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異世界ファンタジー/異世界恋愛/現代ファンタジー集

凱旋した英雄は聖女を選びました。冬の補給路を守っていた私は静かに軍を去ります ~今更「戻ってきてくれ」と泣きつかれても、私は隣国の最高機密ですので~

作者: すっとぼけん太
掲載日:2026/05/13

王都は、勝利に酔っていた。


鐘。


歓声。


白い花びら。


大通りを進む凱旋馬車の上で、

“奇跡の聖女”ミレニアが優雅に微笑んでいる。


民衆は熱狂していた。


「聖女様だ!」

「英雄様、万歳!」

「王国を救ってくださってありがとう!」


その隣。


誇らしげに手を振るのは――私の婚約者。


王国軍総司令官、ジュリアン・ヴァン・カスティール。


けれど。


彼らは知らない。


この凱旋路に使われている第四大橋が、

昨夜の豪雨で崩落寸前だったことを。


そして。


たった一人の女が、

夜通し泥にまみれながら工兵部隊を指揮し、

橋を繋ぎ止めていたことを。


三年続いた北方戦線。


雪。


飢餓。


疫病。


崩落する橋。


凍死する兵士。


それらを越え。


王国は勝った。


そして。


英雄は、聖女を選んだ。



王城大広間へたどり着いた頃には、

祝賀会はすでに始まっていた。


豪奢(ごうしゃ)なシャンデリア。


笑い合う貴族たち。


音楽。


ワイン。


きらびやかな祝福。


その中で。


重厚な扉を開いた私へ、会場中の視線が突き刺さる。


――私は、泥だらけだった。


夜通しの補修作業で、

かつては美しかった夜会服は泥漿(でいしょう)に汚れ、裾は裂けている。


顔にも泥が跳ね、髪は乱れ、疲労で視界が霞んでいた。


最後の補給馬車が橋を渡り切るのを確認してから、

私はここへ来たのだ。


着替える時間など、なかった。


「……遅いぞ、ベアトリス」


冷えた声。


会場中央。


ジュリアンが、聖女ミレニアを伴いながら私を見下ろしていた。


「一国の総司令官たる私の婚約者が、そのような見苦しい姿で現れるとはな」

「――恥を知れ」


私は乾いた喉で声を絞り出す。


「申し訳ありません……第四大橋が崩落しかけており、その指揮を……」


「言い訳はいい」


ジュリアンは眉を寄せた。


「工事など兵に任せれば済む話だ」

「君が現場へ居座るのは、単なる自己満足だろう」


――自己満足。


(一拍)


