1話目 太陽
「ねえ、太陽は幸せ?」
ある日、母は泣きながら僕に聞いてきた。幼いながら僕は気を遣って、こう答えた。
「うん。幸せだよ。」
でも、全然幸せではなかった。
暴力を振るう父、それを放置する母。
母はきっと僕の事を哀れだと思っていたのだろう。そうでなければそんな質問はしないはずだ。そして母自身も何もできない自分に嫌気がさして酒に逃げた。
僕が成長するにつれて、父と僕の関係も悪化し、話もしなくなった。家族の劣悪な環境に耐えれなくなった母はどんどん酒にのめり込み溺れ、精神疾患にもなり、ついには僕に興味を持たなくなった。
そう、僕らは機能不全家族だ。
「えー、来週から三者面談期間に入る。親の都合聞いて日程出せよ。特に今年は受験生なんだから親としっかり話させてもらうからな。それでは号令。」
あっという間に中三になった俺は窓の外を眺めながら考えていた。酒を朝から飲んでる母親を連れて来る訳にはいかないし、かといってあの親父ともずっと話していない。あの二人は俺に一切興味がない。気にするのは世間体だけだ。
親父は仕事ができる方らしく、外面はいいのだが、家ではまるっきし逆だ。親父の言う事は絶対で、何かあればすぐ俺が稼いできてやってんだ、嫌なら出てけ、最終的には暴力を振るう。最低な大人だ。
そんなふうに育てられてきた俺は自分が生に執着していない事を思春期になって気づいた。生きようが死のうが正直どうだっていいし、なんならあんな大人になるくらいなら死んだ方がマシだ。
「太陽、帰ろう。」
「美咲か。ああ、一緒に帰ろう。」
二人で帰りながら、三者面談の事が頭から離れずに俺は俯いていた。
あの親父と同じ空気を吸うのも耐えられないのに進路の話をするなんて。親父はきっと何も考えてないか、金のかからない公立の進学校に行けって言いそうだな。
「太陽どうしたの?憂鬱な顔して。」
思考に耽っていた俺を不思議に思った美咲が顔を覗き込ませながら言った。
美咲は幼稚園からの幼馴染で俺の彼女だ。「いや、何でもないよ。」
「何?彼女に隠し事?」
「そう言う訳じゃないよ。ただ三者面談が憂鬱だなって。」
そう、憂鬱だ。ずっと話していない親父と会話をすると考えただけでもゾッとする。置き手紙置いとくんじゃダメかな。いや、流石にダメか。
「親父とずっと話してないからな。美咲は親といつもどう話してるんだ?」
「私もそんな話さないよ。でも、進路の話にはやっぱ敏感よね。特に私のお姉ちゃんは県内一の進学校通ってるし。親からの無言のプレッシャーに耐えきれない。成績落ちるとすぐ無視するし。太陽の家に比べたらまだマシなのかもしれないけど。」
美咲は幼馴染だから俺の家の事情をよく知っている。大人は誰も助けてくれないし、聞く耳も持たなかったが、唯一俺の心の氷を溶かして相談を聞いてくれる大切な存在だ。
「太陽の家は本当大変だよね。」
「大変とかおかしいってよく言われる。だけど生まれた時からこの環境だから別にこの環境が普通なんだよな。確かに昔は教師や大人に助けを求めたけど誰も助けて来るなかったし、この環境の中何とか生きていくしかないんじゃないかな。」
普通じゃないのは自分でも分かってる。でもそう自分に言い聞かせないと耐えれない。 俺は歯を食いしばった。悔しい。何で自分は普通の両親の元に生まれてこなかったのだろうか?何で大人はこんな哀れな俺を見て見ぬふりしていられるのだろうか?それが大人としての正しい生き方なのか?許せない。大人は腐ってる。あと五年したら俺もああなっちまうのかな。
「私に何か出来ることあったら言ってね。」「うん、ありがとう。じゃあまたな。」
美咲の帰る背中を見ながら呟いた。
「出来ることね……」
俺の事を助けてくれる人なんて誰もいない事を知っているから縋ろうとは思わなかった。ましてや、子供の美咲に今の状況を変える力などないだろう。でもその言葉は嬉しかった。
いつか変えてくれる人が現れる事を願う。
家に着いた。また今日もここに帰らないといけないのか。学校もそんな好きじゃないし俺の居場所ってどこなのかな?
