第12話 言えなかった言葉
放課後の空は、どこか曖昧だった。
晴れているわけでも、曇っているわけでもない。
ただ、光が弱くて、夕方が早く来そうな気配がある。
待ち合わせ場所に彼女が現れたのは、いつもより少し遅い時間だった。
走ってきたわけでもないのに、呼吸が浅い。
「ごめん」
それだけ言って、彼女は小さく息を整えた。
「大丈夫か?」
「うん」
即答だった。
でも、その声はほんの少しだけ乾いていた。
並んで歩き出す。
靴音が、舗道に淡く響く。
昨日のことを思い出そうとして、やめた。
楽しかった、という感触だけが残っていて、細部はもう薄れている。
それなのに、今日は静かすぎた。
会話がないわけじゃない。
ただ、言葉が続かない。
川沿いの道に入ると、彼女は自然と歩幅を落とした。
それに合わせて、僕も速度を落とす。
しばらく、水の音だけが続く。
彼女は何度か口を開きかけて、閉じた。
そのたびに、指先が小さく動く。
何かを探しているみたいな仕草だった。
「……なあ」
声が出た。
彼女が顔を上げる。
逃げない視線だった。
ここで何かを言えば、
流れは変わる気がした。
聞くこともできる。
聞かないまま、通り過ぎることもできる。
その境目に、確かに立っていた。
ベンチの前で、彼女が立ち止まる。
「少し、座ろ」
「うん」
腰を下ろすと、彼女はスマホを取り出した。
画面を開き、すぐ閉じる。
もう一度開いて、今度は少し長く見つめる。
そこに文字があったことは、すぐに分かった。
短い文章。
途中で切れている。
彼女は、何も言わずに画面を消した。
胸の奥が、ざわついた。
「……最近」
僕が口を開いたのと、ほぼ同時に、
「ね」
彼女の声が重なった。
一瞬、どちらが先に話すか分からなくなる。
「先、いいよ」
そう言うと、彼女は小さく首を振った。
「ううん。そっちから」
譲られた言葉は、思ったより重かった。
聞いてもいい。
今なら、聞ける。
喉の奥まで来ている言葉が、確かにあった。
どうして、そんな顔をするのか。
どうして、そんな仕草をするのか。
どうして——
「……なんでもない」
結局、そう言ってしまった。
彼女は、少しだけ目を見開いてから、力を抜いた。
「そっか」
それだけだった。
今度は、彼女が口を開く。
「私ね……」
声が、わずかに震えた。
心臓が跳ねる。
「もし……」
一拍。
「もしさ」
そこまで言って、彼女は言葉を止めた。
深く息を吸って、
ゆっくり吐く。
そして、笑う。
完璧に整えたみたいな笑顔だった。
「……やっぱり、なんでもない」
「……」
「変なこと言ってごめんね」
そう言って、彼女は立ち上がった。
聞けなかった。
聞かなかった。
そのどちらなのか、分からないまま、
僕も立ち上がる。
歩き出すと、会話は戻った。
安全な話題。
いつも通りの調子。
さっきまでの空気が、なかったみたいに。
駅前で別れる時間になる。
彼女は、何か言いたそうに口を開き、
でも結局、何も言わなかった。
「またね」
「ああ」
それだけで、今日が終わる。
家に帰ってから、何度も思い返す。
言葉は、確かにそこにあった。
準備されていた気配もあった。
でも、それは口にされなかった。
そして、僕も拾わなかった。
それだけのことなのに、
胸の奥に、はっきりとした空白が残っている。
この日のことを、
後から何度も思い出すことになるなんて、
そのときは、まだ知らなかった。




