第14話 澪が残したもの
朝比奈澪からの連絡が途絶えて、何日かが過ぎていた。
何日、としか言えない。
正確な日数を数えることを、透は途中でやめた。
毎日、同じことをする。
スマホを開く。
連絡先の一覧を下へスクロールする。
朝比奈澪の名前を見つけて、指を止める。
それだけで、画面を閉じる。
メッセージを打つことも、通話ボタンを押すこともない。
理由は考えなかった。
考え始めたら、きっと別の行動を取ってしまう。
それだけは、避けたかった。
ある日の放課後、担任に呼ばれた。
職員室の隅で、担任は一度だけ咳払いをしてから言った。
「秋月。朝比奈さんから、君に渡してほしいものがある」
胸の奥が、ひどく静かになる。
「直接、渡せないからって」
理由は説明されなかった。
透も、聞かなかった。
差し出されたのは、薄い封筒だった。
白地に、何も印刷されていない。
表には、ただ名前だけが書かれている。
秋月 透 様
澪の字だった。
見慣れたはずなのに、
今はそれだけで、指先が熱くなる。
「家で、落ち着いて見なさい」
担任は、それ以上何も言わなかった。
家に帰っても、透はすぐに封筒を開かなかった。
机の上に置いて、しばらく眺める。
封筒は軽い。
中に入っているのは、紙が数枚だけだと分かる。
それなのに、重かった。
まるで、時間そのものが詰まっているみたいだった。
封筒の裏に、小さく文字が書いてあるのに気づいた。
先に、これを読んでください。
澪の字だった。
封筒の中には、さらに小さな封筒が入っていた。
そちらにも、同じように字がある。
最後に、読んでください。
順番まで、決められていた。
透は、小さな方の封筒を脇に置き、
先に指定された一枚を取り出す。
紙を広げる音が、やけに大きく響いた。
⸻
透へ。
これを読んでいるってことは、
たぶん、私は直接渡せなかったんだと思います。
だから、こうして書くことにしました。
びっくりさせたらごめんね。
でも、謝るのはこれだけにします。
私は、自分のことを言わなかったけど、
隠してたつもりはありません。
言ったら、全部変わるのが分かってたから、
言わない方を選びました。
透は、優しすぎるから。
知ってたら、きっと無理をした。
私の前では、笑おうとした。
それが嫌でした。
一緒にいる時間が、
「残り」になるのが、どうしても嫌だった。
だから、いつも通りでいたかった。
写真も、約束も、全部。
透が、何も知らない顔で笑ってくれる時間が、
私にとっては一番、普通で、幸せでした。
⸻
そこで、いったん紙が終わっていた。
透は、続きをすぐに読めなかった。
視界が、わずかに滲んでいる。
泣いている、というほどではない。
ただ、呼吸が浅くなっていた。
もう一枚、紙がある。
そこには、こんな一文が書かれていた。
⸻
覚えてるか分からないけど、
前に透が言ってたよね。
「当たり前の日が、一番いい」って。
私は、あの言葉が好きでした。
だから、当たり前のままでいたかった。
⸻
喉の奥が、詰まる。
その言葉を言った記憶は、確かにある。
でも、特別なつもりはなかった。
澪は、それを覚えていた。
最後の封筒が残っている。
手が震えて、すぐには開けなかった。
それを開いたら、
何かが完全に終わってしまう気がした。
それでも、開ける。
⸻
透。
もし、これを読んでつらくなったら、
無理に全部、受け止めなくていいです。
私が選んだだけだから。
透は、透のままでいてください。
それが、一番、嬉しい。
ありがとう。
朝比奈 澪
⸻
紙を握りしめたまま、透は動けなくなった。
泣き声は出ない。
叫びもしない。
ただ、胸の奥が静かに崩れていく。
澪は、守れない約束を一つも残していない。
会いに来てほしいとも、待っているとも書いていない。
それでも、ここにある言葉は、
確かに澪の意志だった。
言わなかったのではない。
託したのだ。
自分がどう生きるかを、
透に選ばせるために。
机の上に、手紙をそっと置く。
窓の外は、いつもと同じ夜だった。
それなのに、世界の輪郭だけが、
少し変わって見えた。
澪が残したものは、
言葉だけじゃない。
生き方そのものだった。