その言葉に。


脳裏へ、


死の顎(しのあご)”――そう呼ばれた峠が蘇る。


記録的な吹雪。


とても進める積雪量ではなかった。


補給断絶。


先行していた北方軍主力は完全に孤立し、全滅寸前だった。


後方部隊――

私は吹雪が到達する時間を分単位で予測し、

残された物資の量を計算し、

輸送兵を鼓舞し、

凍土(とうど)を砕き、

工兵たちと共に廃材を敷き詰めた。


延々と続く、即席の木道。


雪中輸送路。


指の感覚が消えても。


最後の荷馬車が峠を越えるまで、

私は自分が火に当たることすら許さなかった。


その結果。


前線へ届いたパンを食べ。


繋がった命で勝利した男が。


今。


私を“自己満足”と呼んでいる。


「まあ、ベアトリス様……」


隣でミレニアが困ったように微笑む。


白銀の髪。


(はかな)げな瞳。


誰もが愛した“奇跡の聖女”。


「お顔が泥だらけですわ」

「私が兵のために祈っていた間、

 貴女はどちらで遊んでいらしたの?」


周囲から失笑が漏れた。


「事務官風情が目立とうとしたか」

「英雄の隣には、やはり聖女様のような方がふさわしい」


私は黙っていた。


この人たちは。


私が繋いだ橋を笑いながら渡り。


私が確保した食糧を食べ。


私が届けた薪で暖まりながら。


泥を被った私を嘲笑(ちょうしょう)している。


そのときだった。


「君との婚約を解消したい」


音楽の流れる王城大広間。


ジュリアンは静かにそう言った。


まるで。


汚れた何かを切り捨てるような目だった。


私は彼を見る。


その隣には、ミレニア。


戦場で祈りを捧げるだけで兵に希望を与えたと、

民衆に熱狂的に支持される聖女。


――その祈りの裏で。


私は泥水を濾過(ろか)し。


凍傷薬(とうしょうやく)を確保し。


兵糧庫(ひょうろうこ)の腐敗率を毎日計算していた。


「……理由を伺っても?」


ジュリアンは少しだけ目を伏せた。


「君が優秀なのは認める」

「感謝もしている」


だが、と彼は続ける。


「君は後方にいただけだ」

「実際に命を()け、兵を救ったのはミレニア様だ」


周囲の貴族たちも頷く。


「たしかにな」

「事務官だろう?」

「英雄の隣には地味すぎる」


視界の端で、聖女が困ったように微笑んでいた。


ああ。そうですか。


――この人は。

――本当に、一度も。

――後方わたしを見ていなかったのだ。


「承知いたしました」


私が頭を下げると、ジュリアンは露骨に安堵した顔をした。


泣かれると思ったのだろう。


(すが)られると思ったのだろう。


「では、婚約解消を受け入れます」


私は静かに続ける。


「合わせて、

 本日付で《北方戦線後方支援統括官》を辞職いたします」


その瞬間。


ジュリアンの表情が止まった。


「……は?」


「引き継ぎ資料は、すべて執務室へ置いておきます」


私は淡々と続ける。


「冬季輸送路の判断基準。


 補給優先順位。


 吹雪到達予測式。


 橋梁崩落時の代替輸送手順」


「俗人化を排除し、


 可能な限り手順書へ落とし込んであります」


会場が静まり返る。


貴族たちは、


何を言われているのか半分も理解できていない顔だった。


「補給管理コードの解除キーも中に入れておきます」


ジュリアンが僅かに安堵しかける。


――だが。


「もっとも」


私はそこで、


ほんの少しだけ言葉を切った。


「戦場の状況は刻一刻と変化します」


「吹雪、地盤沈下、疫病、輸送損耗――」


「現場判断に合わせ、


 常に更新し続けなければ、


 いずれ破綻するでしょう」


静寂。


「ですが……」


私は小さく息を吐く。


「もう、私が心配することではありませんので」


誰も、何も言えなかった。


私は静かに礼をする。


「私にできる引き継ぎは、以上です」


そのまま踵を返す。


背後で、


ジュリアンの声が、初めて僅かに揺れた。


「……ま、待て、ベアトリス――」


けれど。


私は、もう振り返らなかった。


そのまま礼をして。


私は会場を後にした。



三週間後。


北方戦線は崩壊した。


「第三補給基地から食糧が届きません!」


「冬靴の備蓄が尽きました!」


「医療輸送隊が雪山で立ち往生しています!」


司令部は怒号で埋まっていた。


ジュリアンが机を叩く。


「なぜだ!」


「なぜこんな初歩的問題が連続する!」


副官が青ざめながら叫ぶ。


「手順書通りに進めていたはずなのです!」


「補給優先順位も!


 代替輸送路も!


