第4話 大丈夫という嘘
待ち合わせ場所に彼女の姿が見えたとき、僕は少しだけ胸を撫で下ろした。
いつもより、遅かったからだ。
「ごめん、待った?」
駆けてきた様子はないのに、彼女の呼吸はわずかに乱れていた。
肩が上下し、白い息が短く吐き出される。
「いや。今来たとこ」
そう答えながら、僕は彼女の顔を見る。
夕暮れの色のせいかもしれない。
けれど、いつもより少しだけ、顔色が淡い気がした。
「……大丈夫?」
自然と、そんな言葉が出る。
「うん」
即答だった。
それから、少し遅れて笑う。
「ちょっと、息切れしただけ」
それ以上は何も言わず、彼女は歩き出した。
僕も隣に並ぶ。
歩く速度は、ほんのわずかに遅い。
気づいたときには、無意識に歩調を合わせていた。
会話は続いた。
昨日のこと、今日のこと、どうでもいい話。
ただ、彼女は途中で言葉を切ることが増えていた。
言いかけて、飲み込む。
それを、何度か繰り返す。
「疲れてるなら、今日は早めに――」
「大丈夫だってば」
少しだけ強い口調だった。
川沿いの遊歩道に差しかかったとき、彼女は足を止めた。
「ちょっと、休んでもいい?」
「もちろん」
ベンチに腰を下ろすとき、彼女の体がわずかに揺れた。
反射的に、腕を伸ばす。
「っ……」
小さな声。
触れた体は、驚くほど軽かった。
「本当に、大丈夫なのか?」
自分でも分かるくらい、声が真剣だった。
彼女は一瞬、言葉に詰まった。
視線が揺れ、空を見て、それから僕を見る。
そして、笑った。
「大丈夫。大丈夫だから」
二度、同じ言葉を重ねる。
その笑顔は、これまでと変わらないはずだった。
でも、どこか必死に見えた。
「病院、行った方がいいんじゃ……」
「行かないよ」
即座に否定される。
「これくらい、普通だし。心配しすぎ」
そう言って、彼女は立ち上がった。
「今日はさ、ちゃんと一緒に帰りたいんだ」
その一言で、言葉が止まった。
一緒にいたい。
それだけの理由が、他の選択肢をすべて遠ざける。
送ると言えば断られるだろう。
無理に聞けば、笑顔が曇るかもしれない。
僕は、彼女を見る。
少し疲れたような顔。
それでも、確かにそこにある笑顔。
——信じよう。
そう思った。
疑うよりも、信じる方が優しい。
そのときの僕は、そう考えていた。
「分かった。無理すんなよ」
「うん」
彼女は満足そうに頷いた。
歩き出すと、彼女はさっきよりも少しだけ距離を取った。
肩が触れないくらいの、微妙な間隔。
それが、なぜか寂しかった。
別れ際、彼女はいつもより大きく手を振った。
「またね」
「ああ。また」
振り返りながら歩き出すと、彼女はまだそこに立っていた。
こちらを見て、もう一度、小さく手を振る。
僕はそれに応えて、前を向いた。
——大丈夫。
彼女がそう言うなら、きっと大丈夫なんだ。
そうやって、自分に言い聞かせる。
このときの僕は、まだ知らなかった。
信じたことが、
いちばん簡単で、いちばん残酷な選択だったことを。




