唇が捲れるほど強く押しつけられて、息がつけない。もう一方の手は背中をまさぐるように動くから、身体をぞわり、ぞわりと震えるような快感が走る。

 疎い茉莉花にも、彼の気持ちがわかった。


 ——私、欲しがられてる。


「はっ」

 やっと唇が離されたときには、身体の芯ごと吸い取られたみたいに、ぐにゃぐにゃになって。彼の胸にこてんと頭を預けた。

「ん? どうした?」

 あやすような声。

 わかってる、くせに。

「巧……さん」

 懸命に頭をもたげて顔をみれば、なまめかしい熱のこもった眼差しに捕らわれる。

(私も、こんな目をしてるのかな)


 ——身も心も、もっと傍で、触れ合いたい。


 そんなはしたない気持ちがあふれ出て、今にも知られてしまいそう。

「……行くよ」

 巧はふっ、とテーブルのキャンドルを吹き消すと、茉莉花の膝裏に手を入れて、力の抜けた身体を担ぎ上げた。

「きゃっ」

 慌てて首に捕まるが、巧は構わず茉莉花を抱いたまま、部屋を横切る。

「行くって、どこへ?」

「どこって……」

 巧はふふ、と笑って。

「メモ、見たんでしょ? 僕としてはまさか食事より先に浴室を使ってもらうとは思わなかったけどね。フォルテの匂いがついてやしないかと、そりゃあもう一所懸命掃除して。アロマキャンドル炊いたり、タオルも香りの残る柔軟剤使ったり、必死だったよ」

 メモ? 茉莉花は例のリストを頭に浮かべた。


『風呂・寝室掃除、ベッドメイキング』


 寝室、ベッド。

 意味がわかって、ぼっ、と赤くなる。


「かっこわる。がっついてんのが丸分かりだ。詰めが甘いよね、僕って」

 照れ笑いをしながら、茉莉花を抱いて部屋の隅に向かい、キャンドルを吹き消す。

 炎が消えると、確認の印のように茉莉花の唇にキスをした。

 飾り棚、テーブル……キャンドルを吹き消すたび、キスひとつ。

 いよいよ真っ暗になった部屋を出て、寝室へ。


「ドアを開けて、茉莉花。僕、今、茉莉花で手一杯」


 甘えるように言うから、つい絆されて。

 自分から寝室のドアを開けてしまった。


「Good……girl」

 

 満足そうな微笑み。

 巧は茉莉花を抱いたまま部屋に入ると、甘いキスを仕掛けながら、片足でぱたん、とドアを閉めた。





fin 


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