そんな事を考えながら家に入ったら、怒号が聞こえた。
「太陽、ただいまは!?」
まーた酒飲み散らかしてやがる。めんどくせえ。いつもいつも酒飲む姿しか晒さねえのに一丁前に母親ヅラだけはしやがる。
「ああ……ただいま……」
「ったくあんたったら挨拶もろくにできないんだから。」
流石の俺もカチンときた。こんな奴に偉そうな口叩かれる筋合いないと思ったからだ。
「そんなふうに育てたの誰だよ。」
「何よ!私のせいだって言いたいの!?」
「あーもう、うるせえ!毎日毎日昼から酒飲んだくれてる奴に言われたかねえ!」
「あんた母親に向かってなんて口の利き方してるの!子供のくせに本当生意気。」
俺はついにブチギレて思わず口にしてしまった。
「黙れ!殺すぞ!」
つい言ってはいけない言葉を言ってしまった。こういう事を言うとどうなるか分かってるのに……
「うう、怖い。ごめんなさい。私が悪かったわ。ごめんなさいごめんなさい。」
またこれだ。母は精神疾患を持っていて、恐怖を感じるとすぐパニックになっる。
俺と親父もどうやら恐怖対象らしい。酔っ払って俺に関わってこなければよかったのに。
「ったく。もう知らねえ。」
俺は母の醜い姿を見たくなかった。そして何よりこんな母を他人の目がある所にいさせてみろ?すぐこうやって発作が起こる。何もできねえんだから一人で大人しくしろってんだ。
ため息をついて俺は部屋に戻った。
ガチャリと玄関のドアが開いたのが聞こえた。思わず俺は机に突っ伏した。
これから親父と対峙するってなると胸がザワザワする。また暴力を振るわれるんじゃないか。小さい頃からのトラウマでそれを掘り返したくなくて、親父の事は避けてきた。でも流石に今回は向き合わないといけない。
「しゃあねえ。行くか。」
自分の身体を起こし、部屋を出た。
階段を降りてリビングに入ると親父が座っていた。親父が視界に入るだけで不快さのあまりゾッとする。鳥肌もたっていた。やはりメンタルと身体は正直だ。俺は本能的にビビっている。それでも三者面談に来てもらう為には話をしないといけない。
「何だ太陽、どうした。」
「三者面談があるんだ。日程渡すから時間空いてる時来てくれ。」
「お前の為に時間を取っている暇はない。俺は仕事で忙しいんだ。お母さんに行ってもらえ。」
またこれだ。親父は俺に興味がない。世間体があるから育ててるだけで俺がいなければよかったと思ってるに違いない。でも向き合わないとな。
「親父、俺中三だぞ?受験生なんだよ。進路の事とか色々あるんだ。」
「金のかからない公立の進学校ならどこ行っても構わない。あとはお前に任せる。それでいいだろ?それなら金を出してやる。」
予想通りだ。段々と口調も荒くなる。
「何で大事な進路を親父のレールに敷かれなきゃなんねえんだ!俺には俺の人生があるんだよ!少しは俺と向き合おうって気持ちはねえのかよ?」
「子は親の言う事を聞いてればいいんだ。その進路はお前の為にもなるんだ。三者面談は母さんに適当に座っててもらえばいい。」
「俺の為って世間体気にしてるだけだろ!そんなに外面よくしてえのかよ?それに母さんが三者面談行ける状態じゃないって親父もわかってるだろ?昼から酒飲んでんだぞ。」
「酒飲んでも座ってる事くらいできる。」
「まず酒辞めさせるっていう発想はねえのかよバカ親父!」
「お前、誰に向かって口聞いてるんだ!」
親父が思いっきり俺の腹を殴った。腹に激痛が走り、食べた物が出そうになった。親父は暴力が上手い。顔面を殴ると傷が見えて周りに不信感を得られるから見えない所を殴る。
「いってえな!何すんだよ!」
「口の利き方がなってないからしつけをしているんだ。いいか、よく聞け。お母さんは心の病気なんだ。お前がちゃんと育たなかったから酒に逃げるようになったんだ。お母さんのせいじゃない。全部お前のせいなんだ。心が弱ってるから拠り所が酒だけなんだ。人間は何かに依存して居場所がないと生きていけない。だからお母さんにとって酒は必要なものなんだ。もしいきなり辞めさせてみろ。心が崩壊して死を選択するなんて最悪な事態になったらたまったもんじゃないだろ。」
「俺のせいだって言いてえのかよ……」
「ああ、そうだ。お前は失敗作だ。生まれてこなければよかったのに。」
実の父親にこんな事言われると思わなかった。辛い苦しい悔しい。感情がぐちゃぐちゃで怒っているのに涙が出た。もうどうだっていい。怒りに身を任せる。
「てめえらが勝手に子供作ったんじゃねえか!俺だって生まれてこなきゃ良かったって思ってるよ。こんなクソみてえな両親の元でまともに育つわけねえだろ!父親が母親の居場所になってやんなくてどうすんだよ。」
「誰が金出してくれてるおかげで飯食って学校行けてると思ってるんだ!偉そうな口叩くなら高校行かないで自分で生活しろ!」
「けっ!またそれかよ。ほんと親父って子供の教育に興味ないよな。そりゃ育ちも悪くなるわ。外面ばっかよくして世間体きにして何がいいんだよ。仕事してテレビ見てるだけの生活の何が楽しいんだか。いいよ。てめえみてえな大人になるくらいだったら高校行かねえで働いて生活してやるよ。」
もう俺の人生なんてどうだっていい。やるせなさが込み上げてくる。ああ、俺の人生はみんなと違って進学すら出来ないんだ。
悔しさのあまり階段を駆け上がった。
「おい、待て太陽!」
次の日、俺は担任から職員室に呼ばれた。
「おい、新田。どういう事だ?三者面談に親御さんが来れないって。」
「すみません。ご迷惑おかけして。」
クラスで俺だけだろうな、親がこないの。親がこないだけでなく進学しないなんて誰もいないんじゃないか?
