3話目 夢
俺は親父に結局理解してもらえず、悔しくて無我夢中で走っていた。
どうしようもないこの気持ち。
そして親父に殴られた顔面の傷が痛む。
そういや親父、普段は傷が見えるから顔面なんて殴らないのに。よっぽど腹が立ってたんだな。
親父のあの暴力による恐怖政治はいつ終わるのだろうか?いつ支配から逃れる事ができるのだろうか?
丁度顔面殴られてるし、また学校で問題にしてもらえないかな。
期待するだけ無駄か。どうせまたうやむやにされて終わるに決まってる。
それで親父にバレてまたボコボコにされるんだ。
俺も大人になったら、親父みたいになるのかな。
半分親父の血を引き継いでるもんな。
走るのを辞め、歩きながらそんな事を考えていたらゾッとしてきた。
あんなモンスターになるのか。こんな俺に生きる資格ないな。
脳の中がどんどんどす黒い渦が蝕んでいく。
「死にたい……」
俺は今何て言った?死にたいだと?
ああ、そうか。これが俺の本当の気持ちなんだな。
そうだ、それでいいじゃないか。生に執着する必要ない。
もう終わりにしよう。
そう思えたら意識的なのか無意識なのかはわからないが、行動を起こしていた。
車道に足を向け飛び出そうとしたその時……
「太陽……?」
背後から聞き覚えのある声がしてハッとして足を止めた。
振り返るとそこにいたのは美咲だった。
「美咲、こんな時間に何してんだ?」
「私は塾の帰りよ。太陽こそ一人で何してんのよ。」
怪しんだ目で俺を見つめてきた。
流石に自殺しようとしてたなんて言えねえ。
すると美咲が口を開いた。
「まあいいわ。ちょっと話しようよ。」
近所の公園に来て、俺達はベンチに座った。
夜の少し肌寒い風が秋を感じさせた。
しばらく沈黙が続いて気まずい。
そう思っていたら美咲が口を開いた。
「太陽、その顔の傷……」
美咲が心配そうな表情で俺を見つめてくる。
これ以上美咲に心配をかけるわけにはいかない。
俺は気丈に振舞うことにした。
「なあに、気にすんな!こんなのいつものことだよ。平気平気。全然痛くねえっての!」
ヘラヘラしながら言った。
本当は平気なわけない。それでも俺はそうするしかなかった。
しかし美咲の表情は変わらない。
「心は痛くないの……?」
胸がえぐられるような感覚に陥った。
顔を涙が伝ったのが分かった。
「太陽、大丈夫!?」
美咲の優しさは暖かく心地良かった。
同時に胸が痛くなった。
こんな俺に優しくしてくれる人はそうそういない。
「ううっ……何でこんな俺に優しくしてくれるんだ……?」
今気づいた。自分が思っている以上に自分の事が嫌いだと。
社会に反発して、大人に反発して。
美咲はこんな俺のどこがいいのだろうか?
「何でだと思う?」
「わからない。」
「そっかあ……まあ小学校低学年の頃だからなあ。多分太陽は覚えてないだろうな。」
「小学校……?」
まるで心当たりがない。てっきり彼女だからとか言われると思った。
俺と美咲は幼稚園からの幼馴染で、家も近所だ。
だから自然と幼い頃から一緒にいる頻度は高い。
「そう、低学年の頃に私、高学年の人にイジメられてて。いつも泣かされてた。学校に行くのも嫌で家でわめいてたけど、親は引きこもりは許さないって言って学校に無理やりいかされて。」
何でそんな話をするんだ?俺の疑問とは裏腹に美咲が続ける。
「ある日、その高学年に家の近くで待ち伏せされてリコーダーを奪われた。私は泣きじゃくる事しかできなかった。そんな時に太陽が助けてくれた。」
「そんな事あったっけ?」
「あったよ。まあ体格差あってボコボコにやられてたけど。」
「だせえな俺。」
「そんな事ないよ。私にはヒーローに見えたもん。それで太陽が私にこう言ったの。美咲が困ってる時は俺が守ってやるって。今でもあの日の事は鮮明に覚えてる。そして私は恋に落ちたの。あの頃からずっと好き。」
「えっ!?そうだったのか?」
美咲がそんな前から俺の事好きだったなんて知らなかった。
「あの言葉通り、太陽は私を守り続けてくれた。だから今度は私の番。太陽が頑張ってるなら支えるし、道を踏み外しそうなら私が引き止める。」
「美咲………」
「だからどうかお願い。生きて。」
美咲が涙を流しながら訴えかけてきて、ぎゅっと俺を抱きしめた。
そうか、美咲はさっき俺が自殺しようとしてた事に気づいてたんだ。
俺は誰にも必要とされていないと思っていた。
大人を敵視するあまり支えてくれている人に気づけていなかった。
でも、こんな身近に大切に思ってくれている存在がいたんだ。
俺も美咲をぎゅっと抱きしめ返した。
「美咲……いつも支えてくれてありがとう。」
「私は私の思っている気持ちを言っただけだよ。」
こんなにも俺の事を大切に思ってくれる人は中々いない。
大切にしなければいけないかけがえのない宝だ。
こんな事で死んでなんかいられない。
「美咲……美咲の為にも俺生きるよ。」
「嬉しい……でも太陽の人生は太陽のものだから一番は自分を大切にして。」
「大人になっての夢が一つ増えたな。美咲の事を幸せにしたい。」