 吹雪到達予測式も!」


机の上へ、分厚い資料束が叩きつけられる。


ベアトリスが残した引き継ぎ資料。


几帳面に整理され。


異常なほど詳細で。


誰が見ても完璧だった。


――だが。


「現場の積雪速度が予測を超えています!」


「橋梁補修班から更新要請!」


「西部街道に雪崩が発生!」


別の副官が叫ぶ。


「コード更新が追いつきません!」


「輸送優先順位の再計算が必要です!」


「どのルートを切り捨てればいい!?」


怒号。


沈黙。


誰も判断できない。


その瞬間。


ジュリアンの脳裏へ、


あの日の言葉が蘇った。


『現場判断に合わせ、


 常に更新し続けなければ、


 いずれ破綻するでしょう』


背筋を、冷たいものが這った。


副官が震える声で続ける。


「以前は、すべて完璧だったのです……!」


「吹雪の前日に物資が届き!」


「橋が落ちる前に迂回路が完成し!」


「疫病が広がる前に薬が届いていた!」


「我々は……」


唇が震える。


「我々は、それを“当然”だと思っていたのです……!」


さらに別の兵士が飛び込んでくる。


「聖女の祈りでは腹は膨れないと、


 兵士たちが暴動寸前です!」


司令部が凍りついた。


ジュリアンは、戦場では無敵だった。


敵陣を裂き。


兵を鼓舞し。


幾度も勝利を掴んできた。


だが――


兵站(へいたん)だけは理解できなかった。


なぜ兵が飢えなかったのか。


なぜ“奇跡のように”軍が回っていたのか。


一度も、考えたことがなかった。


副官は震える唇で報告書を握りしめる。


「以前の冬季損耗率は二%以下でした……」


「ですが現在は四十二%……!」


沈黙。


そして。


「その“奇跡”を作っていたのが……」


副官はゆっくり顔を上げる。


「あなたが追い出した、


 ――ベアトリス・イストリアス様だったのです」



北方辺境都市イルハルト。


私は新しい執務室で書類を整理していた。


「冬季損耗率一・八%」

「補給遅延ゼロ」

「越冬備蓄百二十日分、か」


低い声が響く。


「正直、狂っている」


辺境伯レオニード・クロムハイツ。


黒狼伯(こくろうはく)”の異名を持つ、北方最大要塞の主。


黒髪。


灰色の瞳。


無愛想で冷徹と恐れられる男。


彼は私の報告書を閉じた。


「一つ聞く」

「なぜ前の国は、君を手放した?」


「…………」


「まあいい」


レオニードは椅子へ深くもたれる。


「愚か者というのは、自分が何に支えられているか気づかん。

 こちらとしては助かったがな」


彼女が持つのは、単なる事務処理能力ではない。


王国軍が数十年かけても体系化できなかった

***『冬季進軍における最適解』***が、

その頭脳には刻まれている。


――それは、

数個師団の増援よりも確実に勝利を引き寄せる、

歩く軍事機密だった。


そして。


当然のように、彼は言った。


「君一人で、兵が三千人生き延びる」


私は息を止めた。


三年間。


一度も言われなかった言葉だった。


「……初めて言われました」


喉が震える。


「私が、“兵を生かしていた”と」


レオニードは怪訝そうに眉を寄せた。


「事実だろう」


その瞬間。


胸の奥で、何かが静かにほどけた。



二か月後。


ジュリアンはイルハルトへやって来た。


頬が()け。


軍服は泥にまみれ。


かつての英雄の姿は、そこにはない。


「……ベアトリス」


私を見た瞬間。


彼は崩れるように膝をついた。


「戻ってきてくれ……!」

「君が必要なんだ……!」


「補給が回らない……兵が死ぬ……!」

「頼む……!」


私は静かに彼を見る。


その前へ。


レオニードが一歩、進み出た。


「下がれ」


低い声。


空気が凍る。


「我が領の軍政顧問に無礼を働くな」


ジュリアンが息を呑む。


レオニードは冷ややかに続けた。


「敗軍の将が、我が国の最高機密に触れようとするな」


そのまま自然に。


彼は私の肩へ外套を掛けた。


「会議の時間だ」


「はい」


私は書類を抱え直す。


背後で。


ジュリアンの声が震えた。


「ベアトリス……!」


私は静かに振り返る。


そして。


ほんの少しだけ首を傾げた。


「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」


静寂。


ジュリアンの顔から血の気が引く。


私は一礼した。


「申し訳ありません。

 次の冬季備蓄会議がありますので」


そのまま踵を返す。


背後で。


かつて英雄だった男が崩れ落ちる音がした。


けれど。


私は、もう振り返らなかった。



後に。


“奇跡の聖女”ミレニアの姿は、王都から消えた。


祈っても食糧は増えず。


祈っても橋は直らず。


祈っても兵は飢え、凍え、死んでいった。


激昂(げきこう)した兵士や民衆は、やがて彼女へ石を投げ始めた。


“偽聖女”。


そう呼ばれる頃には。


ミレニアは教会地下へ幽閉され、

精神を病み、笑うことしかできなくなっていたという。


けれど。


もはや誰一人として。


「ミレニア様は?」と口にする者はいなかった。



私は暖かな会議室へ足を踏み入れる。


地図。


備蓄表。


輸送計画。


忙しなく動く人々。


その中心で。


レオニードがこちらを見る。


「始めるぞ」


「はい」


私が席へ着くと、

レオニードは当然のように、

私の前へ温かな茶を置いた。


「……冷えやすい体質だろう」


「覚えていらしたんですか」


「何度も倒れられては困る」


相変わらず、

不愛想な言い方だった。


けれど。


その湯気は、

不思議なほど温かかった。


雪国を生かすための冬が、また始まる。


けれど、この国では。


誰も、私の仕事を“当然”とは言わなかった。


そして。


私は、もう一人ではなかった。


「……冷めるぞ」


レオニードの声に、

私は小さく笑う。


「はい」


湯気の立つ茶へ、

そっと指先を伸ばす。


僅かに曇った窓の外では、

雪が静かに降り続けていた。


【了】

お読みいただき、ありがとうございます。





◇◆◇◆◇◆



――



挿絵(By みてみん)

※表紙イメージ画像はAIを使用して制作しています。

登場人物や世界観のイメージとして作成したものです。

本編とあわせて楽しんでいただければ嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
秀吉「味方の犠牲をなくすために、敵の補給線を徹底的に締め付けるンゴww」 中国大返しとかそういう体制を作らなきゃできないことだし
こうしてみると漢の高祖がどれだけ凄い君主だったかがよく分かる。後方で支え続けてきた蕭何の功績を誰よりも高く評価していましたし。
拝読させて頂きました。 恋愛物語の中に、しっかりレイジさんらしさが 伝わった作品でした。 強い女主人公、カッコイイね!
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