「色々事情あるんだろ。仕方ない事だ。受験の話はできてるのか?」
「俺、高校行かないで働こうと思います。」
「はあ!?」
そりゃそんな反応だわな。偏見だけど不良とか引きこもりじゃねえ限りみんな進学するのが当然であって社会の常識だと思う。でも、
俺の親は言う事を聞かない限りそれを許さない。うちの家族は普通とは違うのだから。
「あの親の元ではろくな大人にならない事を確信しています。高校行かないで働いて自分の足で生きていきます。」
「あのなぁ、世の中そんなに甘くないんだぞ。今は学歴社会だし、せめて高校だけでも行っといた方がいいぞ。」
「俺だってそうしたいです。でも親に言われたんです。」
「新田、思春期だから親に反発したい気持ちも分かるけどな、親があっての子供なんだから。親の言う事も少しは聞け。新田の親御さんだって新田の事を思って頑張ってるんだぞ。
」
「昼間っから飲んだくれてる母親と三者面談にも来ない父親のどこが俺の事思ってくれてるんですかね。」
あいつらが興味ないのはわかっている。だからこそ余計に親だからとか家族だとか聞き飽きたくらいの言葉を言われると腹が立って口が止まらなかった。
「先生には分からないでしょうよ。温室育ちで大学まで行かせて貰ってただ机に向かって勉強して真っ当な社会ではなく安定な公務員というだけで教師になり、学校という狭い箱で教育者という名を振りかざしてのうのうと偉そうにできる立場ですもんね。」
「お前、ふざけんな!」
「だってそうでしょう?会社員とかした事も社会経験もないのに何で偉そうに子供の進路に口出せるんですか?ほとんど勉強しかしてこなかったくせに。大体本心で子供に向き合ってるんですか?口挟まないで下さい。」
思わず本音が出てしまった。何故大人はこうも年齢を重ねるだけで偉そうにするのだろうか?皆それぞれの人生を歩んで違う道を進んでいる。経験も何もかも違う。子供のやることなす事に口を出す癖に失敗した時は誰も責任を取らない。大人は腐ってる。
「先生だってなぁ、教師の立場として子供達と向き合っているつもりだ。どういった子がどういう進路がいいか一生懸命考えているんだ。子供なら子供なりに大人しくしとけ。」
「子供なりに黙って過ごしてからこその決断なんです。僕だってそりゃ高校に行きたいですよ。でも家族がそれを許さない。そんなに僕が悪いんですかね?僕はただ自分の道を進みたいだけなんですよ。でも先生、これだけは言っときます。見て見ぬ振りを大人達がしてきた結果が僕を追い詰めてこういった決断をさせてるんです。先生も知ってるでしょうに?」
そう、あれは中一の時だった。夏休みに家にいる時間が長かった分、親父からたくさんの暴力を受けていた。当時担任だった先生は俺の顔の傷を見て、上の教師に報告した。それでも大人である教師達は問題にしなかった。
自分達が穏便に過ごせるように。そして、助けようとしてくれた担任は異動になって、俺の周りに大人の味方はいなくなった。
「僕は絶対に許さないし、大人の言う事なんてクソ喰らえです。ってな訳で三者面談はそういう事でよろしくお願いします。」
「あ、ちょっと待て!」
俺は足早に職員室を後にした。大人なんて家族なんてクソ喰らえだ。社会が、この国がたとえ許さなくても俺は俺なりに生きていくんだ。




