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余命一ヶ月の君が、最後まで笑っていた理由——君が笑うから、僕は何も知らないふりをした。  作者: 海鳴雫


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第1話 彼女は、最近よく笑う

 彼女は、最近よく笑うようになった。


 そう気づいたのは、ほんの些細なきっかけだった。

 夕方の駅前。人の流れに押されながら、並んで歩いていたときだ。


「今日、人多いね」


 僕がそう言うと、彼女は一拍置いてから、いつもより少し大きく笑った。


「うん。なんか、いいよね」


 いい、というほどのことでもない。

 混雑した駅前は、むしろ騒がしくて、落ち着かない場所だ。


 それでも彼女は、楽しそうだった。


 前からよく笑う人ではあった。

 でも最近の笑顔は、どこか違う。


 回数が増えたわけじゃない。

 声が大きくなったわけでもない。


 ただ、一つ一つの笑顔が、少しだけ長い。

 まるで、その瞬間を逃さないようにしているみたいだった。


「どうかした?」


 そう聞くと、彼女は首を振った。


「ううん。ただ、今が楽しいだけ」


 それ以上は何も言わない。


 僕たちは、そのまま歩き出す。

 駅前の雑踏を抜け、いつもの帰り道へ。


 途中でコンビニに寄った。

 彼女は迷いもせず、いつもと同じ飲み物を手に取る。


「それ、好きだよね」


「うん。これ飲むと落ち着くから」


 会計を済ませて外に出ると、彼女はストローを差し込み、ひと口飲んだ。


「あ、美味しい」


 たったそれだけのことなのに、彼女は満足そうに微笑む。


 僕はその横顔を見ながら、胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。


 ——前は、こんなふうに喜んでいただろうか。


 思い出そうとして、やめる。

 細かい変化を気にするほど、僕は観察力のある人間じゃない。


 たまたま、そういう日なだけだ。


 川沿いの遊歩道に出ると、夕焼けが水面に映っていた。

 彼女は足を止め、欄干に手を置く。


「きれいだね」


「まあ、いつも通りだろ」


「うん。でも、今日はちょっと違う気がする」


 そう言って、彼女は空を見上げた。


 僕には、その違いが分からなかった。

 いつもと同じ時間、同じ景色。


 それでも彼女は、しばらくその場を動かなかった。


「ね」


「なに?」


「また、ここ来ようね」


 唐突な言葉だった。


「通り道だし、また来るだろ」


「そうじゃなくて」


 彼女は言いかけて、口を閉じる。


 そして、何事もなかったように笑った。


「……ううん。なんでもない」


 その笑顔を見て、僕は深く考えるのをやめた。


 約束なんて、大げさなものじゃない。

 ただの帰り道だ。


 彼女がそんなふうに言う理由も、きっと大したことじゃない。


 そう思った。


 彼女は再び歩き出し、僕もその隣に並ぶ。


 並んだ肩が、わずかに触れた。


 彼女はそれを気にする様子もなく、前を向いて歩いている。

 けれど、その横顔は、さっきよりも少しだけ穏やかだった。


 まるで、何かを確かめ終えたみたいに。


 理由は分からない。

 分からないままで、構わないと思った。


 このときの僕は、まだ知らなかった。


 彼女が笑うたびに、

 その一瞬一瞬を、必死に心に刻みつけていたことを。


 そしてそれが、

 限られた時間の中でしかできない行為だったことを。


 ——この日常が、いつまでも続くと、

 何の疑いもなく信じていた。


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