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余命一ヶ月の君が、最後まで笑っていた理由——君が笑うから、僕は何も知らないふりをした。  作者: 海鳴雫


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第8話 聞きかけた言葉

 その日は、いつもより静かだった。


 待ち合わせ場所で合流したあと、しばらく二人とも言葉を探しているみたいに歩いた。

 第六話の休日や、第七話の取り留めのない会話が、少し遠く感じる。


「……今日は、静かだね」


 彼女が先に言った。


「そうか?」


「うん。なんとなく」


 否定しきれず、曖昧に頷く。


 最近、こんな“間”が増えていた。

 会話がないわけじゃない。

 ただ、言葉を選んでいる時間が長い。


 歩きながら、僕は考えていた。


 体調のこと。

 約束の数。

 会話のたびに繰り返される「覚えてる?」という確認。


 どれも単体なら、気にするほどじゃない。

 でも、重なると、無視できなくなる。


「なあ」


 声が出かけて、止まる。


「なに?」


 彼女はすぐにこちらを見た。

 逃げない視線だった。


 川沿いの遊歩道に入る。

 水の音が、言葉の代わりに流れる。


 ベンチの前で立ち止まり、彼女が腰を下ろした。

 少しだけ、息を整える仕草。


「……最近さ」


 今度は、ちゃんと声に出た。


 彼女は何も言わない。

 ただ、続きを待っている。


「無理、してないよな」


 聞きたいことの半分だけを、選んだ。


 彼女は一瞬、目を伏せた。

 ほんの一拍。

 それから顔を上げる。


「どうして、そう思ったの?」


 問い返されたことで、逃げ場がなくなる。


「なんとなく……」


 体調のことを言いかけて、やめた。

 約束のことも、会話のことも。


 全部を言葉にしたら、戻れなくなる気がした。


 彼女は、しばらく黙っていた。


 この沈黙は、逃げではなかった。

 むしろ、選択を待っているみたいだった。


「大丈夫だよ」


 先に崩れたのは、彼女の方だった。


「最近ちょっと、考え事が多いだけ」


 笑顔を作るのが、上手すぎる。


「心配しすぎ」


 その言葉は、僕の中にきれいに収まる形をしていた。


「……そっか」


 本当は、もう一つ聞きたかった。


 それは、俺に関係あることか。


 でも、その問いを口にしたら、

 彼女の用意していた笑顔を壊してしまう気がした。


 壊したくなかった。


「ごめんな。変なこと聞いて」


「ううん」


 彼女は首を振る。


「聞いてくれて、嬉しかった」


 それが本音なのかどうか、分からない。


 でも、その言葉を聞いてしまった以上、

 これ以上踏み込むのは間違いだと思った。


 歩き出すと、会話は元に戻った。

 どうでもいい話。

 安全な話題。


 彼女はいつも通りに笑っている。

 さっきの沈黙なんて、なかったみたいに。


 別れ際、彼女は小さく手を振った。


「ありがとう」


「何が?」


「聞いてくれたこと」


 僕は、何も言えなかった。


 家に帰ってから、何度も考える。


 結局、何も聞いていない。

 でも、聞こうとした。


 それだけで、少し安心している自分がいた。


 ——あのとき、もう一歩踏み込めていたら。


 そんな仮定を、

 この日はまだ、ただの想像として片づけていた。


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