「何よそれ、プロポーズ?」
俺の中の黒い渦は消えていた。
消えかけていた心の灯に小さな火が宿った。
改めて俺は自分の夢を再認識した。
「美咲、俺さなれるかどうか、なるかどうかは分からないけど、夢ができたんだ。」
「え、どうしたの?!すごいじゃん!何になりたいの?」
「俺、教師になりたい。」
「教師!?」
美咲は意外だと言わんばかりの表情を浮かべた。
そりゃそうだ。あんなに大人を嫌って教師を嫌ってたんだ。
でも俺には確固たる信念があった。
「中一の時に親父に暴力を振るわれて問題になったじゃんか。あの時唯一、当時の担任だけが味方になって戦ってくれた。結果は先生はとばされて、問題はなかった事にされたけど、あんな事起こってはいけない。それを阻止するためには同じ土俵に立たないとって思ったんだ。」
「そっか。立派な仕事だと思うし、大人に対抗するにはいいと思う。」
「良かった、ありがとう。あーあ。進路どうすっかな。」
「とりあえず教師になるならまず高校行かないとね。」
「親父に私立反対されてんだ。大人しく公立にするか。」
「うん。今はしょうがないよ。せっかくやりたい事できたんだから、高校いかないとだからね。」
正直、親父の言うことを聞くのは嫌だ。
本当は親父に味方になって欲しかった。父親という絶対的な味方が欲しかった。
自分の意に反するけど、夢ができたんだ。
私は今日も酒を飲んでいる。
つらく苦しい実にくだらない毎日を繰り返している。
私は精神疾患を持っている。
育児がうまくいかず、息子と旦那にも見放されてその苦しみから逃れるように酒を飲む。
意欲も湧かない。働きもできない。
ただ淡々と自分のできる範囲の家事をこなすだけの日々。
なんの為に生きているんだろう?
頭の中はそんな事ばかりグルグルとしている。
息子の太陽は受験生だというのに、私は何をやっているんだろう。
現実から目を逸らし、太陽から目を逸らす。
太陽は思春期に入り、そして反抗期を迎えた。
最近、太陽の親への態度が変わり、言葉も攻撃的になってきた。
母親としては怒らないといけないのだろうけど、私は太陽を恐れている。
太陽はきっと私に興味がなく、見下しているんじゃないか。
考えれば考えるほど憂鬱になり、私は缶チューハイを一気に流し込んだ。
死にたい気持ちを抑えるためには酒が私にとって有効的だ。
酒に酔いしれればないも考えずに済む。
私は酒と処方薬でただ生かされているだけ。
一人でいつも通り酒を飲んでいたら、リビングから大きな音がした。
また喧嘩か。結婚当初はこんな未来が待っているとは思いもしなかった。
部屋から覗いてみると、丁度太陽が勢いよくリビングを飛び出し、家を出る姿が見えた。
不審に思った私は旦那のもとへ駆け寄った。
「あなた、何かあったの?」
「あいつの進路の事でちょっと揉めてな……なあに、いつもの事だ。けろっと戻ってくるに違いない。」
妙な胸騒ぎがした。あの子はいつも喧嘩の後、部屋に籠る。
でも今回は違う。こんな夜に家から飛び出したんだ。
絶対に何かあの子の中で何かあったのだ。
「あなた、あの子の事を追いかけましょう。」
「あいつは言うこと聞かないんだ。放っておけばいい。」
「そんなプライド捨てなさいよ!あの子に何かあってからじゃ遅いでしょ!」
「うるせえ!お前もあんなバカ息子ほっとけ。」
私にそんな事できるわけがない。
旦那が向き合わない今、私があの子と向き合わないと。
そう思ったら、勝手に足が動いていた。
「おいお前、待て!」
旦那の制止を尻目に私は走った。
外に出たのはいつぶりだろうかあ。
走りながら感じる肌寒い風が妙に心地いい。
久しぶりの感覚だ。私、今を生きている。
走りすぎて息を整えるために止まった。
そして顔を上げたその時、太陽が車道に飛び出そうとするのが見えた。
絶望。
その言葉がよぎり、頭が真っ白になった。
ああ、やっと向き合えると思ったのに。私のせいで。私のせいで!
しかし太陽は踏みとどまった。
私は安堵に包まれた。本当に良かった。
公園で泣き止んだ俺に美咲が提案をしてきた。
「ねえ太陽……一回病院に行ってみない?」
「え!何で?」
「思ったんだけど、正直自殺未遂を起こすって精神状態が正常じゃないと思うの。だから一回ちゃんとした大人に見てもらおうよ。カウンセリングとか思春期外来っていうのもあるみたいだし。」
俺は少しうつむいた。そんな所に行ったらこの先母さんのようになるんじゃないかと不安で仕方なかった。
「私も行った方がいいと思うわ。」
振り向くとそこには母さんがいた。
「母さん……何で……?」
「太陽が勢いよく家を出るから心配になって追いかけてきたのよ。そしたら車道に飛び出そうとするなんて。なにやってるのよ……」
「母さんは俺に興味がないと思ってた。」
「そんなわけないでしょ。大切な一人息子なんだから。今までごめんね。私、あなたから逃げてた。でも向き合う。」
「母さん……」
久しぶりに母親の強い眼差しと温もりを感じた。
それは心地よく赤ん坊に戻ったかのように錯覚した。




